映画の感想など・・・基本的にネタばれです。
しづのをだまき
22歳

〈近所の庭に残っていた薔薇)
「22歳」
その青年と会ったのは、1973年秋、信貴山の上である。
当時、私は玄米自然食とか、断食とかに、興味を持ち始めていて、
その日は大阪周辺の断食道場を偵察するため、生駒山と信貴山に上った。
庭をぶらついていると、1人の若者が、「こんにちは」と
声をかけてきた。10日間の断食を4日前に終えたと言う。
やせこけた体に、長髪とブルージーンズという装いだ。
定職につかず、バイトでお金を貯めては、断食に来るのが「趣味」だと言う。
直感が研ぎ澄まされて、相手の気持が分かるらしく、話題の選択にも
気を遣っているのが感じられた。
「音楽の話、しましょか」と言い、新宿や池袋、上六のライブハウスの話をした。
2,3年前まで、湧きかえるようだったフォーク、演劇の世界が、
今沈滞していると嘆く。1月後の再会を約して山を降りたが、
やむを得ぬ事情で私は行けず、
それきり会えなかった。
1年後、湯河原断食道場で1週間の断食をしたけれど、私は、毎晩
食べ物の夢を見続け、とうていあの青年のような
澄んだ境地に達することはなかった。
今は、玄米も断食も美容健康法として普通に受入れられている。
日本人全体が飽食のあげく肥満に悩んでいる。あの時、私より7歳若く
22歳だった青年も、見る影も無く変わっているかも知れない。
山頂で30分足らず話をしただけの彼の風貌と口調、それに惹きつけられた
若き日の自分は、夢の中であったことのようにしか思い出せない。
【八木先生評】
22歳で明澄の心境をきわめても、その先がまだ長い。どうなっているか、
わかりませんね。青春はまたたく間のこと。
2005年9月16日 文章教室 自由課題 提出21日返還
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八木先生は断食自体に疑惑の目を向け、若者もあまり信用されない。
ところがひと頃の私は「22歳」に縁があり、男女ともに、好きな人は不思議と
22歳が多かった。「22歳の別れ」の記事にも少し書いたが・・・
富岡多恵子の「ボーイフレンド道の極意」(1974)によると、
「若い男の暗さは暗黒ではなくうす暗闇である。私はそのうす暗闇に
自分の想像力を拡げることができるから、きっとかれらに近づくのであろう。」
坂口安吾の「風と光と20の私と」(1947)にも
「誰しも人は少年から大人になる1期間、大人より老成する時がある」
「近頃私のところに訪ねてくる2人の青年がある。22歳だ。
戦争から帰って来たばかりの若者たちが・・・彼らも22歳だ」
と言うわけで富岡多恵子や安吾はこの位の青年に私と同じ感覚を抱いている。
しかし、今は日本人の成熟が遅くなっているから、30歳過ぎなきゃだめかも?
→「断食中のゆめ」22-3-12
→「22歳の別れ」7-9-3
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40年くらい前の話です。6歳違いですから彼は60歳ですね。どんな叔父さんになっているんでしょう。
でもね、こういうことは文章にして提出する勇気はないわ。ちょっとそんな感じとは違うもの。やっぱりあなたは勇気がある。うーん、私もフリーで出してみようかなあ。