労働組合 社会運動ってなんだろう?

労働組合のこと、社会運動を考える
「万国の労働者団結せよ!」というコトバが好きです(笑)

現代と平和

2005-01-04 16:41:59 | むかしに書いたもの
現在では少し認識が変わったところがあるかもしれないが、一つの思いでとして掲載する。
(1996.8.15)
(8.19一部改定)
(1999.6一部改定)

Ⅰ 序
 この現代と平和という問題を考えるに当たって15年にもわたるアジア太平洋戦争をどう理解するかが非常に大切な点である。戦争の本質をどう見極めるかによって現代の平和論の主張が違うのである。つまり侵略を解放だと解釈する者が主流である自民党や新進党と、あくまでも真実を追求し批判する共産党とではその平和とはという問題、現代と平和という問題の論理が違うからである。
 またこの問題は全世界的な問題である。どこかの国だけの問題ではないのである。今のところ先進国においては直接戦火の中にはいないが間接的にかかわり、また未だに戦火を繰り返している国もある状態下この問題の重要性は未だ消え去ってはいないのである。これは同時に日本の問題でもあるのである。世界に類を見ない平和憲法をどう生かすかを考えるにおいて欠かすことのできない問題である。つまり憲法を生かす道か殺す道かの分岐点でもあり試金石でもある。この問題を科学的に研究し実践化することによって憲法は生き続け、かつ世界平和へ本当の意味での貢献ができるかにかかわってくるのである。この問題は古典的問題でもあるが同時に現代的問題でもあるのである。

Ⅱ アジア太平洋戦争の本質
 いわゆる満州事変に始まる15年にわたるアジア太平洋戦争の本質はまぎれもない侵略戦争である。それは絶対的天皇制を中心とする軍国主義政策の行きつく先で外には侵略、内には人民抑圧の反平和的・反民主的政策の行きつく先であった。しかし歴史の偽造者達と私が呼ぶ自民党の政治家や右翼思想の持ち主達はその侵略という事実を否定しアジア・太平洋地域を欧米の支配から解放したと日本が犯した過ちを公然と肯定するのである。反対に共産党などの民主陣営は侵略戦争であったことを認めその過ちを繰り返さないために謝罪や補償をおこなうこと、学校教育等で本当のことを教えることを主張している。この自民党的考え方と共産党的考え方は対極にありそれが現代における平和の考え方と憲法にたいする考え方に出てくるのである。

Ⅲ 平和と憲法
 憲法においては世界平和を求める立場から常備軍の禁止、交戦権否定つまり戦争の禁止を明言している。これは世界に類を見ない平和憲法である。憲法には天皇制など今となっては問題のあるところもあるが平和的・民主的条項など先駆的な部分も含まれている。日本における平和の考えは二つある。ひとつは、憲法を無視してアメリカ追随の日米安保中心の考えであり、保守党・右派勢力と同伴者の論理である。二つ目は、憲法を基本にして生活に憲法を生かしアメリカ追随ではなく自主独立で安保廃棄の中立・平和・民主日本を目指すというものであり、革新・民主の立場に立つ勢力の主張である。アメリカ追随派にとっては憲法は目の敵でありできることなら変えてしまいたいのである。彼らは平和を主張する。しかし彼らの平和は、革新・民主勢力の求める平和とは別の平和である。たとえ話をしよう革新・民主勢力の求める平和は強盗のいない平和である。しかしアメリカ追随派の求める平和は強盗がいてそれに対してだれも抵抗しない平和である。強盗のための平和か人民のための平和かそれは同じ平和の状態においてまったく正反対の状態を生む者である。強盗の平和は武力によってその均衡が保たれている。しかし敵が強くなると自分も強化するそれを繰り返している内に1が2に2が4に4が8にとどんどん増えていき恐怖下における平和で一発即発の状態なのである。こうならないためには軍事力の廃止というのが大切であり憲法の平和主義を普及しそれをより正しい方向へ発展させることが大切なのである。

Ⅳ 軍事的平和維持活動と非軍事的平和維持活動
 国連の平和維持活動PKOに自衛隊をだすかが問題になり結局数に押し切られ違憲の自衛隊が海外へ乗り出した。
 このような軍事力を使った平和維持活動というのが世界中でおこなわれているがその実効性は極めて疑わしいものである。軍事力とは実に強力なもので排他的力をもたらし押さえつける。しかし真の平和をお互いが相互理解、協力する精神、平和への要求が揃って実現するのである。そのために必要なのは何か。それは決して軍事力ではない。軍事力は無理矢理両者の争いを一時的には終わらすことはできるが、しかし両者の溝はまったく埋まっておらず逆に恨みを持ち再び戦火になることさえ十分にあり得るのである。ここにおいて実に大切なのは文化や教育の力である。これによって平和を迎える可能性が非常に高まるのである。戦争の教育から平和の教育へ次世代の若者を平和と民主主義に目覚めさせることで戦争を実際におこなうものの基盤を奪うことで、戦争愛好者達が戦争を望もうとも、その戦争をおこなわせるはずの若者が拒否することで戦争を阻止するのである。日本がなすべき平和維持のための国際貢献とは自衛隊をだす軍事的なものではなく文化・教育的側面の非軍事的貢献なのである。この非軍事的貢献はその実現まで時間はかかるかもしれない。しかし本当の平和を迎えるに当たっては非常に大切で将来の紛争をかなりの確立で防ぐことができるのである。50年前日本は天皇制政府のもと軍国主義教育で戦争賛美、お国のため死ぬことは良いことだと教えられ多くの若者が特攻隊に志願したり、志願を強いるような状況であった。しかし戦後民主教育においてはこれらのことはナンセンスなことになっている。大部分の若者にとっては戦争は遠くなり戦争を起こすことなど考えにもないのである。それ故に日本は今日まで戦争に巻き込まれることはなかったのである。それだけ教育は重要なキーポイントであり平和的・民主主義教育が必要なのである。それは過去の歴史の正しい認識およびその出来事の後世へ引き継ぐことによって過去に犯した過ちを二度と繰り返さないことである。

