希望ある社会 自分の手で
テレ朝系 不破さん、若者にメッセージ
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戦後を生き抜いてきた政治家が若い人に語る―テレビ朝日系「サンデープロジェクト」が番組二十周年スペシャル企画として十一日に放送した「激動の歴史を語る」。日本共産党の不破哲三前議長(78)が、中曽根康弘元首相(89)、土井たか子元衆院議長(79)と語り合いました。(発言詳細)
スタジオには、学生五十七人が同席。司会者が「日本の未来に希望が持てるか」と問いかけると、希望が持てると持てないが半々の結果でした。
その学生たちに、どんなメッセージを送るか。不破さんは、自らの青年時代とも比較してこんな言葉を贈りました。
◇
不破 われわれの若いころ、あの時代は社会も貧しかったですよ。われわれの生活もものすごく貧しかったです。だけど、新しい社会をどうつくるのかということにつながるエネルギーはみなぎっていましたよね。
だから私は、社会とか政治とかを与えられたものとして、そのどこに自分の居場所があるかということではなくて、居場所のないような社会は変えて、居場所のある社会をつくる。自分で夢と希望の条件をつくるというつもりで、現在を見てほしいと思うんですね。
今の社会の貧しさを自分の貧しさにしちゃいけないんですよ。今の社会が貧しければ、豊かな可能性が出る社会に変えられるのが国民主権なんだから。国民主権の主権者に若い人たちがどんどんなってほしい。
◇
不破氏の話に、中曽根元首相も「その通りです」と応じました。
番組終了後、学生たちに「ご苦労さま」と声をかけた不破氏。すると学生からいっせいに「ありがとうございました」という声があがりました。
不破さんが語る 戦争 青春 世界 憲法
テレビ朝日系「サンデープロジェクト」 中曽根元首相、土井元衆院議長と出演
終戦―何を握って生きるか、模索が始まる
戦争に反対し抜いた党、マルクスとの出会い
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テレビ朝日系「サンデープロジェクト」の番組二十周年スペシャル企画として、日本共産党の不破哲三前議長、中曽根康弘元首相、土井たか子元衆院議長が十一日、田原総一朗氏の司会で語り合いました。政治家を志した理由、日本と世界をどうみるか、日本国憲法についてなど、不破さんが今を生きる若者に送ったメッセージとは…。(関連記事)
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スタジオでは、十七歳から二十二歳までの学生五十七人が三氏の話に聞き入りました。
その学生たちと同じころの三氏の写真。不破さんは東京大学二年生のころ、メーデーに参加したときの写真でした。当時、不破さんは理学部物理学科。「東大の物理をやって何になろうと思っていたんですか」との田原氏の問いに、不破さんは「別に物理学者になるつもりはなかったんです」「小学校のころは作家になりたかった」と答え、当時の人気作家だった吉川英治氏を訪ねたエピソードを紹介しました。
当時は日本の侵略戦争の真っ最中。田原氏は戦時中の話から敗戦を認めた昭和天皇の放送について質問します。
田原 不破さんは戦争中は勤労動員にいっていた。敗戦の天皇の玉音放送は、どこでどういう形で聞きましたか。
不破 勤労動員は東京の大崎の「明電舎」という工場でした。そこの屋上で工員の人たちと一緒に聞きました。
田原 聞いてどうでした。
不破 私は完全な戦争世代で、生まれた翌年が「満州事変」で、小学校の二年が中国全面戦争、六年が(太平洋戦争開戦の)真珠湾攻撃。小学校のはじめから日本は「神の国」という教育を徹底的に受けていました。「神の国」だから戦争に負けるはずがない、「神の国」だからどこへ出て行っても手を出す権利があるんだと、たたきこまれているでしょ。
その中で八月十四日に「どうも明日の放送は負ける話のようだ」とうわさが流れてきた。(私は)相手にしなかった、そんなことありっこないと。翌日聞いてみたらその話でしょ。担任の先生は泣いて、「この悔しさを忘れるな」と訓示した。そのときはそういう気持ちになるけれども、だけど「神の国」が負けたのですから、これは戦争中の教育が全部崩れますよ。
まだ十五(歳)でしたが、いったい何が本物かとか、何をにぎって生きるべきかという模索が敗戦の中で始まるのです。
田原 世の中に対する疑問がいっぱい出てきた。結局、共産党に行くわけだ。
「日本の戦争」をどうみるか
話題は、日本の侵略戦争をどうみるかにも及びます。中曽根氏が「一流国家になった力のはきどころを間違った方向に持っていった悲劇の戦争だった」とのべたのに対して、田原氏が不破氏に質問します。
田原 間違った戦争だったと。(不破さんは)あの戦争について国会で中曽根さんに質問したそうですね。
