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ルパン三世の生みの親門キーパンチさんがお星様になりました
81歳まで往生されました |
モンキー・パンチさん死去 81歳「ルパン三世」シリーズ
原作者「2、3年前から体調を崩す」
70年代からお茶の間を魅了し続ける人気アニメの生みの親が逝った。
アニメ関係者によると「2、3年前から体調を崩し、故郷の北海道浜中町で毎年参加していたイベントも欠席しがちだった」という。それでも作品50周年の2017年には車椅子で出席。「僕だけの力でなく、いろんな方に手伝ってもらったから。100年続けばいいな」と話していた。
高校卒業後に上京。電気関係の専門学校を経て、商社や貸本出版社などで働きながら同人誌を作った。アメコミに影響を受けた独特の画風が編集者の目に留まり、65年に漫画家デビューした。
「モンキー・パンチ」は新人時代、漫画誌の編集長が命名。無国籍でシャレた画風からで、モンキーさんは「格好悪い」と抵抗したが一蹴されたという。
「ルパン三世」は67年、漫画アクション(双葉社)創刊号で連載開始。主人公はアルセーヌ・ルパンの孫であり、大泥棒のルパン三世。従来なら“悪役”だが、アクションありコメディーありの、奥行きある世界観が読者の心をつかんだ。
71年にアニメ化されると、幅広い年齢層の人気を獲得。連載開始から半世紀が過ぎた今も、新作アニメや映画が製作される国民的人気作となった。
アニメ関係者は「凄く真面目で勉強熱心な人。一方で作画にパソコンを取り入れるなど、頭の柔らかい人でもあった」。デジタル機器での作画に早くから取り組み、03年に東京工科大の大学院で編集ソフトを作るプログラムを学習。デジタルマンガ協会を創設した。
日本アニメが“子供向け”とされた90年代以前の海外で、高く評価された作品でもあった。大人の雰囲気をまとった「ルパン」は、フランスやイタリアを中心に多くのファンを得て“クールジャパン”の先駆けとなった作家の一人だった。
漫画連載は途絶えているが明確な最終回は掲載されていない。07年のスポニチ本紙の取材に「最終回の構想もあったが、今は思案中。完結させないままバトンを渡すのもいい」と話し、次世代の作家に託す意向も示していた。
◆モンキー・パンチ(本名加藤一彦=かとう・かずひこ)1937年(昭12)5月26日生まれ、北海道出身。アメリカンコミックに影響を受けて、小学5、6年のころから漫画を描き始める。大学進学のために上京。65年にムタ永二名義の「プレイボーイ入門」でデビュー。「ルパン三世」のほか「どらきゅらクン」などの作品がある。
楽しいアニメでした外国の方が製作者だと思っていましたが日本人の方だったんですね。声優さんがマッチしてました。
シャープを回収した鴻海の方ですね今度は台湾独立を目指し出馬でしょうか?
台湾は独立しても遣っていけます |
鴻海の郭会長が台湾総統選への出馬検討
−できるだけ早期に決断
(ブルームバーグ): 鴻海精密工業の郭台銘(テリー・ゴウ)会長は16日、来年実施される台湾総統選で野党・国民党からの出馬を目指すことを検討していることを明らかにした。
郭会長は台北市内で行われたセキュリティーフォーラムに合わせて発言。国民党の候補指名を獲得し、再選を目指す蔡英文総統に挑むことを検討していると述べた。郭氏は「決断すれば、国民党の予備選に参加する」と表明。できるだけ早期に決定するとした。
同会長は「昨夜は一睡もしなかった。若者のために何ができるか自問している」と語った。
郭氏は台湾で起業したが、中国の安価な賃金や用地コストに目を付け、海外の企業経営者としては早くから同国内に工場を設け、素早く製品を市場に投入することに成功した。
一方、与党・民主進歩党では蔡総統だけでなく、頼清徳前行政院長も指名獲得に名乗りを上げている。
台湾を独立させ再建をして盛り立ててください
中国人にもこんな好青年がいたのですね感心します
尖閣蹂躙やパクリなど中国の蛮行は耐えませんが |
「真の友情!」歩けない友達を6年間背負い続けた12歳少年
【もぎたて海外仰天ニュース】
病気で歩けない友達を6年間、背負って校内を移動していた12歳の少年が、「真の友情だ!」と話題になっている。
中国の新華社通信(3月19日付電子版)などによると、四川省眉山市の小学校に通う6年生の張沢君(12=仮名)は4歳の時、「重症筋無力症」と診断された。筋肉の力が弱くなる治療不可能な病気で、歩くことができなくなった。