Ⅴ 民主主義と平和
 真の平和は真の民主主義社会において完全な形として姿を現す。真の平和なくして真の民主主義社会は成立しないのである。民主主義と戦争は決して両立しないのである。民主主義の定義はいろいろあるが、その中で貫かれることは個人を最大限尊重することである。しかし戦争は個人の命を虫けらのごとく扱い一部のものの利益のために大多数を犠牲にするのである。民主主義と平和これは切り離せないものである。民主主義社会を目指すものは平和をも目指さなくてはならない、また平和を目指すのなら民主主義社会をも目指さなくてはいけないのである。それは少数者の利益ではなく大多数者の利益なのである。戦争で反民主政策で苦しむのは誰かそれは労働者を初めとする勤労人民である。戦争でもうけるのは誰かそれはほんの一握りの死の商人達である。勤労人民はその利益および社会全体の利益のために平和的民主主義闘争をおこなわなくてはいけないのである。一貫して平和と民主主義の闘いを通じて自己の地位の確立、平和の維持をはからなくてはいけないのである。それは勤労人民の世界史的任務のひとつである。ただ黙っているだけで平和も民主主義もこない。自分の手でつかみ取らなくてはいけないのである。この民主主義および平和の闘争はセクト的闘争ではない。共通の関係を持つものと統一戦線を構築し闘わなくてはいけないのである。

Ⅵ 原水爆禁止運動と平和運動
 日本は唯一の原爆被爆国である。現代の反核闘争の原産国である。原水爆禁止運動は本質的に平和運動と共通の基盤に立っている。どちらも緊急性が高い。しかし特に原水爆は特に非人道的で危険性が高いため一番を持って廃止を実現しなくてはいけない。原水爆は非人道的であるしかしいわゆる通常兵器も当然のことながら人道的ではない。しかし比較の問題でより重要であり原水爆以外に科学・生物兵器も即時禁止・即時全廃を実現することが求められているのである。原水爆禁止は平和のための闘争の一局面である。しかし原水爆禁止だけが平和のための闘争ではないのである。原水爆禁止闘争は平和闘争全体の一局面である。平和を求めるものを阻む組織ではなく統一要求に対して共闘する組織でなくてはいけないのである。それは世界観・社会観の相違を超え平和を望むものの統一的闘争の必要から生まれるものである。平和を求める人民の闘争が権力者の横暴にブレーキをかけ人民の要求を実現させる道である。人民の陣営の乱れはすなわち権力者に力をかすことになるのである。ひとりひとりが弱き人民は団結した闘争こそが最大の武器である。

Ⅶ 過去・現在・未来
 日本は過去にアジア太平洋地域を侵略しアジア人民と日本人民が多大なる苦しみを被った。これは反民主・反平和的、軍国主義的・絶対天皇制の行きつく先であった。そのため戦後民主化がなされたが米ソの冷戦下でそれがうやむやにされ逆コースを歩み民主化・平和化に一定のブレーキがかかった。しかし憲法を学び取った多くの人民は60年安保闘争など英雄的闘争を幾多もくぐり抜けた。そしてまた今日沖縄の米兵による少女暴行に始まる反基地闘争も全国化全人民かが進んでいる。この反基地闘争が全国的な憲法擁護・民主主義的平和的闘争に発展することが非常に大切なのである。憲法を勝手に解釈したり改悪するのではなく、正しい意味での創造的発展、旧社会党的な創憲ではなく憲法の完全実施とともにより高い位置の社会の進歩を目指すことである。20世紀は戦争の世紀だった。それとともにロシア革命に代表される革命の世紀だった。人民の偉大なる闘争によりより高度な平和と民主主義の実現が今人類にあたえられている課題である。

Ⅷ まとめ、後記
現実の日本社会は憲法を完全に生かしきれている状態ではない。右翼的な歴史の偽造者がねじ曲げた言動がちらほら聞こえる。しかし真理は少数であろうと弱かろうと最終的には多数になり強固になるのである。それは真理を愛す人民の闘争によってそれが実現されるのである。憲法の平和主義の理念それは軍事力による均衡の結果もたらせる恐怖の平和ではないのである。軍隊の廃止、戦争放棄を基礎に真の国際的有効・連帯によって軍事力ではなく話し合いで物事を合理的に解決しようという考えである。日本がとるべき平和活動は軍事的協力(介入)ではなく文化・教育面の支援、経済的支援なのである。
 日本が過去に犯した過ちたとえばアジア太平洋地域を侵略したことや南京大虐殺等々に対して真摯な立場に立ち自己批判を常に突き付けなけらばならないのである。過去にたいする理解それが将来への出発点である。過去を理解せず独りよがりの道を歩むのならそれ以上の悲劇を持って歴史は人類に知らしめるであろう。
 平和と民主主義のための統一的闘争が人類史において画期的役割を果たすであろう。真の平和と民主主義の実現が真の人間的成長を実現し社会の進歩にいたるであろう。常に平和と民主主義の問題に取り組み、現実社会の矛盾を直視しその克服によって新社会を建設しなければならず権力の対して最大限の注意と人民階級の統一的組織で強力に闘争を展開しなければいけないのである。
 平和と民主主義のためになにができるか。ひとりで主張してもなにも変わらないではないかという意見もある。しかしその答えは団結によってのみ問題が解決するのである。統一的闘争こそわれわれの最大の武器なのである。陣営を乱すな!
平和と民主主義のために!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

現代教育の諸問題 -形式の教育から意味の教育へ―

2005-01-04 16:40:23 | むかしに書いたもの
                                     (1996.6.6)
                             上記の一部改定(1996.6.8)

