乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

鬼ヶ城   熊野市木本町  (15景)

2019年08月11日 | お出かけ


    鬼ヶ城   熊野市木本町  (15景)


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 



 隆起と風化と波の浸食によって生じた自然の芸術で、熊野灘に面して延々1Km続く、国の名勝・天然記念物。
 山頂には、戦国時代の城跡があり、熊野古道・松本峠と連結するハイキングコースが整備されています。
 鬼の見晴台といわれる展望台からは、熊野灘が一望できます。


 鬼ヶ城(おにがじょう)は三重県熊野市木本町にある海岸景勝地。国の名勝(「熊野の鬼ケ城 附 獅子巖」〈くまののおにがじょう つけたり ししいわ〉)の一部である。
 熊野灘の荒波に削られた大小無数の海食洞が、地震による隆起によって階段上に並び、熊野灘に面して約1km続いている。
 志摩半島から続くリアス式海岸の最南端で、これより南はなだらかな砂浜の海岸(七里御浜)へと変わる。
 東口から山頂へ通じるハイキングコースには桜が植えられており、春には4種類の桜が次から次へと開花して長期間花見が楽しめる。

 1935年(昭和10年)に国の天然記念物に指定された後、1958年(昭和33年)に獅子巌が追加指定され、名勝および天然記念物「熊野の鬼ケ城 附 獅子巖」となった。
 ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』(2004年7月登録)の一部[2]。また、日本百景に選定されている。


 坂上田村麻呂伝説
 坂上田村麻呂が桓武天皇の命を受けて、鬼と恐れられこの地を荒らし廻っていた海賊・多娥丸(たがまる)を征伐したという伝説。


 鬼ヶ城本城
 室町時代(1523年頃)に有馬忠親が隠居城として山頂に築城した日本の城。
 有馬氏はのちに堀内氏によって滅ぼされる。堀内氏は豊臣秀吉に仕え、関ヶ原の戦いまで当地を治めた。
 山頂と熊野古道の松本峠を結ぶハイキングコースには3本の掘切が今でも残っている。

 (ウィキペディア)



 住所
 〒519-4323 熊野市木本町
 電話番号
 0597-89-4111(熊野市観光スポーツ交流課)
 公式URL
 http://onigajyo.jp/
 公共交通機関でのアクセス
 ・JR紀勢本線「熊野市駅」から「大又大久保行き」バス約5分「鬼ヶ城東口」下車すぐ
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 乱鳥の今更人に聞けない言葉... | トップ | 『日本絵画の転換期 酒飯論... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (小父さん)
2019-08-11 22:51:35
恥ずかしながら、こんなにも素晴らしい所、知りませんでした(汗)

また、Ranchoさんの撮影のお上手なことに感心しています。
最初の1枚目だけでも穴の向こうに小さく覗いているアベックが自然が織りなす造形を際立ていますよね。

ところが、下にスクロールするとこれでもか、これでもか!と小生のような写真を撮ろうかとしているへたっぴを痛めつけてくれます(笑)

写真も相当やられましたね!
絵も描かれてましたか?

有難うございました。
返信する
小父さんへ (Rancho)
2019-08-12 01:09:43
嬉しいコメントをありがとうございます^^

本来はもっと歩けたようなのですが、あちらもこちらもロープが張られて行き止まりでした。

道が不安定なのか、なんだかは説明が書かれてませんでしたのでわかりません。

見えるところは大きく分けて二種類の地質が分かれている部分が多く、面白かったです。

泥岩なのでしょうか?
侵食が激しく、ボコボコに穴が空いていたり削られていたりしていました。

奈良に住んでいると痛感します。
海を見てゆっくり、一日、過ごして見たいです。
返信する

コメントを投稿

お出かけ」カテゴリの最新記事