
8月の初日に第一部と第二部を観てきましたが、今度は後半の第三部&第四部を観てきました。月末で舞台が熟していたからかもしれませんが、充実していましたネ。簡単に感想。
第三部は、七之助、猿之助、猿弥の「吉野山」。わたしの観た日(8/22)の最初のナレーションは七之助でした。(このナレって、日替わりだったんですね。)
第一部と第二部が立役のみの芝居だったので、花道に七之助が出てきただけで、「今日は来てよかった!」と思いました。歌舞伎の妖しげ魅力の大きな部分には、やはり女形があるんだって再認識しました。それに、七之助は今一番綺麗な女形の一人ではありますね。花道に立ってるだけで良かったですから。
で、この舞台で記憶すべきは、最後の引っ込みがいつもの見慣れた型でなく、沢瀉屋の型だったこと。ぶっかえりから、花道の引っ込みの勢いが生き生きとしていて、楽しめました。舞台外の露出(ドラマやその番宣番組出演など)、コロナ下も無駄にしていない人の充実感みたいなものを感じました。
次が、第四部の「切られ与三郎」。幸四郎に児太郎で、正直期待していなかったのですが、収穫でした。まず、児太郎のお富の前半が、玉三郎かと思うような声と台詞回しで驚ました。文七元結の角海老の女将とか、この芝居のお富の前半なんかは、年増の貫禄がないといけないと思いますが、若いのに上手く玉三郎の新派の時(泉鏡花の「日本橋」とか)の雰囲気みたいなものが出てました。ただ、後半はちょっと普通の娘みたいになっちゃったけど。
で、幸四郎の与三郎は、渡辺保さんの指摘通り、元お坊ちゃんがグレたみたいなスッキリした育ちの良さみたいな雰囲気で、たとえば梅玉さんなんかがやるときの悪に走った苦み走った与三郎とは違う個性を感じました。それと、仁左衛門〜海老蔵系統の(つまり、十五代目羽左衛門、十一代目團十郎系統ということですね)ピンと張った名セリフの調子とは違う、今の幸四郎調としか言いようのない、でも淀みのない調子が出来上がったと感じました。
亀蔵(藤八)と彌十郎(蝙蝠安)は上手いんだけど、この芝居の持っているリズムとちょっと違う、自由演技的な感じがしました。この芝居は黙阿彌物ではないんだけど、黙阿彌物みたいな台詞のリズムとか調子が脇役にまであって、それで掛け合いが成立している芝居だから、何だか舞台の中盤がもたれました。まあ、「ソーシャル・ディスタンス」ネタみたいなくすぐりを入れてるせいもありますけどね。
中車の多左右衛門は、海老蔵・玉三郎の時も良かったけど、今回はさらに進化していているように感じました。最近では、他の歌舞伎役者より、後天的に歌舞伎を学んだこの人の方が、古典的な歌舞伎の台詞回しになっているとさえ感じる時もあり、安心して見ていられます。十一代目團十郎・歌右衛門のこの芝居の初代猿翁の多左衛門を思い出したと言ったら褒めすぎでしょうか?
なお、最後は、ソーシャルディスタンスを意識した新演出で、与三郎&お富が手拭いを使った決めでお仕舞いになるんですが、悪くない終わり方だと思いました。二人でベタベタして終わるより良いとすら思います。
ちなみに、この幕の最初のナレーションは、わたしの観た日(8/22)は彌十郎でした。
では。また、気が向いたら。
第三部は、七之助、猿之助、猿弥の「吉野山」。わたしの観た日(8/22)の最初のナレーションは七之助でした。(このナレって、日替わりだったんですね。)
第一部と第二部が立役のみの芝居だったので、花道に七之助が出てきただけで、「今日は来てよかった!」と思いました。歌舞伎の妖しげ魅力の大きな部分には、やはり女形があるんだって再認識しました。それに、七之助は今一番綺麗な女形の一人ではありますね。花道に立ってるだけで良かったですから。
で、この舞台で記憶すべきは、最後の引っ込みがいつもの見慣れた型でなく、沢瀉屋の型だったこと。ぶっかえりから、花道の引っ込みの勢いが生き生きとしていて、楽しめました。舞台外の露出(ドラマやその番宣番組出演など)、コロナ下も無駄にしていない人の充実感みたいなものを感じました。
次が、第四部の「切られ与三郎」。幸四郎に児太郎で、正直期待していなかったのですが、収穫でした。まず、児太郎のお富の前半が、玉三郎かと思うような声と台詞回しで驚ました。文七元結の角海老の女将とか、この芝居のお富の前半なんかは、年増の貫禄がないといけないと思いますが、若いのに上手く玉三郎の新派の時(泉鏡花の「日本橋」とか)の雰囲気みたいなものが出てました。ただ、後半はちょっと普通の娘みたいになっちゃったけど。
で、幸四郎の与三郎は、渡辺保さんの指摘通り、元お坊ちゃんがグレたみたいなスッキリした育ちの良さみたいな雰囲気で、たとえば梅玉さんなんかがやるときの悪に走った苦み走った与三郎とは違う個性を感じました。それと、仁左衛門〜海老蔵系統の(つまり、十五代目羽左衛門、十一代目團十郎系統ということですね)ピンと張った名セリフの調子とは違う、今の幸四郎調としか言いようのない、でも淀みのない調子が出来上がったと感じました。
亀蔵(藤八)と彌十郎(蝙蝠安)は上手いんだけど、この芝居の持っているリズムとちょっと違う、自由演技的な感じがしました。この芝居は黙阿彌物ではないんだけど、黙阿彌物みたいな台詞のリズムとか調子が脇役にまであって、それで掛け合いが成立している芝居だから、何だか舞台の中盤がもたれました。まあ、「ソーシャル・ディスタンス」ネタみたいなくすぐりを入れてるせいもありますけどね。
中車の多左右衛門は、海老蔵・玉三郎の時も良かったけど、今回はさらに進化していているように感じました。最近では、他の歌舞伎役者より、後天的に歌舞伎を学んだこの人の方が、古典的な歌舞伎の台詞回しになっているとさえ感じる時もあり、安心して見ていられます。十一代目團十郎・歌右衛門のこの芝居の初代猿翁の多左衛門を思い出したと言ったら褒めすぎでしょうか?
なお、最後は、ソーシャルディスタンスを意識した新演出で、与三郎&お富が手拭いを使った決めでお仕舞いになるんですが、悪くない終わり方だと思いました。二人でベタベタして終わるより良いとすら思います。
ちなみに、この幕の最初のナレーションは、わたしの観た日(8/22)は彌十郎でした。
では。また、気が向いたら。
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