初めて夢を見ました。
よく覚えていないのですが・・・
見たかどうかも不確かなほど、うっすらと覚えているだけなのですが・・・
よそへ出かけたり、買い物をしていたり、夢の中でも私はあたふたしてました。
まったく、ストーリー的にも時間的にも、細切れな夢だったのですが、夢の断片の中で、なんとなく、手の中を見るとちっちゃいぱんきちがいました。
ごろごろ言いながら、気持ち良さげに目を閉じていました。
夢の中で買い物をして、レジに行こうとして、あれーカバンがないーとか言ってるときにに目が覚めましたが、なんだか、顔がほころんでいました。
ああ、そうだ、ぱんきちが出てきた・・・と思い出したら、涙が出てきました。
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ここ数日、妙な方向へ気持ちが変わってきていました。
ほんの数週間前、自分はぱんきちと暮らしていた。
まだまだ生きてくれると信じてのほほんと。
そんな自分が妬ましい。
また、突発的に悲しくなることがあって、そのたびに、
「ぱんきちは私を悲しませないようにあんなに頑張ったのに。それなのにいつまでも悲しんで、自分はぱんきちになにひとつ応えられないのか」と自分に失望し、
「悲しんでいる自分に酔ってるだけだよね」
次第に、自分がダメダメで疎ましいやつに思えていました。
実際に、もう猫を飼っていない自分が、仕事以外に何をしたらいいのか、人と何を話したらいいか、考えてみると思いつかないです。
ダメダメなやつです。
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夢に意味を持たせることなんて、それこそ意味がないことなのでしょうが、
「私の手の中に飛び込んできて、私の手の中で死んでいった猫がいた」ということを思い出したことで、少しは自分に価値を見出してもいいかな?と少し、思えました。
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昨日注文しておいた写真たてが届きました。
アクリルの板に写真をはさむタイプのもので、上下に
「ぱんきち 1995.5.11~2009.10.24」と文字を入れてもらいました。
お骨はそのまま家に置き、自宅供養をするつもりです。
「土に返したほうがいい」とか「ペット霊園ならきちんと供養してもらえる」とか、いろいろ選択肢がありますが、この先どう気持ちが変わるかもわかりませんが・・・
今は、毎日生きていた頃と同じように朝昼夜とお水をあげて、春の花束をお供えしています。
49日は家にいるというから、毎朝猫缶を同じ場所へ少しだけ出しておきますし、トイレもまだ置いてあります(砂は片付けましたが)。
1週間を過ぎたら、猫は鳴かなくなりました。
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時間が経てばまた気持ちも変わってくるのでしょうか。
書き込んでいただいたコメントに、レスもしないで申し訳ありません。
少しずつ、書いていきたいと思っています。
ぱんきちのことも、なにかのかたちで、書いていきたいという思いもあります。