不破 国会議員になってから歴代の総理に(侵略戦争への)見方を聞いたんです。最初に聞いたのは田中角栄さん。中国へ行って国交回復した翌年に聞いたら、びっくりした答えが返ってきたんです。「この問題は後世の歴史家が判断するという以外にはお答えできません」。そのことを解決して中国と国交を回復したはずなのに、不思議なことで、反論したんですよ。
次が三木さん、福田さん、大平さん、鈴木さんと、だいたいみんなその線でした。中曽根さんに八二年に代表質問で聞いたんですが、そのとき初めて今までと違う答えが出てきたんです。
「(戦前、戦中のわが国の行為については)国際的には侵略という厳しい批判を受けている。それは事実だ。この事実は政府としても十分認識する必要がある」
首相の答弁で「侵略」という言葉を使ったのは中曽根さんが初めてで、そのあと細川さん、村山さんにいくと思うんですが、そういう答弁が返ってきたんで驚いたんです。
中曽根 私の言った中心は、米英は普通の戦争です。しかしアジアの国に対しては侵略戦争であった。戦争というのは複雑な性格があったんだ。アメリカ、イギリスに対しては、普通の戦争、アジアに対しては侵略戦争だとはっきり言った。
その後、中曽根氏の発言について問われた不破氏は、こう言いました。
不破 太平洋戦争は、中曽根さんと意見が違う。中国侵略を続けるかどうかが(当時の)日米交渉の焦点で、(日本は)最後の段階まで中国から手を引かないとがんばったんで戦争になったのです。あの戦争(太平洋戦争)そのものが日本の中国侵略をやめさせるかどうかを一番の問題にして始まった戦争ですから、アメリカの側からいってもね。だから戦後についての会議をしたときも、アジアの平和の問題がきちんと提起されたのだと思いますよ。
また、日本が中国の戦争を続けるために資源が必要で、(東南アジアなどに)攻め込んだんですし、米英への戦争でも、日本が中国戦争を続けるために火をつけたわけですから。
資本主義の矛盾を見抜いた
なぜ政治家を志したのか。三者三様の答えのなかで、不破さんはつぎのようにのべました。
田原 不破さんは、なぜ政治家になったのか。共産党から(国会に)お出になったのか。
不破 それはまず、なぜ共産党に入ったかから言わないと。さっき言いましたように、戦後(何を握って生きるか)模索していて、あの時代、戦争に反対し抜いた政党があったというのを知ったのが一番の衝撃でしたね。
田原 それが共産党だった。
不破 それとマルクスに出会ったことがきっかけで、十六歳の最後の月、あと数日で十七歳になるというときに、共産党に入ったんですよ。
そのときは、学生でも共産党に入った以上は共産党の仕事を最後はやるものだと―常任活動家になるのは当たり前だと思っていましたから、その点では、政治家というのは私の初心なんです。
ただ、国会議員なんてことは、まったく考えませんでしたね。
(東大の物理を出たとき)担任の教授が、東大の物理が始まってから、今まで物理の道をはずれたのは一人しかいない。将棋指しになった人が一人いると(笑い)。君がそうなれば、二人目だという話をされたこともあるんだけれども、私は勉強したいと思って入っただけで、(物理学を)生涯の仕事にするつもりはありませんでしたから。
「一番尊敬する人はだれか」という質問に、中曽根氏は自民党政治家の松村謙三氏、土井氏は市民活動家の市川房枝氏をあげました。「あえてあげればマルクス」と答えた不破氏と田原氏で次のようなやりとりがありました。
田原 マルクスといえば『共産党宣言』『資本論』を書いた人だけど、どこにひかれたんですか。
不破 マルクスは、政治家ではないけれども、革命家ですよね。彼は、世の中をどう変えるかというために経済学を勉強して、『資本論』も書いたし、全部それで貫いているわけですね。
ちょうど彼が活動し始めた時代は、資本主義はまだ若い時代で、彼も恐慌なんか、自分では『資本論』を書くまでに、二、三回しか経験していないでしょう。(田原「なるほど、なるほど」)
そういうときに、やはり骨太の論理で、一番の根源が利潤第一主義で、これで支配されている社会がこうなるんだということを見抜いた。それから解放された社会を考えて、社会主義・共産主義という発展の方向を示したわけですね。この精神は、今でも、うんと生きていて、マルクスが見抜いた矛盾の枠組みから、資本主義は抜けられないんですよ。
「ソ連崩壊で世界は元気になった」に共感
ここで田原氏が聞いてきたのが「社会主義・共産主義崩壊」論。不破さんは、ソ連崩壊後、世界がどう変わり、どう元気になったかを解き明かしました。
田原 一九八九年にベルリンの壁が崩壊する。九一年にソ連が崩壊するということで、ようは共産党はダメだと、社会主義はダメだと言われる時代がきたんですが、どういうふうに見ますか。
不破 ソ連の共産党の解散の報があったときに、いろいろ予兆があったから驚きませんでした。それ以上に、私たちは三十年以上、ソ連のごう慢な大国主義とたたかってきて、社会主義がこんなものであるはずがないと思っていましたから、この報道を聞いたとき、歴史の妨害物がなくなった、社会主義の看板で逆のことをするものがなくなった。本当に、そういう気持ちでした。だから、その日の記者会見で、「歴史的巨悪の崩壊だ」といって歓迎の話をしたんですよ。