 最近問題になっているニセ宗教オウム真理教に、いわゆる一流大学の理系学部を出た優秀な学生がオウムに入り、その悪行にかかわっていたことが問題になっている。
 これは現在の学校教育の問題点が目に見える形で現れたものである。なぜ優秀な学生がオウムなんかのインチキ宗教に引っかかってしまったか。それはいまの学校教育が考える力を成長させずにただ正しいとされていることを教え込んだだけであるのではないのだろうか。オウムみたいなインチキでも百パーセント、インチキで塗り固められるわけにはいかないのである。もっともらしいところを持っているからこそ成り立つものなのである。ただすべてではないのである。そこに論理の飛躍が出てくるのである。ある問題が正しいのだからすべて正しいという風に論理を立てる。しかし一部が正しいからといってすべてが正しいということは論理上あり得ないのである。ウソをついてウソをつく、これは誰でもわかる。しかし本当をいってウソをつくとなると、はたしてそれを見抜けるかが問題になるのである。
 その壁を乗り越えるために必要なのが意味の教育、つまりものの見方考え方の教育である。科学的真理とされていることをドクマ的・教条的に教えるのではなく、科学的真理を基礎にしていかに見るべきか・考えるべきかを教えることが必要であるのだ。ドクマ的・教条的なものはそのことを完全に自分のものにしておらず、受け身の姿勢であって主体性を持って自分で考える段階に至っていないのである。
 もっとも自分の頭で考えるといっても科学に基づかない思弁的なものではいけないのである。当然のことだが現代の科学的真理が基盤である。しかもこれからの社会は昔みたいに、どこかの国がお手本で追いつけ追い越せというものではない。日本は曲がりなりにも手本としてきた国に並ぶ国になった。そうなるとどこかの国の物まねではなく、自分たちの目標に向かって進んでいく必要がある。そうすると自分たちで考える必要があるのである。どこかの誰かさんが答えを知っていて教えてもらうのではなく、自分で答えを見いださなくてはいけないのである。だれも答えを知らないのである。参考意見・考えはあるがそれがそのまま当てはまるという保証はないのである。最終的には自分で考え答えを導かなくてはいけないのである。
 いま必要なのは受け身の暗記中心でなく、科学的真理を基盤とする、主体性を持ち考えることを中心とする教育なのである。知識の量ではなく、それについてのどう見るかや見解を持つことが大切なのである。
 教育はすべての教科において科学的方法論によって貫かねばならない。諸科学の枠を超えたつながりを大切にする必要がある。それは自然科学と社会科学は違った種類の科学ではあるが、お互いにつながりのあるものである。たとえば科学の害悪ということがあるが、それは科学自身が悪いのではないのである。それは社会がその科学を悪用したのである。その問題について突き詰めて考えると自然科学は社会科学と結びつく必要があるのである。お互い違うものであるが、お互いに成果を生かし社会の進歩に役立てる必要がある。
 今日の複雑な社会の諸問題を解決するためには、各人が主体性を持って自分の頭で考えることが求められているのである。そのためにドクマ的思考ではなく、科学的真理に基づく原理・原則を基本を大切にしそして主体的に展開していく必要がある。そのために学問のグローバル的展開と確固たる科学的方法が必要がある。幅広い視野を持って主体的行動ができるようにするのがこれからの教育である。それを通じて自己に主体的世界を切り開かせる必要があるのである。もっとも科学的真理が基本であり、詭弁は排除されなければならないが。
 新しい教育は基本を大切にし主体性を持ち科学に基づく思考を作り出す方向に進めるべきだと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いわゆる体罰の問題によせて

2005-01-04 16:38:46 | むかしに書いたもの
                               (1996.5.13~5.15)
                               1996.5.16 一部改訂
                               1996.5.19 一部改定

 最近の雑誌「アエラ」に興味を引く記事があった。それは以前あった福岡の近畿大学付属女子高校で教師の暴力によって女子高生が死亡した事件のその後の記事である。
 教師のいわゆる体罰によって問題になるといつも親とか地域がその教師の助命嘆願をやるが今回もその類に漏れずに起きている。しかし今回は特にそのやり方が汚すぎるのである。それはその女子高生像をねじ曲げ明らかに中傷するようなものがちらほら見え,それは教師の行動を正当化するかのようなものである。それがデマであるのにそれがひとり歩きしているのである。
 日本では昔から何回もいわゆる体罰問題が起きている。しかし親や地域そして学校ぐるみで助命嘆願や真実の隠蔽をはかっている。そしていずれもうやむやになっている。読者はなぜ私が「体罰」という言葉に「いわゆる」という言葉をつけているかと思う人がいるかもしれない。それは体罰という用語が不適切だと思うからである。それは教育の名を借りた暴力あり、けして是認せざるべきものでないからであるある。ただ一般に教師の暴力の多くが体罰という用語で使われており,また学校教育法で体罰という用語が使われているからやむを得ず使っているものである。
 体罰という名の暴力が明らかになったとき、だいたいいつも「教育熱心のあまり」とかいうどっかの答弁顔負けの決まり文句が多用されてきている。しかし学校だから、教師だからといってなぜ体罰という名の暴力が是認されなければならないのか。いかな理由があろうと暴力を振るわないのが近代社会の常識であり、法律の基礎にあるのである。もし町で殺傷事件を起こしたら警察に逮捕され何らかの処分を受けることになる。これは当たり前のことであるが,なぜ学校だから、教師だから特別な扱いを受けなければならないのかである。
 体罰を正当化しようとしている人もいるが,その根拠はどこにもない。反対にしてはいけないとする根拠はいくつもある。たとえば学校教育法,子供の権利条約等々である。体罰という名の暴力を是認するものは法律をわきまえてそう考えているか問いたいものである。
 体罰を禁止した学校教育法ができたのは50年近くも前の1948年のことである。長い歳月がたってもなお消えないのは,それを是認し社会風土に問題があることはたしかであろう。 体罰は一時的には効果があるように見える。しかしそれは本当に問題が解決をしたものではないのである。本当に悪いこと良いこととを理解しているのではないのである。ただ殴られるのが怖いからということで、外見を取り繕うだけである。抜本的に問題が解決をしていないのである。
 教育にとって必要なのは、その人の理性を最大限に伸ばすことである。知性はその後に考えるべきなのである。これは悪いとか善悪をただ教え込むのではなく自分の頭で考えることが必要なのである。形ではなく原理・原則を理解することであり、ドグマではなく精神を理解することが必要なのである。痛い目にあうからやらないではなく、悪いことだからやらないといういう方へ持っていく必要があるのである。それを教育でおこなうためには、暴力ではなく、相互の信頼関係に基づくねばり強く対応していく必要があるのではないか。
いまの日本社会は一方で近代社会のような姿を持ちながら、一方では前近代的な村社会の姿を持ち合わせている。村社会の構造すべてが悪いとはいわないが、村社会の問題点もある。その問題点とは、問題をうやむやにしてしまうこと、反対する人を村八分にしてしまうことである。この福岡の問題も、いわゆる体罰という問題をごまかし、いわんや死亡した女子高生を中傷し、遺族に嫌がらせをかけるというのは、近代社会においてあるまじき姿である。
この事件は「体罰教育論」というべきかな前近代的教育観が根が深く、かつそれを前近代的要素を持つ社会が、それを支えているいるということを示しているのではないかと私は思うのである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バーナード・ハットン『スターリン』  講談社学術文庫  を読んで

