切られお富!

歌舞伎から時事ネタまで、世知辛い世の中に毒を撒き散らす!

本日、国立小劇場で文楽、観てました。

2016-05-14 23:59:59 | 恋する文楽
今月は諸般の事情で、「太功記」のみの観劇でしたが、ロビーに到着すると、吉田玉男さんが人形を遣って熊本への募金を呼びかけていて驚きました。文楽関係者はよく働くなあ~と。どっかのバラエティ番組に復帰した、尊大なだけで、文化のわからない朴念仁とは違いますな~。というわけで、簡単な感想のみ。

絵本太功記といえば、「尼ヶ崎閑居」ばかりが上演されて、「妙心寺」があまりでないんで、「妙心寺」目当てで観劇したんだけど、やはり尼ケ崎でしたね。

今回は最初が本能寺の段からでしたが、光秀がでてこないというところが作者の妙味でしょう。義太夫本来の味ではないかもしれないけど、若い太夫が森蘭丸と腰元の恋を語るのはそれなりにスイートでよいなと思いました(わたしの聴いた回は咲寿太夫)。

次が妙心寺。文楽では珍しい、舞台上手の人形の出入りが芝居の肝になる段。歌舞伎ではやらないですね。腹芸が難しいからか、光秀が自分の覚悟を屏風に筆で表すくだりが面倒だからなのか・・・。母親の家出の場面の哀愁とか、光秀の人形が筆で字を書く珍しさもあるんだけど、やはり、内容の濃さからいうと、尼ケ崎には及ばない段だと思いました。芳穂太夫・清丈、呂勢太夫・錦糸の語りはよかったんですけどね。

で、次がところ変わって夕顔棚から尼ケ崎の段。

結論からいうと、最後の津駒太夫・清介の語り・三味線の熱っぽさにやられました。ここまでの義太夫が、仁左衛門が菊之助に言った言葉じゃないけど「行儀いいんだな」と思えたくらい。一面、母、妻、嫁の「女たちの芝居」である尼ケ崎の段で、母と妻の人形が俄然生き生きして見えてくるんだから、「演劇はやっぱりエモーションだ!」って思いましたね。光秀のくだりでは、多少のパワー不足を感じなくもなかったんだけど、情熱的な語りと三味線に押し切られて、久々に文楽の観劇でグッと腹にきた感じ。急激に世代交代の進む文楽の世界だけど、人間国宝たちの不在を補うのは案外こういう熱気かも・・・。などと、不遜なことを思ってしまいました。

なお、今回の感想から、「大夫」の表記を「太夫」に変えてみました。文楽協会が「点なし」を「点あり」に戻すそうなんで。確か、山城少掾が点を無くしたんでしたよね。PC&スマホ時代になって、変換間違いの煩わしさを減らすということなんでしょうか。ま、拙ブログは決まったことに従います。

というわけで、観劇を満喫した夜でした。

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