行きかふ年もまた旅人なり

日本の歴史や文学(主に近代)について、感想等を紹介しますが、毎日はできません。
ふぅ、徒然なるままに日暮したい・・・。

信長の野望・武将風雲録ふたたび

2019-01-15 07:35:24 | Weblog
 年末年始の休みに、故・成田三樹夫氏演じる今川義元(大河「徳川家康」1983)を視聴する機会があり、この今川義元なら桶狭間で敗死することは無かったろうに・・・と思い
、なぜか信長の野望・武将風雲録に手を付けた。
 武将風雲録や天下統一Ⅱあたりが個人的に好みなので、今更感満載だったが武将風雲録1555年シナリオで開始した。

 内政を充実させ、自前で鉄砲や鉄甲船を製造できる技術力を高めるため、当面外征は行わず内政に専念した。
実力モードを選択すると、敵国に鉄砲、鉄甲船配備がデフォルトになり、撃ち合いで面白くなくなるから上級モードを選択した。

 スタート当初は内政優先のため、三河に今川義元、太原雪斎、松平元康、石川数正、酒井忠次を集結させ内政を行う。
1560年4月まで内政・軍備の充実を図り、いよいよ尾張へ侵攻した。
 野戦マップは桶狭間。
 織田家の鉄砲配備に苦しめられたが、ついに今川義元が織田信長に勝った!最後もやはり雨だった。

 その後、美濃に侵攻し、史実では敗死していた齋藤道三が存命で道三と対決。齋藤家は美濃の他、飛騨・越中まで侵攻しており、美濃で道三を撃破し、飛騨へ追いやった。

 織田家への侵攻前、武田の間者が暗躍し、駿河や遠江で一揆の扇動を再三行っていた。甲相駿三国同盟で縁戚関係を締結しているため、武田家の取り得る戦略は美濃、越後、上野、武蔵方面で、そちらに専念していれば良いのに、我が今川家に余計なことをしていた。
 もはや我慢の限界、と武田家との同盟を破棄し、美濃から信濃に侵攻、嫁いだ姫は磔に処されたが信濃に続き、甲斐も平定し、武田家を滅ぼした。野戦において、武田信繁はしっかりと討ち取った。
 次に相模・北条家へ侵攻。神奈川県民としては、三増合戦を再現させたく、甲斐から相模へ侵攻した。
ここでも難なく野戦で北條氏康を撃破し、武蔵へ追い払った。

・・・というところで、満足したため久々の武将風雲録は終了した。

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