2005-01-04 16:37:16 | むかしに書いたもの
現在では少し認識が変わったところもあるかもしれないが、一つの思いでとして残す。
                      1997年夏、夏休み課題として作成(未提出)
                      これをだいぶ前に改訂した記憶がある

はじめに
 私がこの本に始めてであったのは、高校生のときだった。高校の文化祭の古本市で並んでおり、ひょんなことで購入したことに始まる。それ以来、蔵書(?)の一冊として、本棚に存在しだしたのである。

Ⅰ この本について
 このハットンの著作『スターリン』は、今日入手が容易であるスターリン伝唯一のものであろう。反共的著作ではなく、ただ事実を淡々とおう姿勢が、内容の客観性と信頼性をもたせるのである。著者は、事情あって共産主義運動から離れたが、活動家時代にレーニン夫人のクルプスカヤなどと親交があり、ソ連の裏事情にも通じていたと思われる。
 共産主義運動史、政治家としての共産主義者の理解はときとして難しいものがある。1つは礼賛として、1つは一種のプロパガンダ的な反共デマ攻撃的な研究があり、一層混沌として見えて理解を困難にするのである。この点でこの著作は信頼性が高くなるのである、まず共産主義運動から離れたこと、二つ目は職業的反共主義著述業人ではないことである。
 この『スターリン』の学術文庫版の刊行は、1989年である。もとの版的なものは、1962年頃に新潮社から刊行されたようである(訳者あとがきの日付より推定。なおこのあとがきは、学術文庫版のあとがきの前にあるものである。新潮社ということは、あとがきの最後に新潮社の編集者への感謝の文があるからわかる)。
 

 スターリンは、今日的認識では極悪非道の人物と理解されている。しかし彼の生前および死後の一時期までは、偶像だったのである。共産主義的陣営においては、おおよそ最大級の飾り言葉をつけて語られたのである。
 彼の書く著作は、すべて聖典だったのである。『弁証法的唯物論と史的唯物論』『ソ同盟共産党(ボ)小史』『レーニン主義の基礎』(いずれも大月書店国民文庫)など、今では古本でも見かけることのない著作群たち。大月書店からでた『スターリン全集』『スターリン戦後著作集』。今ではその理論的な部分は、否定されている。もともと科学的社会主義の理論を、理解していなかったのである。しかしこの杜撰な著作は、一時期まで美化されたのである。
 また『マルクス=レーニン主義古典入門』『現代マルクス主義とその批判者』(いずれも大月書店国民文庫)などでは、スターリンの著作は最大限の言葉をもって美化をしたのである。


 この最大の美化の動きは、死後のあるとき一変した。これまでの礼賛の動きは、吐き捨てられる道を歩みだしたのである。これはいわゆるスターリン批判の動きの中である。
 スターリンは1956年の、ソ連共産党第20回大会で批判された。これはフルシチョフの秘密報告であった。もっともすぐに某筋から、アメリカへ伝わり、それが世界的に広がり公然化したのである。もっとも当のソ連の人たちが、当時どれだけが伝えられたかは不明である。日本におけるこの報告の邦訳は、講談社学術文庫の一冊として納められている。
 その後1962年の、共産党第22回大会で、スターリンのレーニン廟からの追放が決定された。もっともそのときの名前は、レーニン・スターリン廟であったが。知っての通りレーニン廟は、レーニンの死後生体を保存するため永久保存処置の上でつくられた廟である。スターリンが死んだ後同じような処置がなされ、レーニン・スターリン廟として一緒におかれたのである。どうやらレーニンよりスターリンの方が大きかったようである。
 もっともこの22回大会で、スターリンは追放されまたレーニン廟に戻ったのである。スターリンの遺体は火葬にされたようである。




 スターリンの悪行として有名なのは、粛清である。その規模は膨大すぎて、その全体像を把握することは極めて困難なものとなっている。
 この粛清は、党の整風のため不純な分子を追放する正しい整風ではなく、スターリンの権力基盤を強いものとする一種の恐怖政治的な弾圧であったのである。
 ソ連共産党関係の犠牲者として有名なのは、トロッキー(亡命ののちメキシコで暗殺)、ブバーリン(死後復権)、リヤザノフ(マルクス=エンゲルス研究所所長、粛清をくらい死亡)などである。これは全体のホンに一部である。
 日本人では、共産主義者で劇作家の杉本栄吉や、幹部で逃れていた山本懸蔵である。のちに、山本は同志であった野坂参三に不当な罪状で密告され、スパイ容疑で捕まり処刑されたことが明らかになった。野坂はまた戦後もソ連と内通し、日本共産党が自主独立路線を確立した後も関係を続けた、これは党を裏切る行為であった。そのため100歳近い年ではあったが、名誉議長の職を解任され党を除名されたのである。
 野坂の件は、ソ連共産党の秘密文書が表にでたため明らかになった。よもや明らかになるとは思わなかったのが明らかになったため、野坂の悪行は暴かれ、党から排除されたのである。


 全体的には、スターリン批判の前は、共産主義的陣営は礼賛のものだった。しかし若干ではあるが、スターリン批判者がいた。日本人で有名なのは、対馬忠行や三浦つとむである。
 対馬氏のスターリン批判の本は、最近こぶし書房からこぶし文庫の一冊として『クレムリンの神話』として刊行された。
 
