uparupapapa 日記

ようやく年金をいただける歳に。
でも完全年金生活に移行できるのはもう少し先。

利根川心中事件、娘に懲役4年判決

2016-06-24 04:21:03 | 日記
47歳の娘が介護が必要な両親を車に乗せて利根川に入り、

両親が死亡した無理心中事件。この裁判で判決です。

弁護側は執行猶予付きの判決を求めていましたが、

下された判決は懲役4年の実刑でした。

 
肩を寄せ合う、藤田慶秀さん(74)と妻のヨキさん(81)。

そしてカメラに向かって笑顔を見せているのは、三女の波方敦子被告(47)です。

敦子被告は去年11月、

父の慶秀さんと母・ヨキさんを軽乗用車に乗せて利根川に入り、

ヨキさんを殺害し、

慶秀さんの自殺をほう助した罪などに問われています。

 
23日、判決を迎える法廷に、

白い長袖シャツに黒い長ズボン姿で現れた敦子被告。

傍聴席には、妹の姿を見つめる2人の姉の姿もありました。

 
2人の姉は21日、判決を前に拘置所の敦子被告と面会し、

その後、初めてメディアの取材に応じました。

 
「『皆が心配して待ってるよ』と声をかけたら涙ぐんで。

努めて明るく、普段どおりにというのが分かる」(敦子被告の姉・次女)

 
敦子被告は、姉たちが実家を出た後、両親と3人暮らしになり、

10年ほど前、母・ヨキさんが認知症とパーキンソン病を発症すると、

父・慶秀さんと二人三脚で介護をしてきました。


「妹も父も何ら変わらず、苦にせず(母を)見ていて感心した」

(敦子被告の姉・次女)
 
「父もよく母の下の世話もして、すごいなと思った」(敦子被告の姉・長女)

 
当初は“介護疲れによる心中”とみられていましたが、

最も大きな要因は父・慶秀さんの体調の異変だったといいます。

30年近く新聞配達をして一家を支えてきましたが、

神経を痛め、体が思うように動かなくなり、

事件直前には、一人では食事はおろか排せつもできなくなっていました。

 
「『俺が面倒をみる』みたいな、昔気質の人だった。

最後に会ったときは『つらいんだよ』と初めて弱音を」(敦子被告の姉・長女)

 
収入源を断たれ、貯金もほぼなくなり、

父の慶秀さんが「3人で一緒に死のう」と言い出したといいます。

 
「今まで力を合わせ生活したんだから、

『何で心中したの?』と聞くと、『家族だから』と妹が言って。

『家族なんだから3人で一緒に死のうね』という形に。

父と母は確かに亡くなっていますが、

妹を責める感情は一切湧かないです」(敦子被告の姉・次女)


裁判で検察側は、敦子被告ついて

「父にきっかけを与えられたとはいえ、犯行に主体的に関与している」

などと指摘し、懲役8年を求刑。

一方の弁護側は、執行猶予を求めていました。

 
23日、さいたま地裁は、

「被告は相当期間、母親を献身的に介護してきたが、

父親の急激な体調悪化で一家心中を持ちかけられるなど

経緯に酌量すべきものがある」としながらも、

「社会援助を受けて生きることもできたのに、

自ら心中する時期を早めるなど、主体的、積極的に犯行に関与していて、

生命を軽視していたものといえる」とし、懲役4年の判決を言い渡しました。

 
判決が言い渡されたあと、直立したまま小さな声で「はい」と答えた敦子被告。

最後に裁判長から

「仲良く暮らしていたときのお父さん、お母さんの顔を忘れることなく、

毎日を大切に生きてください」と言われると、

涙をこらえながら法廷をあとにしました。(23日16:00).

最終更新:6月24日(金)3時46分

-TBS系(JNN) 6月23日(木)19時55分配信-









極めて傷ましい事件であり、

判決を聞いてやるせない思いに駆られる。


別の報道でも伝えていたが、

心中の原因は介護疲れではないと云う。


何故母について公的介護サービスを受けなかったと問われ、

介護保険料を払えなかったことに加え、

母は娘である自分を、認識してくれず、

機嫌が悪いと暴言を吐いた。

そんな母が介護施設でいじめられたら、可愛そうと思ったと。


収入源を絶たれ、貯金もほぼ無くなった一家は、

事件4日前、深谷市役所に生活保護を申請していた。

しかし手続きの中で、職歴や預金残高を尋ねられ、

追い打ちをかけられたと証言している。



さぞ惨めで辛い思いの中、精神的に追いつめられたことだろう。

父親の新聞配達で一家を支えてきたと云うが、

その収入だけで3人が生活していくのは、

とても大変だったと思う。

生活苦に対する不平もあったろう。

そんな中でも他人に頼らず、歯を食いしばって頑張ってきた

一家の生活の様子が、住む家などからも伺える。



その収入源さえ絶たれ、

よいよ生活の目途が立たないところまで追い詰められ

生活保護の申請に市役所を訪れたとき、

どんな気持ちだったか?