そんな張君を救ったのが、小学校1年生の時に同じクラスになった徐彬洋君(12)だ。
張君は学校までは両親に車で連れて行ってもらうが、校内でのクラス間の移動や、トイレ、食事などはすべて、徐君が張君を背負って行っていた。
短期間なら、できる人もいるかもしれないが、徐君はこれを6年間、晴れても曇っても、1日も欠かさなかったのだ。
メディアの取材に、シャイな徐君は恥ずかしそうにこう語った。
「僕は張君より大きいですから。僕がやらなければ、誰も張君を助けないと思ったんです。僕の体重は40キロ以上、張君は25キロくらいです。だから張君を背負うのは全然問題がないんです」
徐君は張君に恩着せがましい態度を見せたり、言ったりしたことは一度もない。クラスメートに「みんなも手伝ってよ」と言ったこともない。それどころか、2年前まで母親すら、張君の無償の行為を知らなかったというから驚きだ。
「息子は、学校でクラスメートを助けていることを一言も話さなかったんです。2年前に、別の生徒の親からそのことを聞いて、驚きました。内気な子なんです。でも子供のころから宿題は一生懸命やっていたし、私が農作業をしていると、走って手伝いに来ました」
張君はメディアの取材に、徐君への感謝の気持ちをこう語った。
「6年間、僕を背負ってくれてありがとう。徐君は僕の親友です。毎日一緒にいて、勉強し、おしゃべりし、遊びました。毎日僕の面倒を見てくれて本当に感謝しています」
それにしても小学生になぜ、こんな長年にわたる無償の行為ができたのだろうか?
メディアの質問に徐君は、「子供の頃に読んだ雷鋒の伝記の影響です。心の中でずっと憧れていました」と答えた。
雷鋒(1940〜1962年)は中国人民解放軍における伝説の模範兵士の1人。子供のころから児童団や少年先鋒隊に入って活動し、中国各地の農場や工場で作業するなどの奉仕活動を続けた。
しかし、1962年8月15日、電柱を輸送中のトラックを立て直す作業中、頭を強く打ち殉職。毛沢東時代に「無私の象徴」として偶像にまつり上げられ、今も3月5日は「雷鋒に学ぶ日」と定められ、全国的にボランティア活動が行われている。
地元メディア「四川在線」の文銘權記者は、記事の最後に次のように書いている。
「長年、『雷鋒に学べ』なんて3月になると出てくるただのスローガンさ、と思ってきた。まさか12歳の少年が雷鋒を理想とし、雷鋒から学んだことを黙って実践しているとは、思ってもみなかった」
サンダースさんは貧困層上がりなので我々の言いたいツボを抑えていますね
日本は山本太郎の改革で同じような路線を目指したい |
米サンダース議員が納税申告書を公開、
実は今や「大金持ち」
【AFP=時事】2020年米大統領選への出馬を表明しているバーニー・サンダース上院議員が15日、過去10年分の納税申告書を公開したところ、これまで米国社会の所得格差拡大を激しく非難してきたサンダース氏自身の収入が近年急増し「大金持ち」となっていることが明らかとなった。
社会民主主義者を自称するサンダース氏は、「富裕層」と彼らの地位を守っている「不正に仕組まれた」経済体制を常に批判している。
同氏は収入が急増した理由について、2016年大統領選の民主党候補指名争いの直後に出版された自身の著書「Our Revolution(われわれの革命)」の収入によるものだと説明している。
サンダース氏の選挙事務所が公開した納税申告書によると、同氏の調整後総所得は2018年が56万1293ドル(約6300万円)、2017年は113万1925ドル(約1億2700万円)、2016年には106万2626ドル(約1億1900万円)だった。一方で、その前の2015年の総所得は24万622ドル(約2700万円)と大幅に低かった。
サンダース氏は「これらの納税申告は、私たち家族が幸運だったことを示しており、私は今の状況にとても感謝している。給料ぎりぎりの生活をする家族の中で育った私は、経済的不安定に対するストレスも理解している」とコメントを発表した。
一般大衆の擁護者として自らを位置付けてきたサンダース氏の資産が増えたことで、同氏が今後も米国の労働階級を代弁していけるのか疑問が浮かび上がる。
