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フジコ・ヘミング。

2010-02-25 16:11:28 | 音楽
知ってますか?「フジコ・ヘミング」。





今や世界的に有名になったピアニストです。





詳しい年齢はわかんないんですが、もう一般的には「おばあさん」と呼ばれる年齢はとっくに過ぎている方なんですけど、この方がとにかく凄いんです。





ピアニストなんですから演奏技術は勿論素晴らしいのですが、何と言ってもその「表現力」がヤバいです。





私はロックの他にも、ラップやヒップホップ以外(笑)であれば、演歌からクラシック、映画やアニメのサントラまで、幅広い音楽を聴くのですが、ピアノのクラシックであれば、このフジコ・ヘミングさんの演奏以外は殆ど聴きません!


それは、ピアノ曲はフジコさんの演奏でしか心の底から感動することが出来ないからです。


何というか、ピアニストの人生経験から来るブルース・フィーリングのようなものをビシビシ感じて、聴いてるだけで自然と感動の涙が出てきます。





実際この方、不遇の時代を長く経験されてまして…。





イングリット・フジ子・フォン・ゲオルギ・ヘミングさんはスウェーデン人建築家の父と日本人ピアニストの母との間にベルリンで生まれました。5歳の時、一家で日本に移り、母にピアノを習い始めます。10歳の頃からは、レオニード・クロイツァーというその道の巨匠にレッスンしてもらうようになり、才能はうなぎ登り。





その後、東京芸大に入学し、在学中にコンクールで入賞。文化放送音楽賞なんてのを受賞したのですが、そんな実力があるのに、父が当時の日本の軍国化で外国人排斥にあうのでは、と一人スウェーデンに帰国してしまったおかげで彼女は無国籍になってしまったためになかなか留学が叶わず、やっと29歳で「赤十字難民」の身分を貰ってベルリン音大に入学しても、その環境に馴染めないまま極貧生活を3年間続けた後に、ようやくヨーロッパ中心の演奏家としてキャリアをスタートさせました。





そして、30代終わり頃にウィーンで指揮者のレナード・バーンスタインに推薦され、一流演奏家の証であるリサイタルを開けることになったのです。


しかし、このリサイタル直前、彼女は風邪をこじらせ、その高熱によって聴力を失ってしまいました。


僅かに左耳だけ聞こえはしたものの、当然そんな状態で満足な演奏が出来るわけもなく、絶望状態でスウェーデンに移住。国籍を取り、耳の治療をしながらドイツで細々と音楽教師を続け、合間に演奏会を開いていましたが、ラジオ録音があったこともあり、支持するファンも増え、少しずつ立ち直っていきました。


そして1999年、NHKが彼女を取材したドキュメント番組が放送されたのがきっかけで、フジコ・ヘミングの名は世に一気に知れ渡ることになったわけです。


で、その演奏ですが、やはりフジコ・ヘミングといえばフランツ・リスト作曲の超絶技巧曲、「ラ・カンパネラ」でしょう!


この曲はピアノやってる人なら誰でも知ってる超激ムズ(笑)な難曲として有名ですが、フジコさんの演奏は、全くそんな印象は感じない程軽やかで、他の技巧派ピアニスト達の演奏とは明らかに違っています。


しかもその音の中に、この記事の最初辺りに書いた、演奏者の人生経験からくる「ブルース・フィーリング」がぎっしり詰まっているように感じられるのです。


解りやすくロックで例えるなら、エリック・クラプトンのギターのような…。……解り難いか(笑)。




まぁ、とにかくこれは実際聴いて頂かないことには解らない世界ですから、これを読んで少しでも気になった方は、昨年フジコさんが自ら立ち上げた新レーベルから出たニュー・アルバム(写真)を聴いてみて下さいな。(^^
「ラ・カンパネラ」以外にも聴いたことのあるピアノ・クラシックの名曲が目白押しですんで。


聴けば新たな世界が開けるきっかけになるかも、です!



余談ですが、私がフジコ・ヘミングさんを知ったきっかけは、この前の記事でチラッと名前が出てた「猫びより」の第一号で、彼女とその飼い猫達の取材記事が掲載されていたことでした。
この方は大変な愛猫家(動物好き)ということで有名でして、彼女のアルバムの収益の一部が動物保護の義援金に充てられるというシステムがあったくらいです。


というわけで、なんといきなり三千文字クラスのモンスター記事が出来上がってしまいましたが、これでフジコ・ヘミングさんの魅力は伝わったはず!!


後はこの努力の結晶を見てくれる方がいるかどうかの問題です(笑)。


では、今回はここまで。

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