台湾:楽生療養院の撤去、移転に関するニュース(日本での報道のみ)

日本国内で報道されたニュースのみ

2007年3月13日:
入所者ら約80人が記者会見し、計画見直しを訴えた。(2007.03.13 共同通信)

2007年3月16日:
地元の台北県などが来月17日から強制執行すると通告した。(2007.03.17 毎日新聞)

2007年3月21日:
入所者代表や支援者が政権与党・民主進歩党(民進党)の游錫〓主席らに存続の要望書を手渡した。(2007.03.22 西日本新聞)

2007年3月31日:
住民がデモ、「入所者には地域全体のことを考えてもらいたい」。
入所者は、「50年以上暮らしてきた場所から冷たい建物に行きたくない」。
退去して新しい建物に移った元患者も古い建物の取り壊しに反対している。(2007.04.01 朝日新聞)

2007年4月11日:
当局が保存を表明
蘇貞昌・行政院長(首相)が入居者や支援団体代表と会い、療養所の約九割を保存し、高速鉄道計画との両立を目指す意向を表明。
森元美代治さんらは外交部(外務省)を訪れ、二十五団体の存続要望を伝えた。(2007.04.12 西日本新聞)

2007年4月13日:
「賠償請求」
台湾のハンセン病患者らの支援弁護士団が台湾当局に謝罪や賠償、法律整備などを求める「国家賠償請求」を行った。2か月以内に請求内容が実施されない場合は提訴する。(2007.04.14 西日本新聞)

 

2紙ピックアップ

----------------------------------
2007.03.17 毎日新聞

台湾:ハンセン病療養所、鉄道車両庫計画で収用へ

 日本統治時代に開設された台湾のハンセン病療養所「楽生療養院」(台北県新荘市)の入所者が当局から立ち退

きを迫られている。都市高速鉄道の建設に伴い、施設が4月に強制収用されるためだ。入所者のうち45人は「住み慣れた生活が破壊される」として台湾政府が用意した代替施設への入居を拒否、政府との協議を求めている。台湾のハンセン病元患者は日本統治時代の強制隔離について日本政府から補償を勝ち取ったが、闘争は今も続いている。

 「楽生療養院」は1930年に台湾総督府によって開設された開放型の施設だ。都市高速鉄道の建設計画では施設を約40%だけ残し、施設の建つ丘ごと切り崩して高速鉄道の車両庫用地にする予定。政府は8階建てのビルを代替施設として一昨年9月に完成させ、入所者約300人の大部分は移った。だが、45人は自治組織「楽生保留自救会」を結成し、拒んでいる。

 同会は海外の建設会社や学識経験者らの意見を基に対案を作成。自分たちがとどまれるよう療養所の建物の90%を残し、ハンセン病差別を伝える施設としても保存するよう政府に計画変更を求めているが、入所58年になる同会会長の李添培さん(73)は「政府は全く耳を貸そうとしない」と話す。

 蘇貞昌行政院長(首相)は「鉄道の建設が遅れ、多額の損失が出ている。沿線住民に影響を与え、公共の利益への損失は計り知れない」と退去を求める政府の立場を説明。地元の台北県などは16日、来月17日から強制執行すると通告した。

 台湾の元患者は日本政府に強制隔離の補償を求める裁判で勝訴。日本政府は昨年2月、改正ハンセン病補償法を成立させ、日本の入所者と同水準の1人800万円の賠償金を支払った。

 日本統治時代に始まった強制隔離は62年まで存続したため、元患者は台湾政府にも補償を求めているが、台湾立法院(国会)での補償法案の審議は進んでいない。療養所保存を訴える与党・台湾団結連盟の頼幸媛・立法委員(国会議員)は「議会が補償法の早期成立に消極的なためだ」と説明する。【台北・庄司哲也、写真も】

---------------------------

2007年3月31日 読売新聞 東京朝刊

台湾ハンセン病施設 入所者ら取り壊し反対 当局、地下鉄建設優先

 ◆「住み慣れた場所」

 【台北=石井利尚】日本統治時代に設立された台湾のハンセン病療養所「楽生療養院」(台北県新荘市)の施設を地下鉄建設工事に伴って取り壊すかどうかをめぐり、入所者と当局の対立が深まっている。日本や台湾当局に強制隔離された高齢の入所者らは「住み慣れた場所が破壊される」と退去を拒否。「台湾のハンセン病施策の歴史施設」として保存を求める声も高まっており、当局は「人権保護」と「経済開発」のはざまで対応に苦慮している。

 「楽生療養院」は台北郊外の丘陵地に1930年に設立。日本式の家屋や医療施設が立ち並ぶ緑豊かな開放型施設だ。だが、隣接地では車両基地の工事が進み、当局は4月16日までの退去を通告、丘陵を切り崩して52棟の建築物のうち36~42棟を撤去する計画だ。当局が強制収用を決めたのは「地下鉄建設の遅れで沿線住民の生活や地域経済に影響が出ている」ためだ。

 施設は一部で老朽化し、入所者305人のうち174人はすでに当局が代替施設として近くに建設した8階建てビルに移住した。施設には家族と別れた絶望で自殺した仲間の記憶など悲惨な歴史も詰まっている。

 しかし、「病院式に管理された施設への移住は2度目の隔離と同じだ」などと100人近くが退去と取り壊しに反対、台北でデモを行うなど抵抗を続けている。院内で数少なくなった日本語世代の張文賓さん(78)は、57年暮らした施設を「憩いのオアシス」と呼ぶ。張さんは「病院のような部屋に閉じこめられたくない。樹木の1本1本に愛着があり、きれいな空気が吸えるこの場所で療養を続けたい」と語る。

 若いころ家族から隔離された入所者たちも今や平均年齢75歳になった。長年、差別や偏見と闘い、築いてきた仲間との生活を、権力によって再び奪われたくないとの思いが強いのだ。

 張さんらの連日の抗議を受け、立法院(国会)は3月に入って施設保存などを盛り込んだ「人権保障法案」検討に向けて動き出した。人権団体や文化人の間では支援の輪も広がり始めている。台湾を代表する映画監督侯孝賢(ホウシャオシェン)氏は28日、「楽生療養院は国家権力による暴力の象徴だ。開発のために古跡を破壊すべきでない」と施設保存を訴えた。入所者の歩みを描くドキュメンタリーを制作する考えだ。

------------------------------------


 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 胎児標本:星... 台湾:楽生療... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。