田原 社会主義がダメだったんじゃなくて、間違った社会主義をやっている国がダメになったんだと。
不破 マルクスとの関係で言うと、ソ連は、マルクスが言ったことと全く反対のことをやったんですよね。
それからほぼ二十年たちますけど、世界はずいぶん変わりました。元気な方向に変わってきている(田原「マルクスの方へ行っている?」)。近づいていると思っています。
中曽根氏は「アメリカの風潮を受けすぎて、市場原理主義を教育など経済以外の世界にも入れてきた弊害が日本でも出てきた」と発言。そこで不破氏はさらに世界をどうみるかを語りました。
田原 中曽根さんも市場原理主義に問題があるとおっしゃっている。それとマルクスがどうつながるんですか。
不破 今の世界は、資本主義の国と社会主義をめざす国がありますね。その間に、アジア、アフリカ、ラテンアメリカという国々がある。この国々が、米ソ対決の時代がなくなってから二十年たって、がぜん元気になっているんですよ。
国際政治の大きな力でしょう。それから自分の国の自主性とか、新しい制度をつくろうとするときに、いろんな模索をやるんです。資本主義か社会主義かだけじゃなくて。その動きが、今世界にうんと活力をあたえている。
田原 ただ、ソ連や中国がみんないま自由主義をやっている。自由経済を。これどうみる。
不破 ソ連というのは、あれは体制が全く社会主義じゃないんですよ。
ソ連がなくなって、割合に物が自由に考えられるようになったときに、中国が市場経済を通じて社会主義へいこうという道を追求してきたわけでしょ。中国もベトナムも、それが成功しているわけですよね。
その中でおきる矛盾に一歩一歩ぶつかりながら、是正したり、必要な措置をとりながら進んでいる。この勢いは、やはりすごいものがありますよ。経済の力関係でも、ずいぶんこの二十年間変わりました。
それからもう一つ、アジア、アフリカ、ラテンアメリカが元気を出して、中には、資本主義の枠を超えて、新しい体制を目指そうという動きまで、アメリカのおひざ元で起きているでしょう。
発達した資本主義の国々自体が、昔のようにアメリカの号令一本で動かなくなっている。ソ連がなくなったのに、なぜ号令に従う必要があるのかという声があがってきている。だから、世界全体としてみると、うんと活気づいていてね…。
田原 今に日本でも共産党が天下をとることがある。
不破 ありますよ。二十一世紀はまだ九十年以上ありますけれども、二十一世紀というのは―マルクスは自分の世紀でこそと思ったでしょうけれども―社会主義という問題が、本当の意味で世界的な問題になる時代になりつつあると思っていますね。
不破氏の発言をうけ、コメンテーターの財部誠一氏は次のように発言しました。
財部 今の不破さんのお話、ずいぶん印象深くって。その崩壊した後の発展のプロセスをみて、非常に思うところがありました。
それは何かというと、中国もロシアもベトナムもみんなそうですが、それぞれの国には、それぞれの発展のプロセスがあるということを見せてくれたわけです。
日本が間違えたのは、アメリカ型の資本主義をそのまんまただ追従していくだけ。本来、日本には日本のあるべき発展のプロセスというのはあったのに、それを資本主義のくくりのなかで、全部アメリカのいった、成功のビジネスモデルに追従するだけ。これによって、むしろ日本の中で矛盾が広がっちゃった。
田原氏がこの発言をとって「不破さんがおっしゃったように、世界がものすごく変わっていくなかで、日本の政治が、そういうことに関心もなければ、危機感もない。どうして、こうなっちゃったんですかね」と問いかけると、中曽根氏は次のように答えました。
中曽根 まず第一に世界が非常に多元化した。今までは、日本はアメリカにぶらさがっておれば、なんとかいったと。そのご本尊のアメリカが、さっきの状況でダメになってきている。
それと同時に、ほかの国々も元気で、世界中が多元化してきて、自分の好き勝手なことをみんなやるようになってきたと。そのなかで、じゃあ日本が日本の好きな勝手というのは、何であるか。自分で考えろと、そういうときに入ってきた。
そのなかで、自民党に「(考えている人は)昔のようにいるとは思いません」という中曽根氏。コメンテーターが「世襲政治」を指摘するなか、不破さんは次のようにのべました。
不破 (政治の)世襲のこともあれば、話が小さいことも出たんだけども、だいたい社会や政治の枠組みを与えられたものとしていて、それを変えるとか、組み替えるとか、新しいものを考えるとか、そういう発想がない政治になっちゃっているんですよ。
ちょっと話が違うんだけども、地球温暖化問題で、ヨーロッパに共産党の調査団を出したんです。そうしたら、ヨーロッパの資本主義はこの大問題について、危機感をうんと燃やして、枠組みを変えているんですね。
だから単なる市場原理主義か規制主義かじゃないんですよ。今のこの問題に直面して、どんな社会体制でなければいけないか、資本主義の限度まで挑戦してみようという意気込みが(ヨーロッパでは)どこへいっても感じられるんですね。(田原「日本にはない」)
今の世界というのは、資本主義の枠内でも、それを超えても、新しい枠組みが求められている世界で、どこの世界もそれで生き生きしているんですよ。それが日本にはないんですね。
憲法問題 かなり先まで見通した規定を持っている
憲法の問題に話題が移り、会場の若者たちに憲法改定について問うと、改定そのものは賛否が拮抗(きっこう)したものの、九条改定については反対が多数でした。
田原氏が、読売新聞の世論調査によると、この間に改定派より反対派が上回っていることをただしたのに対し、中曽根氏は「あまり歓迎しない段階にきている」と悔しさをのぞかせました。
憲法九条とともに「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と定めた二五条も議論になりました。
不破 九条は守るべきです。それから二五条の話も出ましたけれども、世界の憲法と比べてみて、経済生活の問題、社会生活の問題できちんと憲法で、その保障を決めているというのは本当に少ないんですよ。たとえば、イタリアがそうですし、ドイツも少し(その規定が)入っています。
ですから(古いどころか)日本(の憲法)は世界的にけっこう新しいんです。
私は、だいぶ前ですが、今の憲法のもとで、社会を変えるとか政治を変えるとか、どこまでやれるのか、ずっと詰めて考えて論文を書いたことがありますが、なかなか相当いけるんですよ。(この憲法は)一九四六年につくったものだけれども、かなり先まで見通して、役立つ規定をしていることを、そのときも痛感しましたね。
その後、中曽根氏が、憲法九条改定にかかわって、一項はそのまま残し、戦力不保持を定めた二項で「自衛軍」を設ける記述に変える考えを示しました。
不破 第二項というのは、二十世紀段階では、現実の国際情勢と距離があるとか、理想主義的なにおいや感じがあると言われたことがあります。(しかし)国際情勢が、この第二項に追いついてきつつあるのが、二十一世紀だと思うんですよ。
このあと、若い人にどんなメッセージを贈るかで、不破さんは「自分で夢と希望の条件をつくるというつもりで、現在をみてほしい」と語りました。(関連参照)
(出所:日本共産党HP 2008年5月12日(月)「しんぶん赤旗」)
テレ朝系 不破さん、若者にメッセージ
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戦後を生き抜いてきた政治家が若い人に語る―テレビ朝日系「サンデープロジェクト」が番組二十周年スペシャル企画として十一日に放送した「激動の歴史を語る」。日本共産党の不破哲三前議長(78)が、中曽根康弘元首相(89)、土井たか子元衆院議長(79)と語り合いました。(発言詳細)
スタジオには、学生五十七人が同席。司会者が「日本の未来に希望が持てるか」と問いかけると、希望が持てると持てないが半々の結果でした。
その学生たちに、どんなメッセージを送るか。不破さんは、自らの青年時代とも比較してこんな言葉を贈りました。
◇
不破 われわれの若いころ、あの時代は社会も貧しかったですよ。われわれの生活もものすごく貧しかったです。だけど、新しい社会をどうつくるのかということにつながるエネルギーはみなぎっていましたよね。
だから私は、社会とか政治とかを与えられたものとして、そのどこに自分の居場所があるかということではなくて、居場所のないような社会は変えて、居場所のある社会をつくる。自分で夢と希望の条件をつくるというつもりで、現在を見てほしいと思うんですね。
今の社会の貧しさを自分の貧しさにしちゃいけないんですよ。今の社会が貧しければ、豊かな可能性が出る社会に変えられるのが国民主権なんだから。国民主権の主権者に若い人たちがどんどんなってほしい。
◇
不破氏の話に、中曽根元首相も「その通りです」と応じました。
番組終了後、学生たちに「ご苦労さま」と声をかけた不破氏。すると学生からいっせいに「ありがとうございました」という声があがりました。
不破さんが語る 戦争 青春 世界 憲法
テレビ朝日系「サンデープロジェクト」 中曽根元首相、土井元衆院議長と出演
終戦―何を握って生きるか、模索が始まる
戦争に反対し抜いた党、マルクスとの出会い
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テレビ朝日系「サンデープロジェクト」の番組二十周年スペシャル企画として、日本共産党の不破哲三前議長、中曽根康弘元首相、土井たか子元衆院議長が十一日、田原総一朗氏の司会で語り合いました。政治家を志した理由、日本と世界をどうみるか、日本国憲法についてなど、不破さんが今を生きる若者に送ったメッセージとは…。(関連記事)
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スタジオでは、十七歳から二十二歳までの学生五十七人が三氏の話に聞き入りました。