 三浦つとむは、在野の哲学者であった。初期の著作としては、名著『哲学入門』(現在仮説社から復刊)、『弁証法・いかに学ぶべきか』(季節社より復刊、ただし現在品切れ)などがある。
 スターリン批判の皮切りは、スターリンの言語学批判であった。のちに哲学者であるとともに言語学者としても活躍し、『日本語とはどういう言語か』(講談社学術文庫)などがある。また哲学の著作としての『弁証法はどういう科学か』(講談社現代新書)などがある。
 彼のスターリン批判の記念碑的論文は、のちに『この直言を敢えてする』(学風書房)に収められた。この本は、現在こぶし書房からこぶし文庫の一冊として復刊された。
<>
 
 Ⅳ スターリン批判
 スターリン批判は、根本的になされたものではなかった。スターリン批判後もスターリン主義の亜流が生き続けたのである。国内的には抑圧政治・国際的には干渉と大国主義・覇権主義の体制、そこには本来の科学的社会主義の見地など陰もかたちもない。
 他国の共産主義運動や民主的緒運動への介入、これはソ連だけでなく中国や北朝鮮の共産党・労働党は、世界中にしてきたのである。それは、例外なく日本にもおこなわれた。しかし、結論からいうと介入は失敗したのである。この実態や闘いを示す著作は、多種ある。いくつかを上げるのなら次のものがある。橋爪利次『体験的日中友好裏面史』日本機関紙出版社、小島優編『日中両党会談始始末記増補版―共同コミュニケはどうして破棄されたか―』新日本出版社(文庫)、不破哲三『ソ連・中国・北朝鮮-三つの覇権主義』新日本出版社、『スターリンと大国主義』新日本新書、『日本共産党に対する干渉と内通の記録』新日本出版社などである。
 ソ連・中国・北朝鮮の干渉は卑劣なものであったことは、すでに明らかになっている。しかしこれは科学的社会主義の理屈に明らかに反するものだったのである。


 スターリンの問題は、極めて根の深いものである。このリポートでは今段階においては到底まとめることはできない。スターリンの周辺、その死後を振り返ってみるのが限界だった。この著作の内容自体は難しいものではない。事実を淡々と追うスターリン伝である。しかしそこからでてくるスターリン体制は、必ずしもスターリンの死で清算はされなかったのである。
 スターリン主義、それは一種のファシズムである。一見共産主義を装う、かつヒットラーやムッソリーニとは別の形態のファシズムである。そこには真の科学的社会主義・共産主義の実態はないのである。すっかり転化しきった別物なのである。真の科学的社会主義とスターリン主義は峻別して考える必要があるのである。
 ところがその峻別が実際はなかなかなされない。もともとソ連はレーニンの指導のもと、社会主義をめざす国づくりをふみだした。しかしその死後、スターリンの権力掌握後これは質的に転化したのである。しかしその転化を、知らないのが多いからである。
 ただ同時に共産主義者は同時に考える必要がある。それは共産主義陣営から、スターリン・毛沢東・金日成がでてきた事実である。これらは変質の産物ではあるが、何故こんなものがでてきたのかを、真剣に考えなくてはならないのである。
 同時にこれは、すべての集団にも当てはまる。いわゆる組織と個人の関係である。組織の悪に―実際は少数の人物の利益のもとの決定―に対し、個人は何をおこなうべきか。これもスターリン批判の1つの切り口からでてくる、1つの展開であるように思えるのである。
 スターリン批判は、いわゆる社会主義諸国の問題および認識のためのものではない、同時に高度に発達した資本主義国・政治的にはかなり民主的な国の問題でもあるのである。ある面スターリンの裏返しであるヒットラーが、ワイマール憲法体制で生まれことがあるからである。ワイマール憲法は当時一番民主的だとされた、そこからそれに敵対するヒットラーが生まれたのである。結局の所、ただ憲法・法規の条文の問題だけでなく、それを担う国民のレベルが、真の民主国家をつくるかにかかわってくるのである。資本主義の道を、社会主義の道を歩むにしても、組織と個人の問題、組織内民主主義を解決しない限り、ファシズムの可能性が大きくなるのである。その点でスターリン批判は極めて今日的で大切のように思えるのである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

常石敬一『731部隊』 講談社現代新書 を読んで

2005-01-04 16:32:22 | むかしに書いたもの
                       1997年夏、夏休み課題として作成(未提出)
                       これを、1999年6月一部改訂。

Ⅰ まえおき
 いうまでもなく、731部隊が実在し活動した時代は、いわゆるアジア太平洋戦争の時代である。当然ながら、私にとっては直接関係することも同時代的なものでもない。私が生まれる相当前のことであり、本や展示により731部隊とその時代を知る立場である。
 私が、731部隊知った時期は、残念ながら正確には覚えていない。731部隊に関する記憶を、いくつか上げてみて、おおよその時代を把握するしかないのである。高校一年の現代社会の資料集には731部隊の記述があり、この時期は1995年である。その次は、高校二年の秋である。これは友人の通っていた、某N学園高校の学園祭での、社会科研究会の展示である。そこで731部隊についての展示が、かなりグラフィカルになされていたのである。これとは別に、高校二年ぐらいまでに、森村誠一氏の著作『悪魔の飽食』(角川文庫)を、読んでいたはずである。
 私にとって731部隊は、極めてインパクトの強いことである。同時に日本の侵略自体を忘れることはできない。日本の侵略の問題は、過去の問題ではなく現在の問題として、私には映るのである。これは最近の、近現代史をめぐる議論が余計にそうさせるのである。近現代史の事実に対する、右翼的文化人・学者が政治的・意図的に流す反動的デマロギーに対する反発があるのである。しかも現実的には、彼らが流すデマロギーがバカにできないという状態になっているからである。貧困なる精神に一部メディアが加担し、大量宣伝手段を確保してやるという、極めて危険な状態になっているからである。
 このような情勢に対して、反発の思いは非常に強いものがある。だがしかし、このデマロギーに対する理論的に批判する力を持ち合わせていないことに、常々感じさせられる。日本を右傾化する理論として、反動的デマロギー的な歴史理論を展開する、これが右派陣営の行動である。これと対決するためには、正しい歴史を知ることが、根源的に必要なのである。歴史を学ぶのは過去との対決だけではなく、現代における社会進歩のための闘いの道具を獲得することなのである。

