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映画「わが恋せし乙女」


1946 松竹 75分 レンタルDVD 監督 木下恵介 作詞 サトウハチロー 作曲 木下忠司 
出演 原保美 井川邦子 増田順二 東山千栄子

西部劇と音楽劇と青春映画を組み合わせたような作品である。「はじまりのみち」で木下が「恋人たちが花を飾った馬車に乗るような映画はもう作れないのだろうか」と言うのが、予告のよう。

浅間山を望む牧場で、捨子だった妹と仲良く育った男性が、5年の兵役から帰ると成長した娘に驚き、恋心を抱く。結婚を申し込もうとするがすでに彼女は疎開して来た知識青年と愛し合う仲に。まさに告白の寸前にそれを悟って身を引く。

GHQは事前検閲で、この脚本を不合格とした。理由は家柄や学歴が上の相手から身を引くのは新時代の人間にふさわしくないと。そこで、男が脚が不具で女性の保護が必要であるという設定にしたら、パスしたそうである。

現実の貧しさや苦しさを忘れさせるような明るい歌や映画が当時は流行ったと思う。
井川邦子・東山千栄子・増田順二は良く木下映画に出る顔触れだ。

あっさりした淡い水彩画のような映画で、後味も悪くない。
サトウハチローの歌詞も良い。作曲の木下忠司は恵介の実弟で、乗馬シーンの代役もしている。
他に牧童に美青年が多く、弟役も可愛く、母と息子の情愛も描かれ、いかにも木下恵介の世界である。

井川邦子 「カルメン故郷に帰る」11-3-27
増田順二と東山千栄子「カルメン純情す」14-3-2
東山千栄子「今年の恋」14-2-6
木下恵介 「善魔」14-3-10「女」14-3-9 「死闘の伝説」14-3-5 「わが恋せし乙女」14-3-3 
「カルメン純情す」14-3-2
     「はじまりのみち」14-2-26 「今年の恋」14-2-6 「カルメン故郷に帰る」11-3-27

長部日出男「天才監督 木下恵介」論創社
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コメント
 
 
 
やっと出会えました (眠々洞)
2014-03-05 11:07:58
初めまして 私は昭和18年生まれです 山田五十鈴さんを検索していたところ やっと会えました、いつか自分の思い出を聞いていただけるところに 行き着くことができましたこと 大変うれしく思っております。
私も映画大好きで小学年低学年のころ 美空ひばりさんの大ファンで当時確か小人10円で見れる 2流映画館で母親に無理を言って見に行きましたが 見終わっても帰るのがいやで 母親はあきれて先に帰り 私は最後まで何度も見て最後は迎えに来てもらい 家に着く前に負われて寝てしまった覚えがあります、記憶にあるのは多分東京キッドだと思います、その後誕生日に一流館に「蜂の巣・・・?」に連れてもらったのですが 隣が西部劇をやっていて 洋画の初めての出会いで 駄々をこねてそっちを見ましたが なんだかさっぱりわからす 途中「面白いか?」と言われ 意地を張って「うん面白い」と答えたのが今も記憶に残っています、その後ひばりさんの雪之丞変化が最後で 中学に入ると洋画を見るようになって急にひばりさんが嫌にったのを覚えていますが 50前後からは 戦後 美空さんと三船さんの役割は大変大きなものだったと尊敬するようになりました。その後の話は又にします。

予告編:実は家庭の事情で 京都祇園(今はありません)の父のお店で生活するようになり ひばりさんや三船さんに会うことができました、私の見てきたのは 銀幕の裏側と思います、今のようにカメラが普及していないころ、ご来店いただいた若き方々の写真が残っていますので 紹介したく思います よろしくご指導下されば幸いです。
 
 
 
Unknown (Bianca)
2014-03-05 12:58:50
眠眠洞さま
始めまして、コメント有難うございます。検索でたどり着いていただいてうれしいです。多分「追悼・山田五十鈴」からお出でになったのでしょうね。貴方は私と1歳違いですが育った環境はずっと良くて鑑賞の歴史は私より充実しているようですね。「本編」を楽しみにしています。
 
 
 
山田五十鈴さん親子 (眠々洞)
2014-03-07 15:08:13
んにちは
この間は 早速のコメントありがとうございます、
私の場合 映画は大好きですが 表現力が乏しく どれほど語れるか心配です。
 今回は私が知る 山田五十鈴さんと嵯峨美智子さんのことです、山田五十鈴さんは 確か私が
小学生低学年だったと思います なんとなく母(育ての母=大阪の母)に似ていたのでよく覚えています、当時話題になった「原爆の子」というのを 京都の母に連れられ見に行きました、当時山田さん親子は店のお得意さまで よく来られていました、そんな関係で 当時の芸能雑誌「平凡」「明星」取材や、写真撮影でご利用していただいたようです。多分そんな関係でファンの会に入っていたので見に行ったと思います、子供ながらも強烈な印象を持ちました。後日京都祇園花見小路を南に200m行ったところに「弥栄会館」があり そこでファンの会がありましたので 母と出かけました。そのときの印象ですがうっすらとだけで あまり残っていませんでしたが、そのとき出された「プリン」がこんなおいしいものがあるのかと 感動したことだけが今も残っています。ファンのお一人が「原爆の子」について尋ねられ いろいろ語って折られたシーンだけは覚えていますが 何を言ってられたかはまったく覚えていません、ただただ「プリン」がおいしかったことが・・・。嵯峨さん(当時18~19歳)は山田さんに連れられて来られたのが最初で きっかけは平凡か明星の取材だったと聞いております、写真としては楽屋で山田さんが髪を直している いかにも親子という感じです。また店のお得意様の家族が 山田さんの大ファンで ご来店に居合わせ 皆さん山田さん親子とご一緒に記念撮影されました、今も写真がのこっています。当時の嵯峨さんは子供ながらにも きれいなお姉ちゃんでした。写真の嵯峨さんは 「こつまなんきん」でみる色香はなく とても初々しいですね。その後来られるたびに なんだか大人になって行き 酔っ払った嵯峨さんに母が手を焼いていた記憶があります。今から考えると 森美樹さんの死があってからかもしれません。とにかく親子で写真撮影があった当時は 後から聞いた話では とても仲がよかったようです。嵯峨さんのその後の印象は映画で 中でも「こつまなんきん」は筋書きはあまり覚えていませんが、なんともいえない独特の声が耳に今も残っています、その後はなんだか もともと厚くない唇が だんだん厚くなり 後に見たTVドラマ(多分NHKだったと思いますが)での唇は ちょっと気持ちが悪かったのを記憶しております。ほかに父に聞いた話があるんですが 言うとだめと思いますので・・・・。

そのほか嵯峨さんの写真は:撮影所でのお姫様役・出演者と姉さん役でのスナップ・北上弥太郎と婦人警官の格好でのスナップなど・・・。

続きは山田さんのことからお話します
 
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