乱鳥の書きなぐり

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金々先生造化夢 10 八丁裏 九丁表 山東京伝 作  北尾重政 画  寛政6年 版元 蔦屋重三郎

2020-08-20 | 山東京傳

 

 金々先生造化夢 10 八丁裏 九丁表 山東京伝 作  北尾重政 画

 寛政6年 版元 蔦屋重三郎

 

 金々先生造化夢 山東京伝 作  北尾重政 画

 山東京伝  1761-1816

 北尾重政 1739-1820

 [江戸] : [蔦屋重三郎],

 寛政6[1794]序

 黄表紙

 一冊 19cm

 読んでいるのは、早稲田大学デジタルライブラリー

 ヘ13 02056 0012

八丁裏 

ぢのしたハ

しつけが

おほ

いか

つい

たち

十五日、廿

八日にハ

そうじゆつ

をたく

なり、それ

だから

地神た

ちハ、ついた

地、十五日

の礼にを

そう

じつ

の御

しうぎや

上ます

いふ、

 

八丁裏 下

   天ぢよくでばかり、ほねをおるかとおもへハ、地の

   下にても地神といふものあつて、おほく

   の手下の地神

   をあ

   つめ

   に

   ひを

   さかせ

   たり、みを

   いらせ

   たり

   する、か

   らく

   り

   の

   いと

   を

   ひき

   給ふ、

   

八丁裏 中

  此所竹田の

  しばいのゑん

  の下のごとし

  どこぞのだるま

  のぢぐらの

  ようだ、

 

八丁裏 中

  まづわせのいとかき

  きゝひきやれ

 

八丁裏 中

  これ又きん/\

  せんせいにくハする

  ちゃづけめしの

  ために、かくしん/\

  志給ふなりされバ、

  かゝるてんちのをんをあだに思ふものハ、

  もくぜんにばちもあたるはづなり、

 

九丁表

天地のめぐみにていね

にみいりけれバ、百しやう

の仙人、これをうり

とりて、もみを

うすでひい

たり、からさ

ほでうつたり、

なにやかやして、やう/\こめ

になる、これまでのしん/\、いか

ばかり ならんや、よく/\感

がへ思ふべきなり、

 

「きん/\先生、だい所へなり

 のぼりにいつたやうに

 此亭をみて、でき、

 あきのみのりとほめる、

 

九丁表

いなかそだちの仙女

すゞむ 手のづけの

くしに、ぎんなかしの

かんざし、手とり

もめんのやなぎ

に、けまり、ぐつと

はづんだ いでたち

と、みへる、

 

九丁表 下

   からさほと

   うつハいゝが

   ものまへに

   ざぶを

   かさね

   やうに

   せい

   だし

   たが

   いゝ

此所竹田の

しばいのゑん

の下のごとし

どこぞのだるま

のぢぐらの

ようだ、

竹田のしばい(竹田の芝居)  (日本国語大辞典)

 江戸時代、大坂道頓堀、太佐衛門橋南詰東入ル浜側に創設されたからくり人形芝居。

 寛文二年(一六六二)竹田近江が開場したもので、からくり専門の芝居としては日本最古のもの。

 人形、屋台、道具の類が、機械仕掛けで動くようにした見せ物。

 のち類焼で移転し、小芝居の歌舞伎となったが、劇場は明治九年(一八七六)まで存続した。

 竹田の座。

 竹田のからくり。

 竹田の細工。

竹田のしばい(竹田の芝居) (大辞林)

  江戸時代、大坂で興行されたからくり芝居。

 1662年、竹田近江(?~1704)が創始。

 初期はからくりのみ見せたが、のちには子供芝居を加えた。

 人形浄瑠璃芝居とは異なる。

 

 

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