Ⅱ 『悪魔の飽食』
 731部隊のことは、戦後長らく公然のものではなかった。それは部隊長の石井四郎がアメリカと裏取引をおこない、悪魔の飽食の成果をアメリカに提供する代わりに、免罪をされたのである。いわばギブ&テイクの取引、魚心あれば水心である。
 この731部隊のことが一般的になった、最大の功労者は作家の森村誠一氏であろう。それは、『悪魔の飽食』(光文社)という著作を、刊行したからである。このことで、広範な国民に問題提起をしたことで、彼以前にも731部隊を追求し研究したものはいるが、彼の業績を高く評価しても差し支えないだろう。なおついでいうと、『悪魔の飽食』は最初、日本共産党中央機関紙『赤旗』に連載されたものである。
 この刊行に対し、右翼陣営は猛反発をおこなった。そこで森村氏とこの著作に対し攻撃をおこなった。科学的な批判ではなく、イヤガラセという攻撃をおこなったのである。まさに卑劣な攻撃を右翼はおこなったのである。右翼のやり方は、赤旗まつりや日本共産党の宣伝に対する、妨害を見れば明らかであろう。
 批判の1つとして、この著作が共産党の『赤旗』に連載されたことをとらえ、共産党の政治的プロパガンダという荒唐無稽の虚構を勝手につくり上げたのである。共産党に結びつけることで、国民の多くがもつ無意識の反共性に訴えようとする試みでだったのであろう。
 この光文社版は、右翼の攻撃とともに写真の誤用があったため絶版にされた。その後『悪魔の飽食』は、角川書店の角川文庫の一冊として収められた。そしてその新版・続編・続々編が刊行され、現在も版を重ねている。今でもこの著作の、重要性は極めて大きいものである。

 Ⅲ
 この本の著者常石敬一氏は、神奈川大学の教授で科学史および生物化学兵器軍縮を専門としている。つまりは、彼は科学者なのである。その著者が歴史学の一分野で、かつ科学者の協力が必要な731部隊についての本、つまりこの本を書いたのである。また全国でおこなわれた731部隊展の実行にかかわっていた。科学者として真理を求める姿勢、科学者としての良心が、この展示の運営へと駆り立てたのであろう。
 この著作においては、731部隊の活動とともに、加わった科学者・医学者に光を当て、彼らの戦後の動向を通じ、科学者・医学者の倫理の問題、戦争責任問題にも焦点を当てているのである。最近専門外のものが歴史に手を出すくせに、極めて嘘で塗り固めたものを、いかにも正しいかのような誇大宣伝をする、極めて政治的なものに比べれば、良識があるように私には思えるのである。

 Ⅳ 薬害エイズと731部隊
 最近話題になり、国民の怒りをかった薬害エイズ事件。この事件と731は極めて密接なものである。まず被告企業であるミドリ十字は、なんと731部隊の残党がつくった製薬会社なのである。またこの企業は相当な札付きなもので、常軌を逸するようなことが過去にもあったようである。このことは、『偽装』(晩聲社刊行)をぱらぱらめくって知ったのである。まさに三つ子の魂100までである。
 同時に、医の倫理をも問い直されたのである。直接的ではないが間接的には、系図が見えてくるのである。それは戦後医学界の指導的地位に、731部隊経験者の医者がついたのである。
 だから薬害エイズ問題の起きる根底は戦争中にあり、本来批判されるべきものが生き続けたからである。これは戦後の国際政治の渦の中で、うやむやにされた結果なのである。批判と反省が根本的にやらないまま今日まで来て、医者・医学者および科学者の倫理を問い直す問題へとつながったのである。科学に対する、国民の監視の重要性と、批判と自己批判の重要性が極めて今日的問題で、重要なのである。
 だからこの戦争といまの問題は切り離せない。ここで明記するべきことは、原告の一人で名前を公表している内の一人である、川田龍平さんが戦争責任に言及したのは極めて正当なのである。所詮この点を理解しないものは、一見進歩的な面で活躍することはあっても、本質的に反動的で最終的にはその進歩的な面を捨て転落するのである。えげつない反動漫画家の小林よしのりと右派ジャーナリストの桜井良子の歩みであろう。

Ⅴ まとめに
 731部隊をはじめとする、日本の戦争責任は本質的に総括はされていない。戦後国際政治の渦の中で、戦争責任はうやむやにされ、逆に反動的なものの復権が相次いだ。総括・反省は、支配的政治勢力ではなされず、逆に美化さえをおこなったのである。また各界、ここでは医学界は、戦争責任の追及は極めて曖昧で、731部隊の残党が戦後の医学界をリードし、学長などの地位についたことは今日では明らかにされている。
 ただ同時に良識ある、学者・市民の手で戦争責任を追及する動きが進んだ。教科書の右傾化には家永三郎さんなどが異議の声を上げ、教科書裁判という行動をおこした。これは、広範な市民の応援で長い裁判を支え、大きな運動を作りあげてきた。この動きは、逆コース的政治の歴史への偽造に対し異議の声となり、その流れを一定程度押しとどめてきた。この人々の苦労は、いい尽くせないものだと思うのである。
 しかし、最近自由主義史観とかディベートとかの名の下に、自虐史観論とか東京裁判史観とかいう、極めて欺瞞的な言葉で戦後の歴史学の成果と戦後民主主義の積極的な面を否定する潮流の動きが活発である。しかし戦争はしない、男女平等など基本的な部分は、政治的に骨抜きにされた面があるにしても極めて正しいもので、これらの積極的な面を推進する必要性があるように思うのである。結局の所、生半可な折衷で羊頭狗肉を食わせる企みなのである。
 藤岡信勝や渡部昇一などの専門外の、極めて無学的な介入には苦々しく思うのである。ちゃんとした勉強の上、歴史学界に新風を吹き込み論争を生み出すのならともかく、政治的デマロギーで論争とはいえない論争を起こす姿には、哀れみさえ思えるのである。ああいえばこういう、その上に珍説・珍釈を持ち出しあの上佑も顔負けであろう。
 このような反動的潮流には、私は寛容ではいられない。歴史を逆に回そうとする、嘘八百の理屈には寛容ではいられない。怪しげなデマロギー的理屈を持ち込むことは許せないのである。彼らは歴史を塗り替え、嘘の歴史を作ろうとしているのである。歴史を偽造する国で、栄えた試しはないのである。
 歴史の過ちを認めることは恥ではない。もっとも恥なのは過ちを認めないことである。藤岡などの右翼的学者・文化人連中、政界の保守反動の連中はこのもっとも恥知らずな道を歩んでいるのである。まず現実から出発すること、過ちを認め誠意ある謝罪と適切な補償。これがアジアにおいて諸国民と共存するための基礎的条件なのである。この上で日本という国、国民が世界の人々から信頼される一歩なのである。
 この本は、戦争責任の問題と科学者・医学者の倫理を再認識させる本で、ぜひ一読を勧めたいと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マルクス・エンゲルスの著作についていくつか