その学生たちと同じころの三氏の写真。不破さんは東京大学二年生のころ、メーデーに参加したときの写真でした。当時、不破さんは理学部物理学科。「東大の物理をやって何になろうと思っていたんですか」との田原氏の問いに、不破さんは「別に物理学者になるつもりはなかったんです」「小学校のころは作家になりたかった」と答え、当時の人気作家だった吉川英治氏を訪ねたエピソードを紹介しました。
当時は日本の侵略戦争の真っ最中。田原氏は戦時中の話から敗戦を認めた昭和天皇の放送について質問します。
田原 不破さんは戦争中は勤労動員にいっていた。敗戦の天皇の玉音放送は、どこでどういう形で聞きましたか。
不破 勤労動員は東京の大崎の「明電舎」という工場でした。そこの屋上で工員の人たちと一緒に聞きました。
田原 聞いてどうでした。
不破 私は完全な戦争世代で、生まれた翌年が「満州事変」で、小学校の二年が中国全面戦争、六年が(太平洋戦争開戦の)真珠湾攻撃。小学校のはじめから日本は「神の国」という教育を徹底的に受けていました。「神の国」だから戦争に負けるはずがない、「神の国」だからどこへ出て行っても手を出す権利があるんだと、たたきこまれているでしょ。
その中で八月十四日に「どうも明日の放送は負ける話のようだ」とうわさが流れてきた。(私は)相手にしなかった、そんなことありっこないと。翌日聞いてみたらその話でしょ。担任の先生は泣いて、「この悔しさを忘れるな」と訓示した。そのときはそういう気持ちになるけれども、だけど「神の国」が負けたのですから、これは戦争中の教育が全部崩れますよ。
まだ十五(歳)でしたが、いったい何が本物かとか、何をにぎって生きるべきかという模索が敗戦の中で始まるのです。
田原 世の中に対する疑問がいっぱい出てきた。結局、共産党に行くわけだ。
「日本の戦争」をどうみるか
話題は、日本の侵略戦争をどうみるかにも及びます。中曽根氏が「一流国家になった力のはきどころを間違った方向に持っていった悲劇の戦争だった」とのべたのに対して、田原氏が不破氏に質問します。
田原 間違った戦争だったと。(不破さんは)あの戦争について国会で中曽根さんに質問したそうですね。
不破 国会議員になってから歴代の総理に(侵略戦争への)見方を聞いたんです。最初に聞いたのは田中角栄さん。中国へ行って国交回復した翌年に聞いたら、びっくりした答えが返ってきたんです。「この問題は後世の歴史家が判断するという以外にはお答えできません」。そのことを解決して中国と国交を回復したはずなのに、不思議なことで、反論したんですよ。
次が三木さん、福田さん、大平さん、鈴木さんと、だいたいみんなその線でした。中曽根さんに八二年に代表質問で聞いたんですが、そのとき初めて今までと違う答えが出てきたんです。
「(戦前、戦中のわが国の行為については)国際的には侵略という厳しい批判を受けている。それは事実だ。この事実は政府としても十分認識する必要がある」
首相の答弁で「侵略」という言葉を使ったのは中曽根さんが初めてで、そのあと細川さん、村山さんにいくと思うんですが、そういう答弁が返ってきたんで驚いたんです。
中曽根 私の言った中心は、米英は普通の戦争です。しかしアジアの国に対しては侵略戦争であった。戦争というのは複雑な性格があったんだ。アメリカ、イギリスに対しては、普通の戦争、アジアに対しては侵略戦争だとはっきり言った。
その後、中曽根氏の発言について問われた不破氏は、こう言いました。
不破 太平洋戦争は、中曽根さんと意見が違う。中国侵略を続けるかどうかが(当時の)日米交渉の焦点で、(日本は)最後の段階まで中国から手を引かないとがんばったんで戦争になったのです。あの戦争(太平洋戦争)そのものが日本の中国侵略をやめさせるかどうかを一番の問題にして始まった戦争ですから、アメリカの側からいってもね。だから戦後についての会議をしたときも、アジアの平和の問題がきちんと提起されたのだと思いますよ。
また、日本が中国の戦争を続けるために資源が必要で、(東南アジアなどに)攻め込んだんですし、米英への戦争でも、日本が中国戦争を続けるために火をつけたわけですから。
資本主義の矛盾を見抜いた
なぜ政治家を志したのか。三者三様の答えのなかで、不破さんはつぎのようにのべました。
田原 不破さんは、なぜ政治家になったのか。共産党から(国会に)お出になったのか。
不破 それはまず、なぜ共産党に入ったかから言わないと。さっき言いましたように、戦後(何を握って生きるか)模索していて、あの時代、戦争に反対し抜いた政党があったというのを知ったのが一番の衝撃でしたね。
田原 それが共産党だった。
不破 それとマルクスに出会ったことがきっかけで、十六歳の最後の月、あと数日で十七歳になるというときに、共産党に入ったんですよ。
そのときは、学生でも共産党に入った以上は共産党の仕事を最後はやるものだと―常任活動家になるのは当たり前だと思っていましたから、その点では、政治家というのは私の初心なんです。
ただ、国会議員なんてことは、まったく考えませんでしたね。
