乱鳥の書きなぐり

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ネガティブ思考を生かせ! 人間関係編 貝となって我が道を進み、自分の趣味を楽しみたいとただそれだけを願い、本と遊ぶ。

2024-06-07 | 乱鳥徒然 Rancho's room.

 うっとうしい話ですが、、、

 ネガティブ思考を生かせ! 人間関係編 貝となって我が道を進み、自分の趣味を楽しみたいとただそれだけを願い、本と遊ぶ。

 

 人はどうして攻撃してくるのか。

 一説によれば、攻撃される側が気になる、目立つ、或いは目障りである。

 同時に、攻撃する側が不安で自信がない部分を補いたいがために、上のような人を自分の得意分野で蹴落とし安心したいがためと、心理学関係の書物には気さえされている。

 あくまでも自分の明るい分野に特化して、見下すのだという。

 よって相手の得意分野には触れない。

 また不意打ちの質問に対して答えられないあるいは間違うと、重箱の隅をつつくような意気込みで突っかかり罵倒する。

 こういった心理状態の輩は心理学的には解明されてはいるが、攻撃にあった善良な市民本人はたまったものではないことを付け加えておきたい。

 ただし、輩が期待するほどに攻撃された側は何とも思っておらず、むしろお気の毒な方だといたわりの気持ちさえ芽生え、同時に、自分の世界を一層深めて充実した時間をつなぎ合わせていこうという気持ちを強く保ち、成長過程に立たせていただいているとばかりに感謝こそしている次第である。

 

 世の中には本当の意味で賢い方々が多くいらっしゃる。

 そういった方々は、総じてお優しいことが多いように感じる。

 だが、中途半端な輩は人によって態度を変え、ターゲットにした相手にことごとくいわれのない文句を言って安心しておられる。そういった方をお見受けすると、お気の毒だなぁと感じる。

 

 最近であったそういったお二人を記録しておこう。

 

 古典関係の質問を突然してこられるので答える。

 講義中先生がそれについてのべられたがわたくしの意見とは少し異なっていた。

 授業後、嫌みな強い口調で

「間違っていましたね!」

と大声で言い、風のように去る。

 ?うん?

 間違ってなどない。

 あれは先生のお考えで、私の考え方もまたしかりである。

 しかも突然の質問でその場で回答した私って、なかなかのものであると自画自賛する。

 

 大学入試で、自分の作品の答えを見た複数の作家が、

「こんな考え方もできるんだ」

と感心したという話は有名である。

 数学ではないのだ。

 受け取り方はいくつも考えられる。

 本を読んだことがないのかと疑りたくなるが、私は無言で貝となる。

 

 またある日も、突然の質問を二つもしてこられる。

 私が全く知らない旨を伝えると、

「◎◎◎ムについて何でも知ってると言っていたでしょう」

と強い口調で攻撃される。

【何でも知ってる】訳がないし、【何でも知ってる】というはずがない。

 

 またある時にも突然の質問で、某研究者の一つの言葉尻を取り上げて、どういった意味かと尋ねてくる。

 知らないというと、その時も、

「某研究者の本は全て読んだと言っていたでしょう!」

と非難し罵倒する。

 何のことはない。

 その研究者の書物は二冊読んだとは言ったが、全て読んだとは言ってない。

 家族の本棚にほとんどの書物はあったといったというお粗末なもので、どちらにしてもわたくしも含めて、両人ともレベルが低い。

 

 ここでも攻撃性の強い相手方は本を読んだことがないのかと疑いたくなる。

 私はその研究者の書物は二冊読んだだけだが、仮に全てを読んでいたとしても、突然質問してきた たった一つの詞に引っ掛かりがあったか、覚えているか、意味が分かるかは定かではない。

 一冊の本を読み、一か所に引っ掛かりがあった場合、その書物は良書とされる。

 逆に言えば、すべての言葉を覚えているか、理解できているかは天文学的に難しい。

 それを攻撃して、悦に浸る無能さをご自身は理解すべきだ。

 

 柳田国男にせよ源氏物語にせよ、索引が一冊にまとめられている。

 言葉数が多いので索引にまとめて弾けるようにしているのだ。

 こういったことから考えても、多くの発表をなさっておられるる研究者の一つの言葉だけ、前後の文脈もなく質問してくるご自分のバカさ加減を自覚すべきであるなどと内心は思っても、怖いので、私はここでも自分の意見を抑えて貝になる。

 

 攻撃性がひどいせいか、公機関の他でも、問題を起こされていらっしゃる。

 わたくしにだけの質問あるいははないのだと胸をなでおろし、ほくそえむ。

 また、私が判本のコピーと岩波新古典文学大系で『きりつほ』を読んでいると、上の方とはまた別の 毎回嫌味を言ってくる方が、許せない決定打を云い放つ。

人「岩波の元本を調べて、それのコピーを取ればいいのよ」

私「そうですね、、、」

人「岩波の元本を調べたらわかるでしょ、それと同じのをコピーすればいいのよ」

私「そうですね、、、」

人「岩波の元本、わからない?調べて、、、、、、」

私「違う意見が読みたいから、本元の違うものを2種類コピーさせていただいてるのです。」

人「ムムム、、、源氏は難しいからわからないは。(古文書の)文字だけおってても無駄だわ。」

私「そうですね、、、」

人「表面だけ読んでても、源氏は難しいから、わからないわ。」

私「そうですね、、、」

人「源氏は難しいから、絶対にわからないわ!」

と吐き捨てられた。

 

 確かに源氏物語は難しい。

 会話などにおいてはまずどの部分が会話かで悩む場面をあったり、だれが話したのかも理解しがたい部分がある。

 なので奈良教育大学の源氏物語の講義の終わりに質問させていただいた。

 するとその教授は、誰が言ったのかわからない箇所があると教えてくださった。

 例えば、、、と丁寧に教えてくださる。

 また二人の仕舞のどちらが話したかは研究者の間でも分かれていると教えてくださった。

 

 またどこが会話かが分からない場面もあるという。

 その教授がおっしゃるには、わざとぼかしている場面があるそうだ。

 道理で源氏物語は難しいはずだと納得した。

 

 古文書の文字だけなら容易に読めるであろうが、こと内容までとなるとなかなか手ごたえがある。

 岩波新古典文学体系の元本に合わせてコピーするよりも、上にも書いたが違う版元でどのように違った表現がなされているかを味わう方が面白いのである。

 いくら馬鹿にされても反撃せず耐え忍ぶ。貝となって我が道を進み、自分の趣味を楽しみたいとただそれだけを願い、本と遊ぶ。

 

 多くの趣味を持ち、自分の世界を持つ身なのでいくら攻撃されてもびくともしない。

 かえって自分を見つめなおす機会を与えられたことに感謝している自分に気づく。

 趣味が多いので、他人様の攻撃はプラス思考に切り替えることができる。

 何事も、ありがとうの精神で、自分のやりたい道を進もう。

    平常心是道

    和を以て尊し

    充実の時間をつなぎ合わせる

 そんな気持ちで、楽しもうと思う!

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