2005-01-04 16:29:44 | むかしに書いたもの
                          1997年夏に書かれたもの(学生のころ)


 マルクスとエンゲルスが、今日世界に与えた影響は否定することはできない。彼を受け入れるにしろ、否定するにせよ、彼らの思想に浸透されている。しかし彼らは19世紀の人で、また研究の手段も、彼らが残したもの、つまりは著作・手紙や遺稿が頼りとなるのである。ところが彼らの著作をめぐる問題は、相当難しい問題がある。草稿が多く、かつ刊行の時における編集の手法に問題があるとされているのである。

 Ⅱ
 大月書店から『マルクス=エンゲルス全集』が刊行されていた。これは現在では絶版になっている。現在ではWindows版とマッキントッシュ版がCD-ROMで刊行されている。この全集、日本語では『全集』である。しかし厳密には、『全集』ではないのである。それは中身のレベルだけではなく、原題からしてそうである。原題は、”Karl Marx- Friedrich Engels Werke”である。訳せば、『カール・マルクス=フリードリッヒ・エンゲルス著作集』である。それも著作以外の、手稿・書簡の多くを含む著作集ということである。
 ただ今日、この編集にはかなり問題があることが、明らかになっている。この著作集では、意図的にはずされた著作があり、また草稿関係のものの編集に問題があるとされているのである。政治的な恣意的解釈や、文献学的問題があるのである。ついていうとこの『著作集』は、旧ドイツ民主共和国(旧東ドイツ)のドイツ社会主義統一党中央委員会付属マルクス=レーニン主義研究所の編集によるものである。
 これに代わるもの、学術的な版として新しい全集が、現在刊行中である。それは新メガとも呼ばれる、”Karl Marx-Friedrichi Engels Gesammtausgabe”である。歴史的・批判的全集をめざして、全100巻の予定で刊行されだしたのである。しかしソ連および旧東ドイツの混迷と解体で最大の出資者を失い、編集が遅れ計画の部分的縮小が起きている。
 現在国際的な協力を受け、国際マルクス・エンゲルス財団の手で編集刊行が、やっとこ続けられている。ただ上記の資金的理由により、その編集のスピードは遅れておりその完成は21世紀になることが、ほぼ間違いのないことが明らかになっている。 
 この学術的全集の別名は、先にいったように新メガである。メガの上に新がつく。それは別名旧メガと呼ばれるものが存在するからである。


 いわゆる旧メガは、訳すなら『マルクス=エンゲルス全集』である。原書の綴りだと”Marx-Engels Gesamtausgabe”で略称がMEGAである。
これは、ソ連モスクワのマルクス=エンゲルス研究所とドイツのフランクフルトにあった社会問題研究所の、共同の編集でなされたものである。同時に出版は、両者共同の出資によってつくられた出版社で刊行された。刊行地は、始めはフランクフルトでなされた。その後ナチスの支配になり、モスクワに刊行地は移った。
 ただこの計画は、全42巻を予定していたが、1927-1935年のあいだに12冊の発行にとどまり、未完成のままに終わったのである。そのため、マルクス・エンゲルスの遺稿を包括的に含む出版というのは、新メガまでなされなかった。ただし断片的には、いくつかはでてきた。しかしその編集には問題があることも今日では判明している。


 マルクス・エンゲルスの遺稿は膨大な量になっている。いくつかあげるのなら、『ドイツ・イデオロギー』に関するもの、『1844年の経済学・哲学草稿』、経済学に関する手稿-たとえば『資本論』の下書きなど-、『自然の弁証法』関係のもの。その他たくさん、それもいろんな主題にわたる研究の成果物として書かれ、多くは未完成や未定稿のまま残されたものである。
 いずれもその編集と、収集はやっかいなものである。すでに刊行されたものは、すでに刊本はあるし、修正もバグ取りに限られるが、未定稿のものは、一本の著作としてなすための編集が不可欠であり、一般的に読まれるための編集・注解が必要になるのである。この点の問題は極めてやっかいで一筋縄にはいかなかったのである。
 そのたぶんの要素が、政治の介入である。特にレーニンなき後ソ連の最高指導者となったスターリンおよびその系統である。政治的偏向が、つまりスターリンなどの指導部の理論と矛盾しないような編集を求め、またソ連の研究者の指導的理解にそった編集をなしたのである。しかしこれは極めて危険な編集であった。一定の解釈のもとの編集本のみが、権威あるものとして刊行され、各国で翻訳刊行されたのである。