(東大の物理を出たとき)担任の教授が、東大の物理が始まってから、今まで物理の道をはずれたのは一人しかいない。将棋指しになった人が一人いると(笑い)。君がそうなれば、二人目だという話をされたこともあるんだけれども、私は勉強したいと思って入っただけで、(物理学を)生涯の仕事にするつもりはありませんでしたから。
「一番尊敬する人はだれか」という質問に、中曽根氏は自民党政治家の松村謙三氏、土井氏は市民活動家の市川房枝氏をあげました。「あえてあげればマルクス」と答えた不破氏と田原氏で次のようなやりとりがありました。
田原 マルクスといえば『共産党宣言』『資本論』を書いた人だけど、どこにひかれたんですか。
不破 マルクスは、政治家ではないけれども、革命家ですよね。彼は、世の中をどう変えるかというために経済学を勉強して、『資本論』も書いたし、全部それで貫いているわけですね。
ちょうど彼が活動し始めた時代は、資本主義はまだ若い時代で、彼も恐慌なんか、自分では『資本論』を書くまでに、二、三回しか経験していないでしょう。(田原「なるほど、なるほど」)
そういうときに、やはり骨太の論理で、一番の根源が利潤第一主義で、これで支配されている社会がこうなるんだということを見抜いた。それから解放された社会を考えて、社会主義・共産主義という発展の方向を示したわけですね。この精神は、今でも、うんと生きていて、マルクスが見抜いた矛盾の枠組みから、資本主義は抜けられないんですよ。
「ソ連崩壊で世界は元気になった」に共感
ここで田原氏が聞いてきたのが「社会主義・共産主義崩壊」論。不破さんは、ソ連崩壊後、世界がどう変わり、どう元気になったかを解き明かしました。
田原 一九八九年にベルリンの壁が崩壊する。九一年にソ連が崩壊するということで、ようは共産党はダメだと、社会主義はダメだと言われる時代がきたんですが、どういうふうに見ますか。
不破 ソ連の共産党の解散の報があったときに、いろいろ予兆があったから驚きませんでした。それ以上に、私たちは三十年以上、ソ連のごう慢な大国主義とたたかってきて、社会主義がこんなものであるはずがないと思っていましたから、この報道を聞いたとき、歴史の妨害物がなくなった、社会主義の看板で逆のことをするものがなくなった。本当に、そういう気持ちでした。だから、その日の記者会見で、「歴史的巨悪の崩壊だ」といって歓迎の話をしたんですよ。
田原 社会主義がダメだったんじゃなくて、間違った社会主義をやっている国がダメになったんだと。
不破 マルクスとの関係で言うと、ソ連は、マルクスが言ったことと全く反対のことをやったんですよね。
それからほぼ二十年たちますけど、世界はずいぶん変わりました。元気な方向に変わってきている(田原「マルクスの方へ行っている?」)。近づいていると思っています。
中曽根氏は「アメリカの風潮を受けすぎて、市場原理主義を教育など経済以外の世界にも入れてきた弊害が日本でも出てきた」と発言。そこで不破氏はさらに世界をどうみるかを語りました。
田原 中曽根さんも市場原理主義に問題があるとおっしゃっている。それとマルクスがどうつながるんですか。
不破 今の世界は、資本主義の国と社会主義をめざす国がありますね。その間に、アジア、アフリカ、ラテンアメリカという国々がある。この国々が、米ソ対決の時代がなくなってから二十年たって、がぜん元気になっているんですよ。
国際政治の大きな力でしょう。それから自分の国の自主性とか、新しい制度をつくろうとするときに、いろんな模索をやるんです。資本主義か社会主義かだけじゃなくて。その動きが、今世界にうんと活力をあたえている。
田原 ただ、ソ連や中国がみんないま自由主義をやっている。自由経済を。これどうみる。
不破 ソ連というのは、あれは体制が全く社会主義じゃないんですよ。
ソ連がなくなって、割合に物が自由に考えられるようになったときに、中国が市場経済を通じて社会主義へいこうという道を追求してきたわけでしょ。中国もベトナムも、それが成功しているわけですよね。
その中でおきる矛盾に一歩一歩ぶつかりながら、是正したり、必要な措置をとりながら進んでいる。この勢いは、やはりすごいものがありますよ。経済の力関係でも、ずいぶんこの二十年間変わりました。
それからもう一つ、アジア、アフリカ、ラテンアメリカが元気を出して、中には、資本主義の枠を超えて、新しい体制を目指そうという動きまで、アメリカのおひざ元で起きているでしょう。
発達した資本主義の国々自体が、昔のようにアメリカの号令一本で動かなくなっている。ソ連がなくなったのに、なぜ号令に従う必要があるのかという声があがってきている。だから、世界全体としてみると、うんと活気づいていてね…。
田原 今に日本でも共産党が天下をとることがある。
不破 ありますよ。二十一世紀はまだ九十年以上ありますけれども、二十一世紀というのは―マルクスは自分の世紀でこそと思ったでしょうけれども―社会主義という問題が、本当の意味で世界的な問題になる時代になりつつあると思っていますね。
不破氏の発言をうけ、コメンテーターの財部誠一氏は次のように発言しました。