サンダース氏は「全ての国民が、生活できる給料、適切な住居や医療、退職後の保障などを含む生活の基本的な必需項目を得られるよう、今後も毎日努力していく」と訴えた。 【翻訳編集】AFPBB News
サンダース氏は「全ての国民が、生活できる給料、適切な住居や医療、退職後の保障などを含む生活の基本的な必需項目を得られるよう、今後も毎日努力していく」と訴えた。
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ここは同じように改革したいとこです
まさに「ぬかるみの女」をナマポバージョンに置き換えて診療報酬の水増し
悪党ここにあり |
生活保護受給者を「患者」に 医師と元警官タッグで詐欺
医師が手を組んだのは、元警察官、そして元暴力団組員の男だった――。今年1月、架空の診察で診療報酬をだまし取ったとして、福岡県警が福岡市のクリニックを摘発した。生活保護受給者らを「患者」に仕立てる手口で、水増し請求もしていた。1年あまりで得た診療報酬の総額は約5500万円に上るという。
詐欺罪で起訴された医師は、福岡市中央区の「いのうえクリニック」院長の井上勉被告(61)。クリニック事務長で県警OBの宮内真二(50)と、クリニック室長で指定暴力団系組員だった末崎信直(49)の両被告も起訴された。
捜査関係者によると、井上被告が2017年11月にクリニックを開いた際、医療関係者が「事務担当」として宮内被告を紹介。その後、宮内被告が、古くからの友人だった末崎被告に声をかけたという。
県警によると、井上被告らは、患者役の生保受給者の自宅を訪れて「診察」。診療報酬明細書(レセプト)を審査機関に出す時に、診察回数の水増しもしていたという。
捜査関係者によると、患者役の生保受給者は、末崎被告だけで約100人を集めていた。ほかにも現役組員を通じ、違法薬物やヤミ金の顧客などに声をかけていたという。生保受給者らは見返りとして、睡眠薬や風邪薬、湿布などをタダで受け取っていた。
県警がマンション一室にあるクリニックを家宅捜索した際、受付や診察器具は見当たらなかったという。外来を受け付けず、報酬が高額な訪問診療のみを行っていたと県警はみている。
井上被告は逮捕されるまでに約250人を診察し、約5500万円の診療報酬を得ていた。福岡市によると、このうち市の生保受給者の診療報酬は約3千万円という。
井上被告は00年、院長だった福岡市早良区の病院でも常勤医の人数を水増しするなどして、市から診療報酬計約6億3千万円を不正受給したことが発覚した。病院は国から保険医療機関の指定を取り消され、その後、破産していた。
◇
生活保護費から医療機関に支払われる診療報酬は二重にチェックされる。福岡市では、医療機関側は患者ごとに1カ月分の診察内容や回数を記したレセプトを作り、「社会保険診療報酬支払基金福岡支部」に提出。審査を経て市が再審査し、支部を通じて医療機関に報酬が支払われる。支部では1カ月で約418万件、生保受給者だけでも約27万件のレセプトを審査しているという。
支部の審査では、診察内容や処方した薬、診察回数と請求点数(1点10円)との整合性をコンピューターでチェックする。主眼は事務的なミスを見つけることで、担当者は「医師が実際に診療したかどうかをレセプトから判断することは難しい」と話す。
福岡市も同様にコンピューターでレセプトを再確認している。ただ、特定の患者の診察回数や報酬額が極端に多いなどの内容でなければ、チェックをすり抜けてしまうという。
県警によると、井上被告は「生保受給者の報酬ばかり請求すると、基金や市から怪しまれると思った」などと供述。受給者ではない会社員を外来で診療したように装い、診療報酬約1万7千円をだまし取った疑いでも逮捕された。
厚生労働省によると、全国の医療機関が監査を受けて返還した診療報酬額は2017年度で約4億円。不正請求について担当者は「人の目を通さないと見つけられない。今のチェック方法は医師の『性善説』に立っている」。
生活保護費での受診が可能な指定医療機関には、「保険医療機関であれば、基本的にはなれる」(福岡市の担当者)という。市内には約1360カ所あるが、人手不足などで監査は年に10カ所もできない状況という。いのうえクリニックは開設以来、一度も市の監査を受けていなかった。(枝松佑樹)
お天道様が見ているからバレたのですよ
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