切られお富!

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「毎日かあさん」論争

2005-08-31 18:44:37 | 超読書日記
西原理恵子のマンガ「毎日かあさん」をめぐって、西原と武蔵野市との間で論争が持ちあがっている。話は、西原の長男が通う市立小学校が西原に「学校を作品の舞台にしないでほしい」と申し入れたのがきっかけ。

<わたしの記事>
『上京ものがたり』 西原理恵子 著

この件については、手塚文化賞のコメントにもチラッと出て来ていたので、知ってはいたけど、市や教師っていうのはつくづく文化レベルが低いんだなと思う。

西原自身の発言、「自分の手を通過した時点で全部つくりごとになる。そんな当たり前のことが学校の先生には分からないのか、マンガのことで息子の小学校から呼び出しをくらいました」(手塚文化賞 受賞コメントより引用)というのが全てを語り尽くしていると思うのだけど、結局、学校での作文なり絵の指導っていうのが、今もって「報告文リアリズム」の域を出ていないってことを象徴しているんだと思う。

わたしが子供の頃も、「見たままを書きなさい(描きなさい)」っていう調子で指導を受けた記憶があるけど、文章にせよ絵にせよ、表現した段階で事実とは違う「表現されたもの」になる。結局、西原のマンガを「自伝的なもの」というレベル以上に捉えられない芸術観だから、妙な難癖をつけるってことだろう。(だから、学校の教科書には泉鏡花ヘンリー・ミラーの文章なんか載らないんだな。)

もし、マンガが何かのきっかけになって「いじめ」が起きたとしても、それはあくまで「いじめ」の問題であって、「マンガ」の問題ではないはず。だいたい子供にとっては、いじめる口実なんてなんでもいいわけなんで、子供や親の口実に合わせてなんでも自粛させるなんて、お門違いもはなはだしい。

それと問題なのは、公立学校に子供を通わせている親は子供を人質に取られているも同然だってこと。学校に呼び出して描くなっていうのは圧力以外の何物でもない。「人権VS表現の自由」なんて争いというより、野暮な人間や野暮な学校の元では、個性重視の教育なんて絶対無理だって話ではないだろうか。

というわけで、わたしは絶対、西原支持!がんばれ西原って感じです!

「毎日かあさん」論争、表現の自由か教育的配慮か (読売新聞) - goo ニュース

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