さぞ勇気がいったハズだ。

他人に頼らないで生きてきたプライド、自尊心。


そんな中、職歴や預金残高を尋ねられ、

それらの皮一枚で何とか保たれていた勇気や自尊心が

音をたてて崩れた様子が目に浮かぶ。

最後の頼みの綱が断ち切られ、

すがる気持ちも踏みにじられた思いがしたのだろう。





例え父親の心中を促す言葉がきっかけであっても、

直系尊属殺人は通常の殺人より罪が重い。

これだけ情状酌量の余地があるのに、

執行猶予がつかない懲役4年。


彼女も貧困の犠牲者だと私は思う。


民生委員やケースワーカーの機能がちゃんと果たせていたなら、

もしかして防げた事件なのではないか?



生活保護費の不正受給を防ぐ対策は勿論必要だ。

しかしその対策以上に、

本当に必要としている人を把握し、

保護するセーフティーネットの強化が

今の貧困対策の一環であるとして強く求めたい。




彼女の情状は理解できるが、

同じような境遇でもまだ頑張っている人たちもいる。

そのことにも目を向け、自分の犯した罪と向き合い、

罪を償う事で、一日も早く自立した生活ができるように、

これからの彼女を見守る姿勢が大切になってくる。





少年時代、とても欲しかった自転車を買うため、

毎日夕刊のみだが、120部を10か月間

新聞配達した経験を持つオヤジが一句。




自転車を  買ったがすぐに   盗まれて





お粗末。














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3 コメント

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Unknown (アキコ)
2019-05-24 12:32:59
尊属殺人という規定はなくなったはずなので、それで刑が重くなったとは思えないのですが、生きる道も選択できたはずなのに、となってしまったのでしょうか。
Unknown (トンボ)
2021-08-28 12:08:33
「死んじゃうよ、死んじゃうよ」と言いながら手足をばたつかせる母。これは認知症の人でも苦しさを必死で言葉に出して訴えている。 私も認知症で長年必死で母子2人で世話しながら共生してきた。出来る限りの世話はしてきた。1人での食事やトイレもできない。そして自宅で倒れ入院後に脳梗塞。そして施設。
最後までそばで介護してやりたかった。
息子の私の名前もわからない。それでも私にとっては母に1日でも長生きしてもらいたい。深夜に街中を徘徊した母は今では歩行不可能。面会もできないコロナ渦
それでも母が生きてる限り、私も諦めずに必死で生きたい。人生なんて辛すぎる
理不尽な人身事故で家族を亡くされた家族もいる。それでも何かにすがって生きてゆくしかない。生活保護は国民の権利だ。受給可能なら利用すべきだ。
ただ、私はあそこの職員がどういう人間か知ってるから行かないが、兎に角生きてほしい。何度も言うが人生はつらい
でも、生きて行ける。生きるために今何をすべきか諦めずに生きてほしい。
私も1人暮らし、家族もいない。でも生きたいと思う
uparupapapa日記 (uparupapapa)
2021-09-01 04:58:42
おはようございます。

長らくコメントができず、
申し訳ございませんでした。

介護の辛さは
経験した者でなければ分かりませんね。

私の父は13年前に他界しました。

長男の私は何もできず、
母の意向もあり老人介護施設に入所させてしまいました。

父は最後の頃、家に帰りたいと
母に訴えましたが、
聞き入れられる状態ではなく、
戻れたのは亡くなってからでした。

何もできなかった私は
40年務めた職場を早期退職し、
介護職に就きました。
せめてもの罪滅ぼしのつもりで。

でもその職場もお局様のパワハラに合い、現在は別の仕事に就いていますが。


この日記は介護と貧困に追い詰められた
家族が、社会的支援を受けられず死に追いやられた理不尽を問題にした記事ですが、未だに何の解決策が見いだせない現状に心が暗くなります。

蔓延するコロナ禍も重なり、今、弱い者が更に追い詰められています。

明るい兆しが見たいと心から思います。

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