こんな本を読みました

気ままで偏りのある読書忘備録。冒頭の文章は、読んだ本からの引用です。

『追悼の達人』(嵐山光三郎)

2014-02-07 | ルポ・エッセイ
小説家への追悼は文芸である。
文の達人が全霊をかけて書きあげた作品である。

(あとがきより)

 昔から、有名人の葬式中継などがあると思わず見入ってしまう。さして興味のなかった人でも、周囲から
どのように思われていたのか、弔問客の表情や言葉が気になって仕方ないのだ。自分もこんなふうに惜しま
れて逝きたいという憧れ、究極の自意識の発露か?とも思うが、そんなふうに願う人間に限ってしぶとくこ
の世に居座ってしまう気がしてならない。
 それはさておき、おもに明治~昭和の文豪が追悼されるさまを、物故年代順に並べたこの記録、嵐山氏の
キレのある文章と分析でひとつひとつが作家の評伝にもなっていて、たいへん興味深く面白かった。「人が
死ぬのは突然だから、書く側はまだ心がうち震えており、生前の記憶が強く残っている。それで、心情をナ
マのまま書く。」追悼には本心が出る、だから目をつけた、と嵐山氏はあとがきで続けている。
 泉鏡花や川端康成が追悼の達人だったり、それでも残された家族の回想がいちばん心に迫ったり。長生き
した人はまわりもボケているのでろくな追悼がもらえない…などのシニカルな視点も面白い。何より文学史
から派閥から人となりから人間関係から、すべてを網羅して読みやすく仕上げる嵐山氏の手腕に驚いた。こ
んな人だったんだ。最近見ないけど。『文人悪食』も読んでみよう。
 しかし昔の文学者は本当に夭折した人が多い。文学者に限らないか。そのぶん、濃い人生だ。必ず誰かと
喧嘩してるし、喧嘩をふっかけてまわった人もいる。…そら、長生きできんでこんな生き方。ま、ゆるゆる
ぬるーく生きてるだけでは文学なんか生まれないか。…最近はそういう小説も多いけどね。時代ですな。

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