uparupapapa 日記

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改憲論議で無視してはならない日本国憲法の「出自」

2016-07-19 00:09:02 | 日記
~憲法を書いた実務責任者が語った驚くべき舞台裏とは~


今回の参議院選挙で、憲法改正を目指す勢力が全議席の3分の2以上を獲得し、

改憲の発議の権利を得たことで、

改めて憲法改正の是非が国政の場における主要な議題として浮かび上がってきた。



この憲法論議にあたっては、

日本国憲法のそもそもの生い立ちを知ることが欠かせない。

一体、誰が日本国憲法を作ったのかという

正しい認識がこれからの議論には不可欠である。


だが、これまでの憲法論議では不思議なほどその出自が語られてこなかった。

まるで故意にその点の議論を避けていると思わせるほどである。




日本側の草案を一蹴したGHQ




日本国憲法は、日本が連合国の占領下にあった

1942(昭和21)年2月2日から10日ほどの間に、

米軍の将校十数人により一気に書き上げられた。


この米軍の将校団の統括責任者は連合国軍総司令部(GHQ)の

コートニー・ホイットニー民政局長であり、

実務の責任者はホイットニーの部下のチャールズ・ケーディス民政局次長だった。

連合国軍といっても主体は米軍だったのだ。



実務責任者のケーディス氏は当時39歳。

コーネル大学やハーバード大学で法律を学び、

戦前からすでに弁護士として活動していた。

1941年12月に米国が日本やドイツとの戦争に入ると、同氏は陸軍に入り、

参謀本部で勤務した後、フランス戦線に赴いた。

日本には1945年8月の日本の降伏後すぐに赴任して、GHQで働くようになった。



GHQは当初、日本側に新憲法の起草を命じた。

命を受けた時の幣原喜重郎内閣は国務大臣の松本烝治にその起草を任せた。

まもなく草案ができたが、GHQはそれを一蹴した。

米国から見て内容が民主主義的とは言えないというのがその理由だった。


その結果、GHQ自身が日本の新憲法を書くことを急遽決定した。

そして、1946年2月、実務責任者にケーディス大佐が任じられたのである。





ケーディス氏の一存で9条を修正



私はそのケーディス氏に面会し、日本国憲法作成の経緯を詳しく聞いたことがある。

1981年4月のことだ。

面会の場所は、

当時ケーディス氏が勤務していたニューヨーク・ウォール街の大手法律事務所だった。


当時75歳のケーディス氏は、私の質問に、時には用意した資料をみながら、

なんでもためらわずに答えてくれた。

インタビューは結局4時間近くに及んだ。


ケーディス氏の話を聞いて私が最も衝撃を受けたのは、

日本国憲法が作られた過程の“異様さ”だった。

なにしろ手続きがあまりに大ざっぱなのだ。

また、日本側の事情や要望はまったく考慮されず、

内容はまさに“押しつけ”そのものであった。


戦勝国が被占領国に受け入れさせた憲法なのだから仕方がないといえばそれまでである。

だが、それにしてもなんと粗雑に作られた憲法なのかと驚かざるをえなかった。



ケーディス氏によれば、起草は、

都内のいくつかの大学図書館から諸外国の憲法の内容を集めることから始まった。

その時点で新憲法の内容について決まっていたのは、

後に「マッカーサー・ノート」と呼ばれる黄色の用紙に殴り書きされた

「天皇を保持する」「戦争を放棄する」「封建制度を廃止する」

という3つの原則だけだった。



「私が書くことになった第9条の目的は、日本を永久に非武装にしておくことでした。

上司からのノートでは、

日本は自国の安全保障のためであっても戦争を放棄することとなっていました。

しかし、その部分は私の一存で削りました。

どの国も固有の自衛の権利は有しているからです」


ケーディス氏は後に日本側から「芦田修正案」が出されたときも、

同氏の判断だけでOKを与えたという。

この修正案は9条の第2項の冒頭に

「前項の目的を達するため」という字句を挿入することで、

固有の自衛権を認め、自衛隊保持の根拠を供した。


憲法草案のこうした重要な部分は、

事後に上司のホイットニー民政局長やマッカーサー元帥の承認を得てはいるが、

事実上、ケーディス氏の判断だけで作り上げられたと言っても過言ではない。




日本が受け入れを拒否することはできなかった




私が聞いたケーディス氏の述懐の主要点をまとめると、以下のようになる。

・憲法草案の最大の目的は日本を永久に非武装にしておくことだった。

・元々の草案では日本の自国防衛の権利も否定していたが、

 ケーディス氏の一存でその部分を削った。