財部 今の不破さんのお話、ずいぶん印象深くって。その崩壊した後の発展のプロセスをみて、非常に思うところがありました。
それは何かというと、中国もロシアもベトナムもみんなそうですが、それぞれの国には、それぞれの発展のプロセスがあるということを見せてくれたわけです。
日本が間違えたのは、アメリカ型の資本主義をそのまんまただ追従していくだけ。本来、日本には日本のあるべき発展のプロセスというのはあったのに、それを資本主義のくくりのなかで、全部アメリカのいった、成功のビジネスモデルに追従するだけ。これによって、むしろ日本の中で矛盾が広がっちゃった。
田原氏がこの発言をとって「不破さんがおっしゃったように、世界がものすごく変わっていくなかで、日本の政治が、そういうことに関心もなければ、危機感もない。どうして、こうなっちゃったんですかね」と問いかけると、中曽根氏は次のように答えました。
中曽根 まず第一に世界が非常に多元化した。今までは、日本はアメリカにぶらさがっておれば、なんとかいったと。そのご本尊のアメリカが、さっきの状況でダメになってきている。
それと同時に、ほかの国々も元気で、世界中が多元化してきて、自分の好き勝手なことをみんなやるようになってきたと。そのなかで、じゃあ日本が日本の好きな勝手というのは、何であるか。自分で考えろと、そういうときに入ってきた。
そのなかで、自民党に「(考えている人は)昔のようにいるとは思いません」という中曽根氏。コメンテーターが「世襲政治」を指摘するなか、不破さんは次のようにのべました。
不破 (政治の)世襲のこともあれば、話が小さいことも出たんだけども、だいたい社会や政治の枠組みを与えられたものとしていて、それを変えるとか、組み替えるとか、新しいものを考えるとか、そういう発想がない政治になっちゃっているんですよ。
ちょっと話が違うんだけども、地球温暖化問題で、ヨーロッパに共産党の調査団を出したんです。そうしたら、ヨーロッパの資本主義はこの大問題について、危機感をうんと燃やして、枠組みを変えているんですね。
だから単なる市場原理主義か規制主義かじゃないんですよ。今のこの問題に直面して、どんな社会体制でなければいけないか、資本主義の限度まで挑戦してみようという意気込みが(ヨーロッパでは)どこへいっても感じられるんですね。(田原「日本にはない」)
今の世界というのは、資本主義の枠内でも、それを超えても、新しい枠組みが求められている世界で、どこの世界もそれで生き生きしているんですよ。それが日本にはないんですね。
憲法問題 かなり先まで見通した規定を持っている
憲法の問題に話題が移り、会場の若者たちに憲法改定について問うと、改定そのものは賛否が拮抗(きっこう)したものの、九条改定については反対が多数でした。
田原氏が、読売新聞の世論調査によると、この間に改定派より反対派が上回っていることをただしたのに対し、中曽根氏は「あまり歓迎しない段階にきている」と悔しさをのぞかせました。
憲法九条とともに「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と定めた二五条も議論になりました。
不破 九条は守るべきです。それから二五条の話も出ましたけれども、世界の憲法と比べてみて、経済生活の問題、社会生活の問題できちんと憲法で、その保障を決めているというのは本当に少ないんですよ。たとえば、イタリアがそうですし、ドイツも少し(その規定が)入っています。
ですから(古いどころか)日本(の憲法)は世界的にけっこう新しいんです。
私は、だいぶ前ですが、今の憲法のもとで、社会を変えるとか政治を変えるとか、どこまでやれるのか、ずっと詰めて考えて論文を書いたことがありますが、なかなか相当いけるんですよ。(この憲法は)一九四六年につくったものだけれども、かなり先まで見通して、役立つ規定をしていることを、そのときも痛感しましたね。
その後、中曽根氏が、憲法九条改定にかかわって、一項はそのまま残し、戦力不保持を定めた二項で「自衛軍」を設ける記述に変える考えを示しました。
不破 第二項というのは、二十世紀段階では、現実の国際情勢と距離があるとか、理想主義的なにおいや感じがあると言われたことがあります。(しかし)国際情勢が、この第二項に追いついてきつつあるのが、二十一世紀だと思うんですよ。
このあと、若い人にどんなメッセージを贈るかで、不破さんは「自分で夢と希望の条件をつくるというつもりで、現在をみてほしい」と語りました。(関連参照)
(出所:日本共産党HP 2008年5月12日(月)「しんぶん赤旗」)
〈答え〉それなら賛成です。笑。
一部の富裕層は、所得税だけでは「捕捉が困難」という面があります。しかし、これは相続税やぜいたく品に適正に課税することで補うことができます。逆進性のある消費税を引き上げることでは、「捕捉」できなく、貧富の格差を広げるだけです。
