7月27日、大阪松竹座三階席で観ました。
海老蔵という役者は、世間的なイメージと違って
かなり勉強熱心というのか、古い役者の台詞回しを
研究しつつ自分流の現代的な台詞回しを模索するという
タイプの役者だ。
そのことの成果が、先日の歌舞伎座での「助六」で、
こんな生き生きとした助六は初めてと感じる程のものだった。
で、今回の「切られ与三郎」。
海老蔵本人は源氏店に、写実味より唄うような調子の気持ち良さ
を目指しているのだと思う。その一方、世話物的な俗っぽい
要素には今の若い観客(例えば『源氏物語』を観に来るような客)
が観ても違和感のない表現法を採用するという方針を採っている
ようにみえる。
今回の海老蔵の与三郎は、まだ流石に完成はされていないとはいえ、
一五代目羽左衛門とも十一代目團十郎とも違う海老蔵調という
べき名セリフの台詞回しと、現在を生きる等身大の青年としての
生々しさを感じる世話物的な俗っぽさ(これは仁左衛門にはできない
要素だ。)を兼ね備えたいい舞台だった。
初役の菊之助のお富は世話物らしい世慣れた感じの色気には
まだまだ乏しいものの、溌剌とした色気が漂い、
いずれは15世羽左衛門・6世梅幸コンビのようになるのでは
と思わせるものだった。
こういう、江戸の世話物が大阪松竹座だけでかかるのも
ちょっと不思議ではあるが、いずれ歌舞伎座の舞台で見れることだろう。
勧進帳については、また後日。
海老蔵という役者は、世間的なイメージと違って
かなり勉強熱心というのか、古い役者の台詞回しを
研究しつつ自分流の現代的な台詞回しを模索するという
タイプの役者だ。
そのことの成果が、先日の歌舞伎座での「助六」で、
こんな生き生きとした助六は初めてと感じる程のものだった。
で、今回の「切られ与三郎」。
海老蔵本人は源氏店に、写実味より唄うような調子の気持ち良さ
を目指しているのだと思う。その一方、世話物的な俗っぽい
要素には今の若い観客(例えば『源氏物語』を観に来るような客)
が観ても違和感のない表現法を採用するという方針を採っている
ようにみえる。
今回の海老蔵の与三郎は、まだ流石に完成はされていないとはいえ、
一五代目羽左衛門とも十一代目團十郎とも違う海老蔵調という
べき名セリフの台詞回しと、現在を生きる等身大の青年としての
生々しさを感じる世話物的な俗っぽさ(これは仁左衛門にはできない
要素だ。)を兼ね備えたいい舞台だった。
初役の菊之助のお富は世話物らしい世慣れた感じの色気には
まだまだ乏しいものの、溌剌とした色気が漂い、
いずれは15世羽左衛門・6世梅幸コンビのようになるのでは
と思わせるものだった。
こういう、江戸の世話物が大阪松竹座だけでかかるのも
ちょっと不思議ではあるが、いずれ歌舞伎座の舞台で見れることだろう。
勧進帳については、また後日。
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