明日は49日です。
猫は節目節目に夢を見せてくれるようです。
亡くなってちょうど1ヶ月経った夜、夢を見ました。
私は隣の市に引っ越していました。
家は新しくもなく古くもなく、広くもなく狭くもなく、ただ家具の配置がなんとなくちぐはぐで、直さなくちゃなーと考えていました。
そして、ああ、ぱんちゃんも一緒にいたらいいのに、と夢の中で思いました。
すると足元を、見えない何かが走り回っているのを感じました。
それが座布団の上で止まったので、触れてみるとあの感触・・・
ふわふわでまるくて、ごろごろとのどを鳴らす振動がてのひらに伝わってきました。
ああ、ぱんちゃんは見えないけれど一緒に来てたんだね・・・
目が覚めると、手で触れた感触が残っていて、あの背中をもう1度撫でたい、せめてブラッシングのときにいくつもできた毛玉、あれがあったらよかったのに、なんでひとつも残さずに捨ててしまったんだろう。
唐突に後悔しました。
するとその日の夕方、「衣替えをしてたらこんなものが出てきた」と家族が持ってきたものは、、、
ぱんきちの毛がびっしりついたシャツでした。
きっと、よくタンスの奥で寝ていたので、そのシャツを布団代わりに敷いていたのでしょう。
その毛を丁寧に集めると・・・
1センチほどの毛玉ができました。
猫よ、またきみは私の願いを叶えてくれたね?
きっと私が今朝悔しがってるのを見てたよね?
毛玉はぱんきちの写真の傍に置き、いつも指先で撫でています。
■
うちには猫がいるんだよ、透明だけどね。
その日からそう思っています。
考えてみると、猫がいなくなったらそれこそもう寂しくてどうかなってしまうんじゃないかと思っていたのですが、「寂しい」とは感じなかったように思います。
朝起きると猫缶をあげて、お水を替えて、写真に話しかけて毛玉を撫でて。
昼休みもいまだに帰っているし、夜寝るときもお布団を持ち上げて「さー、ぱんちゃん寝るよー」とか言ってるし。
なーんにも変わりなく、暮らしています。
■
私は信仰を持ちませんので、あの世とか天国とかイメージできないのですが、もし生まれ変わりがあったとしても、自分がそうであるように前世のことなどまったくおぼえていないのだろうな、と思うのです。
ですからぱんきちの生も、亡くなることで完結したのだとは思っています。
でもあんなに可愛くて優しくて面白くてかっこよくて、素敵過ぎる猫だったぱんきち。
何かに残したい気持ちはどんどん強くなってきました。
そうだ、あの話は書こう、あのときの話も、、、といろいろと考えていると、楽しい思い出が次から次へと思い出されて、最近は笑えるようになりました。
貧乏暇なしで朝の6時半から夜の8時半まで、座ることもできないような生活でどこまでできるかわかりませんが・・・。
おもしろい話、かわいい話、期待してます( ̄ー ̄)ニヤリ
毛玉、素敵な話です。
あたしもちょっととっておこうかな。
余談ですが、うちの旦那は不可抗力ですがミユたんに引っかかれて長さ30センチほどのでっかい傷が残ってしまいました。
きっとミユたんがいなくなってもずっと残るんだ、と思うと羨ましいのですが、旦那は 工エエェェ(´д`)ェェエエ工工ってなってます(;´∀`)
ウニャさんとぱんきちくんとの交流を書く事で私たちにもぱんきちくんが見えてくることでしょう。
ゆっくりと、思い出すままに、ぱんきちくんの姿を見せてくださいね。
>ご隠居さま
コメントありがとうございます。
ずっと見ていてくれる人がいると思うことで、前向きに考えることができるようになりました。
ぱんきちがきた日から順を追ってエピソードをラフに書き留めていますが、あっという間にノート1冊分程になりました。
どんなかたちになるのかまだ自分でもわかりませんが、いい思い出ばかりで考えていると楽しいです。
今後ともどうか、長い目で見守ってくださいませ。
そうそう、引っかき傷のエピソードもあります!