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「生きる希望」

これは父の死後見つけた新聞の切り抜きである。

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       生きる希望 

           S・K 日向日日新聞「日曜随想」1950年5月21日

 長い間の戦争によって我々は苦難と不幸の中に引きずり回された。続いて敗戦による世の中の混乱動揺は名状すべからざるものであった。いわゆる虚脱の状態がつづいた。その虚脱から漸く生き還ろうとする昨今でも我々の見聞する世相は如何にも暗い。虚無的で自暴自棄的な人間が満ちているようにさえ見える。そこで人々は唯本能的に動物的に生きつづけているにすぎぬのではなかろうかと疑いたくなってくる。しかし私は否、決してそうではないと思う。

 これらの虚無的な人々の存在は社会の混乱にどうてんした不幸なる例外と考えることにしたい。何故なれば人間は良心というものを持ち人生の真実をいとおしむものであるからである。真実を感じ得る心こそ古今も東西も変らぬ人間の真骨頂なのである。人々が心と心に相触れ得るというのはここにあるといってよい。真実なるものこそ美しく、唯真なるもののみが永遠に人々の心の拠り処なのである。真実への期待あるいは愛着こそ何時如何なる世にも生きつがんとする希望の燈を人々の胸にともすのである。

 敗戦国民の我々は生活の困難にあえぎながら漸くにその日を過している状態であって、決して楽しい人生を経験しているとはいえない。千数百年の昔、我等の遠い祖先の一人が「み民われ生けるしるしあり天地の栄ゆる時に会へらく思へば」と歌いあげたことを思い、昭和の現代に生くる我等自身のことを思い合わすならば、まことに感慨無量と言わねばならぬ。実に我等八千万の日本人にして幾人か生けるしるしありと昭和の代を歌い上げるものがあろう。多くの人々が唯生きて行くだけが精一杯なのである。

 生けるしるしありと言あげる余裕などあるはずがない。がしかしそれにも拘わらず私は、我我の心の奥底に何かひそかにたのむものが、こうして生きている限りは何か生き甲斐をかんじているものが潜在しているのであると信じて疑わない。生き甲斐のない世の中では決してないのである。試みに思って見よう。私達はだれでも現在あるいは過去に自分にとって親しい幾人かの人々を持っている。親兄弟、妻子、恩師、友人等。それは現在生きている可愛いわが子であってもよし、また遠く離れていて久しく会う事もない友人であってもよし、あるいは既に亡くなって今はこの世にいない母の事でもよい。私たちの心に互いの利害得失を離れた純愛の真実さをもって思い起すことの出来る人達の上を思い出すならば、しみじみ心の温まる思いがして矢張り生きていることを感謝する気持になれないであろうか。

 またも一つ他の例を取って見よう。敗戦日本の国民にも歴史の教える遠い過去がある。そして我等の祖先が千数百年の昔に成し遂げた文化の数々を今に見ることが出来る。万葉集だとか古事記だとか世界の何処に出しても恥しく無い、このようなすぐれた文学を我々の祖先が我々に遺してくれたのである。また法隆寺のもつさん然たる文化はどうであろう。優れた素質と人間の深い真実に対する欲求なくしては到底なし得ないこれらの仕事を立派に成し遂げた人人の血を受け継いだ子孫であることを我々は十分に自覚してよいのではないか。すぐれた文化国家として立ち上り得る素質は祖先より受け継いで我等の血脈に脈うっていることを自覚すべきではなかろうか。灰じんの中から飛び立つという不死鳥のごとく、敗戦の四等国民であるという劣等感の中から勇気をもって立ち上がるべきではないか。

                    (生目村在住・医師)

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この時わが家は宮崎から鹿児島に移る最中で、父は一人だけ残って残務整理していた。父は戦後宮崎郊外で開業していたが、母は、一刻も早く鹿児島市に帰りたがっていた。そこは一面の焼土と化していたのだけれど。

太宰・坂口などと比べこの文章の調子の高さにおどろいたのだが、当時の日本は初の敗戦を喫し米軍に占領されていたこと、そして現在45歳の筆者は、15年間の戦争を含む過去20年間に、父・母・弟・義弟をつぎつぎとなくし、一方で5人の子をなし、そして今、故郷の山河、父母の墓、親しいひとびとと別れようとしていることが背景にはある。希望と不安、棄郷への忸怩たる思い、懐郷と哀惜の念が凝ってこのような調子になったのではないか。万葉集・法隆寺とか師・母・妻子・友への言及はいかにも彼らしい。この思いは、後日のオリンピック1964やその他への感想にも続いているようだ。

→「父のオリンピック」19-7-15

→「ふんどし医者」12-5-28

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