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常石敬一『731部隊』 講談社現代新書 を読んで

2005-01-04 16:32:22 | むかしに書いたもの
                       1997年夏、夏休み課題として作成(未提出)
                       これを、1999年6月一部改訂。

Ⅰ まえおき
 いうまでもなく、731部隊が実在し活動した時代は、いわゆるアジア太平洋戦争の時代である。当然ながら、私にとっては直接関係することも同時代的なものでもない。私が生まれる相当前のことであり、本や展示により731部隊とその時代を知る立場である。
 私が、731部隊知った時期は、残念ながら正確には覚えていない。731部隊に関する記憶を、いくつか上げてみて、おおよその時代を把握するしかないのである。高校一年の現代社会の資料集には731部隊の記述があり、この時期は1995年である。その次は、高校二年の秋である。これは友人の通っていた、某N学園高校の学園祭での、社会科研究会の展示である。そこで731部隊についての展示が、かなりグラフィカルになされていたのである。これとは別に、高校二年ぐらいまでに、森村誠一氏の著作『悪魔の飽食』(角川文庫)を、読んでいたはずである。
 私にとって731部隊は、極めてインパクトの強いことである。同時に日本の侵略自体を忘れることはできない。日本の侵略の問題は、過去の問題ではなく現在の問題として、私には映るのである。これは最近の、近現代史をめぐる議論が余計にそうさせるのである。近現代史の事実に対する、右翼的文化人・学者が政治的・意図的に流す反動的デマロギーに対する反発があるのである。しかも現実的には、彼らが流すデマロギーがバカにできないという状態になっているからである。貧困なる精神に一部メディアが加担し、大量宣伝手段を確保してやるという、極めて危険な状態になっているからである。
 このような情勢に対して、反発の思いは非常に強いものがある。だがしかし、このデマロギーに対する理論的に批判する力を持ち合わせていないことに、常々感じさせられる。日本を右傾化する理論として、反動的デマロギー的な歴史理論を展開する、これが右派陣営の行動である。これと対決するためには、正しい歴史を知ることが、根源的に必要なのである。歴史を学ぶのは過去との対決だけではなく、現代における社会進歩のための闘いの道具を獲得することなのである。

Ⅱ 『悪魔の飽食』
 731部隊のことは、戦後長らく公然のものではなかった。それは部隊長の石井四郎がアメリカと裏取引をおこない、悪魔の飽食の成果をアメリカに提供する代わりに、免罪をされたのである。いわばギブ&テイクの取引、魚心あれば水心である。
 この731部隊のことが一般的になった、最大の功労者は作家の森村誠一氏であろう。それは、『悪魔の飽食』(光文社)という著作を、刊行したからである。このことで、広範な国民に問題提起をしたことで、彼以前にも731部隊を追求し研究したものはいるが、彼の業績を高く評価しても差し支えないだろう。なおついでいうと、『悪魔の飽食』は最初、日本共産党中央機関紙『赤旗』に連載されたものである。
 この刊行に対し、右翼陣営は猛反発をおこなった。そこで森村氏とこの著作に対し攻撃をおこなった。科学的な批判ではなく、イヤガラセという攻撃をおこなったのである。まさに卑劣な攻撃を右翼はおこなったのである。右翼のやり方は、赤旗まつりや日本共産党の宣伝に対する、妨害を見れば明らかであろう。
 批判の1つとして、この著作が共産党の『赤旗』に連載されたことをとらえ、共産党の政治的プロパガンダという荒唐無稽の虚構を勝手につくり上げたのである。共産党に結びつけることで、国民の多くがもつ無意識の反共性に訴えようとする試みでだったのであろう。
 この光文社版は、右翼の攻撃とともに写真の誤用があったため絶版にされた。その後『悪魔の飽食』は、角川書店の角川文庫の一冊として収められた。そしてその新版・続編・続々編が刊行され、現在も版を重ねている。今でもこの著作の、重要性は極めて大きいものである。

 Ⅲ
 この本の著者常石敬一氏は、神奈川大学の教授で科学史および生物化学兵器軍縮を専門としている。つまりは、彼は科学者なのである。その著者が歴史学の一分野で、かつ科学者の協力が必要な731部隊についての本、つまりこの本を書いたのである。また全国でおこなわれた731部隊展の実行にかかわっていた。科学者として真理を求める姿勢、科学者としての良心が、この展示の運営へと駆り立てたのであろう。
 この著作においては、731部隊の活動とともに、加わった科学者・医学者に光を当て、彼らの戦後の動向を通じ、科学者・医学者の倫理の問題、戦争責任問題にも焦点を当てているのである。最近専門外のものが歴史に手を出すくせに、極めて嘘で塗り固めたものを、いかにも正しいかのような誇大宣伝をする、極めて政治的なものに比べれば、良識があるように私には思えるのである。