ところで、なぜ日本の租税負担率が低いかです。その主な要因は1989年に消費税を導入した後、その前と比べて大企業などの法人税率を42%から30%に引き下げ、「富裕層」の税率を60%から37%に引き下げたからです。消費税収は、90年と比べ2005年には4・5兆円から10・5兆円に増えましたが、法人税は18・4兆円から12・5兆円、所得税は26兆円から14・7兆円に減少しました。その結果、国の税収は60・1兆円から47・0兆円に落ち込みました。
したがって、国の税収を増やすためには、法人税率、高額所得者の最高税率を消費税導入前にもどすことです。これが、国民的な立場から租税負担率をあげる道です。
次に、消費税率を上げた場合ですが、税率を上げても、富裕層から多くの消費税は取れません。富裕層は、収入の大半を消費税がかからない貯蓄や株・土地の購入などに使い、消費支出の割合が低いためです。事実、年間収入約300万円の世帯では86%を消費に使いますが、1400万円を超える世帯では半分以下の42・7%にすぎません。
1億円の年収の方を例にあげます。この方は、所得税・住民税、社会保険料などを納め、残りは貯蓄や株・土地の代金にし、一定額―2000万円を消費すると仮定します。そのすべてを国内で使ったとしても、消費税額は5%の100万円です。消費税率を10%に引き上げた場合、増税額は2000万円の5%で100万円となります。
一方、仮に、富裕層の所得税率を5%上げれば、500万円の増収になり、消費税を5%あげた場合の5倍の税収になります。
しかも、「消費税には逆進性がある」ため、税率引き上げは、庶民に重くのしかかります。政府の調査でも、年収に占める消費税の割合は、年収300万円の世帯で4・2%、一方、1500万円以上の世帯では1・4%にすぎないことが示されています。
出所:http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-12-09/2006120912_01faq_0.html
航空機ならファーストクラス 新幹線ならグリーン車 高級貴金属類や、一定の建て坪数以上の民間 などなど…
私が課税して欲しいのは、こういうものです。
作務さんは、社会保障目的税にして消費税を増税していく立場だし、東西は、消費税は完全に廃止していく立場です。
消費税を廃止する必要があるのは何故か?については、金融投機を抑制することにあるということです。消費税は庶民の消費購買力を抑圧しますが、高額所得者、大企業の利益を溜め込ませることになります。高額所得者、大企業が溜め込んだ金が金融投機へ回り、実需が抑圧されることになります。ですから、消費税は完全に廃止し、その間、減らしてきた法人税について税率を元に戻し、庶民に大企業の利益を還元する必要があります。
現状、高額所得者、大企業が金を溜め込んでいるので、消費税増税はまったく必要ありません。
社会保障とは、大企業、高額所得者から税金を集めて、国民所得を再分配する制度だからです。
同時に、生活向上、実需に使用しない金の溜め込みをどう実需に結びつけるか、が政府の財政の役割ではないでしょうか?
金を溜め込んでギャンブルにしか使うことのない企業や高額所得者から税金は集める必要があり、消費税で実需を押さえつけることは抑圧政策であり、息苦しい社会になると考えます。
だから、その部分(内面的な事です)を個人が調整出来るようになる事。(勿論、その為には利害を超えた働きをする必要がありますよ。労働組合でも諸々の社会奉仕にしろ、その行為が金銭などとは結びついていない、社会変革を促す純粋な活動によってのみ、自己の内面的成長も遂げられるのだと云う事だと思います)
要は、遊び・娯楽・多様性と賃金労働・労働運動・政治運動のバランスなんでしょうか?今は、労働運動・政治運動が弱すぎて、娯楽・遊びが強すぎますね。そんな気がします。しかし、それは欲望が悪いのではなくて、労働運動・政治運動を抑圧し、弾圧する企業経営と国家権力が悪いということですね。
そこで、労働運動・政治運動を抑圧し、弾圧する力とそれを励まし、共に学び、行動していく学習・教育運動の連帯・団結の対置が必要となるんですね。
追記:市川房江さんといえば、菅直人さんの師匠でもあったような。市民運動の旗手ですね。ちなみに、東西は気の弱い女性より、気の強い女性の方が好きです。やっぱり、男女平等がいいですね。国会議員も裁判官も企業の経営者も男女半分ずつという義務を課す法律をつくってもいいような気がします。笑。
最低限の物質的な豊さが無ければ人間は自分の内面を高める事は出来ませんし、しかし、行き過ぎた物質的な欲求に呑まれては社会は破綻してしまいます。
私は、このような「バランス」を取り戻す事が、これからの教育の大きな役割じゃないかと思っています。
資本主義も共産主義も、人間の内面世界の健全さが無ければ何の役にもたたないと言えるのだろうと思います。
それから余談ですが、土井たか子さんの尊敬する市川房江さんも愛知県出身で、あの方は、津島と云うところなのですが、この津島の女性は伝統的に気が強く、実際凄~く強い女性が多いんです←自分自身、実感してます(笑)