・「天皇は日本国の象徴」という表現も米国政府の事前の指示にはなかった。

  ケーディス氏ら実務担当者が思いついた表現である。

・第9条の発案者はマッカーサー元帥か、幣原喜重郎首相か、天皇か、

 あるいは他の誰かなのか、ケーディス氏は知らない。

・米国は、日本政府が新憲法を受け入れない場合は憲法草案を国民投票にかけると告げた。

 だが、実際には日本側に受け入れを拒否する選択肢はないとみていた。


以上の点からも、

日本国憲法が実質的に米軍によって書かれ押しつけられたことは明らかである。

しかも日本を永久に非武装にして

自国の防衛の能力や意思をも奪おうという意図が明確にあったのだ。


この歴史の真実は、

これからの憲法論議でも当然言及され考慮に入れられるべきだろう。

だが、護憲派は憲法の起源や由来を語ろうとしない。

それは明らかに均衡を欠いた姿勢である。


-JBpress 2016.7.19-








憲法改正の出目は

今まで何度も報道されている。

目新しい内容とは言えないが

直接本人にインタビューし、核心部分の裏付けを取った分、

憲法の押しつけ論が正しいことを証明したと云える。



しかしこの記事の論調は、

押しつけで手続きがあまりに大ざっぱだから悪いという主張に見える。


「ケーディス氏を含む米軍の将校十数人により一気に書き上げられた。」

との書き方は、意図的にいい加減な起草案が練られたように書かれている。


事実、短期間に一気に書き上げられたのは本当だろう。


しかし、決していい加減ではない。


彼らは軍隊の将校とは言え、

元々法律を勉強したエキスパートの集団だったと聞く。

しかも、啓蒙思想に基づいた法制を専攻した専門家集団であり、

アメリカ建国以来の理想である民主主義の理念を受け継いだ、

世界で最も進んだ憲法を

自分たちの手で作り上げようとの意欲のもとで作られた。

マッカーサーはそんな彼らに憲法起草と云う大役を任せたというのが通説だ。


筆者の古森 義久氏は、そんな背景を無視し

事実のみを取り上げているが、それは片手落ちな手法だろう。

それでは真相の本質を解明した事にはならない。



もしそれが意図的なものでないとしたら、

仕事が未熟だったことになる。

そんな半人前の仕事で記事を公表したのなら、

一生の恥だと云う事に気づくべきだ。



一般の国民が憲法改正に慎重なのは、

ただ単に戦争反対との立場だけではない。


前文を含む憲法の条文が格調が高く、

自分たち日本人の旗印としてふさわしい・誇らしいと

感じているからではないのか?


押しつけ憲法であるか、ないかとの出目を問題にしてはいないのである。


憲法改正論者は、その辺の感覚がずれているから

支持を得るのに時間がかかっているのに何故気づかないのか?




終戦当時は新憲法で良かった。

長い長い悲惨な戦争からようやく解放された国民は、

平和を希求する理想が気高く感じ、共感を持って同意されたのだ。



しかし今、中国、韓国、北朝鮮、ロシア。

更にISのテロの脅威や、様々な国際紛争。

自衛隊の国際派遣とそうせざるを得ない状況が迫る中、

日本を圧迫している状況の打開による解決がもとめられつつある。

そのような度重なる危機的状況に何となく不安や危機感を覚え、

9条を改正しても良いのではとの考えに変えた人が増えつつあるのが現状だ。



今憲法改正論者がすべきことは、

押しつけ論に固執し自主憲法をとの論陣を張るのではなく、

今ある危機を正直に、正確に国民に伝え、

改正の必要性を問う事だと思う。



よもや自主憲法にこだわるのは、

前近代的な明治憲法の完全復活を目論んでいるのではないかと

疑われても仕方ないと知るべきだ。


国民は、押しつけであれ、何であれ

新憲法により、世界をリードする平和の理念と民主主義を手にしたのだ。

一度手にした権利を時の為政者によってはく奪され、

前近代の封建制のような、制限された権利に甘んじることは

誰も望まないし、激しい抵抗にあう事を覚悟した方が良い。


「美しい日本の憲法」だの、民族自決だの、

特権階級の世迷言に従うなど、真っ平御免だ。


憲法9条もその辺を勘案し、

自衛上必要最低限の条文改正に留めるべきと進言したい。


今の改憲勢力の嘘につき合わされるのは、我慢がならないオヤジが一句。





正直に  (中国と)戦争すると  云ってみて





お粗末。















































































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