映画の感想など・・・基本的にネタばれです。
しづのをだまき
天使は自己満足
某月某日
週に2-3回通うプールでは、騒音が苦手なので、水泳教室の子どもと一緒にならないよう時間帯を選んでいるのだが、その日はばったりと遭遇した。着替えてシャワーに向かう途中、丸はだかの女の子が「トイレが怖い!一人で入れないよ」とベソをかいている。子供特に女児は苦手とはいえ、集団ではないし、この無防備状態だから、否も応もない。「じゃついていってあげるから」という言葉が飛び出した。ドアを開けたままの個室で、しゃがむ子の後ろに立っていたら「お尻がふけないよ!」とまた泣き声。やれやれ、と思いながら、「いいよ、拭いてあげるよ」と、こんな手伝いは未経験だが紙を切り取ったら、自分で受け取って、慣れた様子でふいた。「何だ、上手に出来るじゃない、えらいえらい」とほめてやった。その後シャワー室の床に脱ぎ捨ててある小さい水着を拾って着せようとしている最中、女性コーチが飛んできた。
同じ日、そのコーチに出会ったので、話しついでに「あの子、何歳なんですか」と聞いたら、「4歳で、もうじき5歳です」との答え。2~3歳だとばかり思っていたので、ぎょっとした。「親がしつけるべきですよね」というと「お母さんが何でもしてやるようです。ここでは、なるたけ、自分でするようにと、わざと突き放しています」という。
帰って話すと「その子はいちばん頼ってはいけない人に頼ったんだね」とKは笑っていた。
教訓
1.4歳ー5歳の女児といえば人の面倒も見られる歳だと思うが(私は同じ年頃で、何でもこわがる10歳の兄の保護者を自任していたことがある)トイレさえ一人で行けないとは。
2.どんな子供ぎらいの人でも、突然、裸で助けを求めている子に出会ったら、たちまち天使のような気持ちになる(むしろ子供嫌いだからこそ、というべきか。むらむらとして悪魔的行為に及ぶのは、どちらかといえば「子供好き」の部類の人だろう)。子供との間にそういう関係が出来ると、人類と和解したような、天下無敵の気分になる。
3.ただし、それは自己満足で、実は、教育的配慮を無にした、単なるお節介だった。
週に2-3回通うプールでは、騒音が苦手なので、水泳教室の子どもと一緒にならないよう時間帯を選んでいるのだが、その日はばったりと遭遇した。着替えてシャワーに向かう途中、丸はだかの女の子が「トイレが怖い!一人で入れないよ」とベソをかいている。子供特に女児は苦手とはいえ、集団ではないし、この無防備状態だから、否も応もない。「じゃついていってあげるから」という言葉が飛び出した。ドアを開けたままの個室で、しゃがむ子の後ろに立っていたら「お尻がふけないよ!」とまた泣き声。やれやれ、と思いながら、「いいよ、拭いてあげるよ」と、こんな手伝いは未経験だが紙を切り取ったら、自分で受け取って、慣れた様子でふいた。「何だ、上手に出来るじゃない、えらいえらい」とほめてやった。その後シャワー室の床に脱ぎ捨ててある小さい水着を拾って着せようとしている最中、女性コーチが飛んできた。
同じ日、そのコーチに出会ったので、話しついでに「あの子、何歳なんですか」と聞いたら、「4歳で、もうじき5歳です」との答え。2~3歳だとばかり思っていたので、ぎょっとした。「親がしつけるべきですよね」というと「お母さんが何でもしてやるようです。ここでは、なるたけ、自分でするようにと、わざと突き放しています」という。
帰って話すと「その子はいちばん頼ってはいけない人に頼ったんだね」とKは笑っていた。
教訓
1.4歳ー5歳の女児といえば人の面倒も見られる歳だと思うが(私は同じ年頃で、何でもこわがる10歳の兄の保護者を自任していたことがある)トイレさえ一人で行けないとは。
2.どんな子供ぎらいの人でも、突然、裸で助けを求めている子に出会ったら、たちまち天使のような気持ちになる(むしろ子供嫌いだからこそ、というべきか。むらむらとして悪魔的行為に及ぶのは、どちらかといえば「子供好き」の部類の人だろう)。子供との間にそういう関係が出来ると、人類と和解したような、天下無敵の気分になる。
3.ただし、それは自己満足で、実は、教育的配慮を無にした、単なるお節介だった。
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