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映画「幸福なラザロ」

2018 伊 DVD鑑賞 監督アリーチェ・ロルバケル

借りて来たDVDが面白く、久しぶりにアップする意欲がわいた。
このラザロとはキリストのおかげで墓場から生還した聖書の人物だ。
題名がうっとおしくて初めは敬遠していた。というのも、ラザロの聖書中の地位が、あまりぱっとしない。何しろ生きている間何を言ったりしたりしたのか何も書いてない。最初から死んで墓の中にいるのだ。キリストの超能力を証明すためにのみ登場する、徹底して受身な男なのだ。「幸福な」という形容詞自体に、なんだか説教臭さを感じる。
 ではあるが、この女流監督の感覚のすごさを感じさせる映画だ。
ものがたりは実際にあった、中世の貴族と小作人のような関係を保ちつつ、現代社会と隔絶して暮らしていた小村が、ある事件で発覚して、貴族は逮捕され、村人は事情聴取のため警察に呼ばれ、村は消滅してしまう。ラザロは、貴族に搾取されている小作人からも搾取される、最下層民だ。しかし心清らかで働き者だ。やがて都会に出たものの家もなく貧しくその日暮らしをする村人たち。ところがずっと前に行方不明になり死んだと思われていたラザロが、当時のままの若々しい姿で出現する。奇跡だと思い、地面にひれふす女性。当時幼児だった子は若者になり、美しかった貴族の息子は中年太りになっている。時の流れに観衆は驚く。

注目すべきは、村人たちは搾取されたことを恨むでもなく、少し優しい言葉をかけられるとあり金はたき高級菓子を買って昔の領主宅に持参する、このところは「インドへの道」の印英関係を思い出させる。戸外の労働・家事・育児・老人介護と言われるがままに周囲に奉仕するラザロの姿は、且ての専業主婦を彷彿とする。

ラザロには資本主義経済以前の自然の息吹が感じられる。道端に生えている食材を採集するところや、貴族の息子との山でのふれあいとか、身辺にいつも漂うオオカミの気配とか。最後に彼の傍に犬がふっと現れたかと思うと、とことこと村への道を去って行く、実は狼だったとわかるシーンはとりわけ感動的。細部のリアリズムと、その中に流れる骨太の思想、イタリア映画のすばらしさを再認識させられた。


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