Ⅴ 遺稿『ドイツ・イデオロギー』
 マルクス=エンゲルスの遺稿の多くは、ドイツ社会民主党の手にいったん渡った。ただそこへの過程、そこに入ったあとの管理の杜撰さ、ナチの手から守るため移動したときに行方しれずになったモノは少なくないとされている。この過程で損なわれた部分、もしくは何かに紛れている部分の痛手は否定することはできない。全体的理解のため重要な部分がそこに紛れている可能性があるからである。
 さて社会民主党に入った文書について関心を持ったのは、ソ連であった。ソ連のマルクス=エンゲルス研究所の初代所長であったリヤザノフは、幾度か遺稿の調査をおこなった。
 その過程で未完成の遺稿『ドイツ・イデオロギー』などを見つけだし、その初めての全体的刊行をした。リヤザノフ版『ドイツ・イデオロギー』は、日本では三木清の翻訳で岩波文庫の一冊として『ドイッチエ・イデオロギー』として戦前に刊行された。その後リヤザノフは、スターリンの毒牙にかかり粛清された。
 その後アドラツキーらによって旧メガが刊行され、この版の『ドイツ・イデオロギー』が刊行された。しかしこれは遺稿を切り刻み、当時のソ連の研究者の一定の理解にそって切り分けた編集であった。編集的には杜撰であったことが後日明らかになった。しかしソ連の権威で普及したのもまた事実である。この版にそって、第一巻第一章フォイエルバッハは戦後版岩波文庫古在由重訳で『ドイツ・イデオロギー』として刊行された。これは一部手を加えた上で『マルクス=エンゲルス著作集』へと引き継がれ、日本語版『全集』や大月書店国民文庫版の真下信一訳の『ドイツ・イデオロギー』につながったのである。
 その後よりオリジナルの原稿に近いのを求め、ソ連の研究者バガトゥーリヤの新版(訳は合同出版社版『新版ドイツ・イデオロギー』)、大月書店版『マルクス=エンゲルス8巻選集』第一巻に納められている旧東ドイツのタウベルト版などがある。あと新メガの試行版、廣松渉の独自の編集本(河出書房新社刊)、最近では、服部文男監訳の新日本出版社版。これははじめ訳が日本共産党中央委員会理論政治誌『前衛』に連載され、単行本になったものである。
 この遺稿をめぐる議論は、なお白熱したものがある。研究家の間でも諸説があり、編集問題をめぐる議論も大きいものである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歴史認識における事実と経験の問題

2005-01-04 16:26:49 | むかしに書いたもの
                                   2001年12月7日 初稿
                                   2001年12月8日 改訂

 歴史認識において、事実と経験をどうとらえるかという問題がある。
 右翼的潮流の歴史認識=デタラメではなく、一定の事実の反映もあるという視点が、論争を見ていく上で重要だと思う。「ロシアの南下への恐怖」などは、根拠のないデタラメではなく、一定事実を反映しているというのが定説であろう。しかし同時に、大義名分ではなく実際に行ってきたこと・考えてきたこと・その結果をどうだったのかをしっかりとらえる必要がある。いろんな諸事実・視点を総合して見ること、どのような結果につながったのかをとらえる必要がある。右翼的潮流は、個々の点で事実であっても、全体としては一面的な歴史認識であり、都合のいい解釈となっており、デタラメな歴史認識になっている。自虐史観ならぬ自画自賛史観であり、それはもっとも日本を貶める史観(世界から無責任・無反省な国ととらえられることを通じて)となっている。
 経験というものをどうとらえるのか、近現代史を考える上で欠かすことのできない観点といえよう。近現代史の特徴としては、実際に経験した人が多く現存し、証言することのできる歴史ということ、同時代史という性格をもっている。そのような性格をもっているが故に、個々人の「経験」が一つくせ者となってくる。例をあげよう。自分のまわりには従軍慰安婦がいなかった=従軍慰安婦なんかなかった=従軍慰安婦の話はデタラメだ、こういった論理を「経験」を通じて展開することも不可能ではなく、実際に展開されている(某鉄道雑誌での編集長原稿がいい例)。そして、例の新しい歴史教科書を、諸外国が批判することは「不当な内政干渉」という、論理を受け入れる下地になっているのである。私たちが歴史認識を考える上では、ある出来事の性格認定や事実認定を進めていく上で、ある特定の個人の経験を出発点に考えるのではなく、文献や多くの経験を総合して考えることが重要であり必要になってくる。
 15年戦争の指導者たちも娘や妻にとっては、優しい父親・夫だった。これは事実だ。同時に、少なくない日本とアジアの人民から父親・夫を奪ったのも事実なのだ。右翼的潮流は、系統的に前者の「経験」を、文藝春秋社など大手出版社の雑誌や文庫本などの形で流している。この2つの側面をもつ問題をどう考えたらイイのだろうか?。
 これらの問題を考えるためには、歴史を学ぶとともに、また勤労者通信大学などで哲学や歴史観(弁証法的唯物論的な性質をもっている)などの基礎理論も学んでいかないと、「事実」「経験」にだまされてしまうのではないかと、ふと感じた。
追記)三浦つとむ『哲学入門』(仮説社)その2の部分は、非常に興味深い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ビラ入れで逮捕??

2005-01-04 11:17:38 | なんでだろう?
12月23日(2004年)、東京・葛飾で日本共産党のビラを、マンションで配っていた方が逮捕された。先だって立川自衛隊監視テント村が自衛隊官舎で反戦ビラを配布して逮捕された事件で、無罪判決が東京地裁八王子支部で出されたばかりなのに。
「自衛隊派兵反対」ビラ、「日本共産党」のビラなど、政治的でなおかつ反体制的運動のものだと、「ビラお断り」の看板を口実にしたり住居不法侵入だとかいって逮捕されてしまう。それだったら、さんざんビラを入れている○×不動産(大手の有名どころ)、宅配ビザ屋やら寿司屋のビラをポスティングしても捕まってしまう??キチンと同じ基準で適応すれば、、、。ポスティングバイトのみなさん、ご注意あれ。裁判にかけられちゃうぞ!!。
「反戦落書き」に関して、「落書き」という行為については感心できません。しかし、それ相応の処罰はイイとしても、政治的処罰(だって普通は軽犯罪法違反なのに、この件ではより重い建造物破損罪)を出すのはおかしいぞ。「内容」(思想性)で対応を変えるのは、異常だ。
こう続くと、きわめて政治的意図を感じてしまう。
これが、「天皇陛下万歳!」「自衛隊イラクでがんばれ!」と落書きだったら?ビラにしても、自民党や公明党のビラだったら、「自衛隊イラク派遣を歓迎する」とか「自主憲法を制定しよう」とかいうものだったら?、どういう罪状になるだろうか。
政治活動の自由が危ない。マスコミでは伝えてもらえない運動や声、それを握りつぶされようとしている。お金のない、また意図的にマスコミで報道されない・されにくくなっている運動を、市民に伝える方法-その一つが全戸配布と呼ばれるポスティングだと思う。
もし読みたくなければ、嫌いなら、捨てるなり送り返すなりすればいいだけだ。それを110番して警察に突き出すのはいかがなものか。
政治活動の自由を守れ!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする