金々先生造化夢 10 八丁裏 九丁表 山東京伝 作 北尾重政 画
寛政6年 版元 蔦屋重三郎
金々先生造化夢 山東京伝 作 北尾重政 画
山東京伝 1761-1816
北尾重政 1739-1820
[江戸] : [蔦屋重三郎],
寛政6[1794]序
黄表紙
一冊 19cm
読んでいるのは、早稲田大学デジタルライブラリー
ヘ13 02056 0012
八丁裏
ぢのしたハ
しつけが
おほ
いか
ら
つい
たち
十五日、廿
八日にハ
そうじゆつ
をたく
なり、それ
だから
地神た
ちハ、ついた
地、十五日
の礼にを
そう
じつ
の御
しうぎや
上ます
と
いふ、
八丁裏 下
天ぢよくでばかり、ほねをおるかとおもへハ、地の
下にても地神といふものあつて、おほく
の手下の地神
をあ
つめ
に
ひを
さかせ
たり、みを
いらせ
たり
する、か
らく
り
の
いと
を
ひき
給ふ、
八丁裏 中
此所竹田の
しばいのゑん
の下のごとし
どこぞのだるま
のぢぐらの
ようだ、
八丁裏 中
まづわせのいとかき
きゝひきやれ
八丁裏 中
これ又きん/\
せんせいにくハする
ちゃづけめしの
ために、かくしん/\
志給ふなりされバ、
かゝるてんちのをんをあだに思ふものハ、
もくぜんにばちもあたるはづなり、
九丁表
天地のめぐみにていね
にみいりけれバ、百しやう
の仙人、これをうり
とりて、もみを
うすでひい
たり、からさ
ほでうつたり、
なにやかやして、やう/\こめ
になる、これまでのしん/\、いか
ばかり ならんや、よく/\感
がへ思ふべきなり、
「きん/\先生、だい所へなり
のぼりにいつたやうに
此亭をみて、でき、
あきのみのりとほめる、
九丁表
いなかそだちの仙女
すゞむ 手のづけの
くしに、ぎんなかしの
かんざし、手とり
もめんのやなぎ
に、けまり、ぐつと
はづんだ いでたち
と、みへる、
九丁表 下
からさほと
うつハいゝが
ものまへに
ざぶを
かさね
やうに
せい
だし
たが
いゝ
此所竹田の
しばいのゑん
の下のごとし
どこぞのだるま
のぢぐらの
ようだ、
竹田のしばい(竹田の芝居) (日本国語大辞典)
江戸時代、大坂道頓堀、太佐衛門橋南詰東入ル浜側に創設されたからくり人形芝居。
寛文二年(一六六二)竹田近江が開場したもので、からくり専門の芝居としては日本最古のもの。
人形、屋台、道具の類が、機械仕掛けで動くようにした見せ物。
のち類焼で移転し、小芝居の歌舞伎となったが、劇場は明治九年(一八七六)まで存続した。
竹田の座。
竹田のからくり。
竹田の細工。
竹田のしばい(竹田の芝居) (大辞林)
江戸時代、大坂で興行されたからくり芝居。
1662年、竹田近江(?~1704)が創始。
初期はからくりのみ見せたが、のちには子供芝居を加えた。
人形浄瑠璃芝居とは異なる。
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