 Ⅳ 薬害エイズと731部隊
 最近話題になり、国民の怒りをかった薬害エイズ事件。この事件と731は極めて密接なものである。まず被告企業であるミドリ十字は、なんと731部隊の残党がつくった製薬会社なのである。またこの企業は相当な札付きなもので、常軌を逸するようなことが過去にもあったようである。このことは、『偽装』(晩聲社刊行)をぱらぱらめくって知ったのである。まさに三つ子の魂100までである。
 同時に、医の倫理をも問い直されたのである。直接的ではないが間接的には、系図が見えてくるのである。それは戦後医学界の指導的地位に、731部隊経験者の医者がついたのである。
 だから薬害エイズ問題の起きる根底は戦争中にあり、本来批判されるべきものが生き続けたからである。これは戦後の国際政治の渦の中で、うやむやにされた結果なのである。批判と反省が根本的にやらないまま今日まで来て、医者・医学者および科学者の倫理を問い直す問題へとつながったのである。科学に対する、国民の監視の重要性と、批判と自己批判の重要性が極めて今日的問題で、重要なのである。
 だからこの戦争といまの問題は切り離せない。ここで明記するべきことは、原告の一人で名前を公表している内の一人である、川田龍平さんが戦争責任に言及したのは極めて正当なのである。所詮この点を理解しないものは、一見進歩的な面で活躍することはあっても、本質的に反動的で最終的にはその進歩的な面を捨て転落するのである。えげつない反動漫画家の小林よしのりと右派ジャーナリストの桜井良子の歩みであろう。

Ⅴ まとめに
 731部隊をはじめとする、日本の戦争責任は本質的に総括はされていない。戦後国際政治の渦の中で、戦争責任はうやむやにされ、逆に反動的なものの復権が相次いだ。総括・反省は、支配的政治勢力ではなされず、逆に美化さえをおこなったのである。また各界、ここでは医学界は、戦争責任の追及は極めて曖昧で、731部隊の残党が戦後の医学界をリードし、学長などの地位についたことは今日では明らかにされている。
 ただ同時に良識ある、学者・市民の手で戦争責任を追及する動きが進んだ。教科書の右傾化には家永三郎さんなどが異議の声を上げ、教科書裁判という行動をおこした。これは、広範な市民の応援で長い裁判を支え、大きな運動を作りあげてきた。この動きは、逆コース的政治の歴史への偽造に対し異議の声となり、その流れを一定程度押しとどめてきた。この人々の苦労は、いい尽くせないものだと思うのである。
 しかし、最近自由主義史観とかディベートとかの名の下に、自虐史観論とか東京裁判史観とかいう、極めて欺瞞的な言葉で戦後の歴史学の成果と戦後民主主義の積極的な面を否定する潮流の動きが活発である。しかし戦争はしない、男女平等など基本的な部分は、政治的に骨抜きにされた面があるにしても極めて正しいもので、これらの積極的な面を推進する必要性があるように思うのである。結局の所、生半可な折衷で羊頭狗肉を食わせる企みなのである。
 藤岡信勝や渡部昇一などの専門外の、極めて無学的な介入には苦々しく思うのである。ちゃんとした勉強の上、歴史学界に新風を吹き込み論争を生み出すのならともかく、政治的デマロギーで論争とはいえない論争を起こす姿には、哀れみさえ思えるのである。ああいえばこういう、その上に珍説・珍釈を持ち出しあの上佑も顔負けであろう。
 このような反動的潮流には、私は寛容ではいられない。歴史を逆に回そうとする、嘘八百の理屈には寛容ではいられない。怪しげなデマロギー的理屈を持ち込むことは許せないのである。彼らは歴史を塗り替え、嘘の歴史を作ろうとしているのである。歴史を偽造する国で、栄えた試しはないのである。
 歴史の過ちを認めることは恥ではない。もっとも恥なのは過ちを認めないことである。藤岡などの右翼的学者・文化人連中、政界の保守反動の連中はこのもっとも恥知らずな道を歩んでいるのである。まず現実から出発すること、過ちを認め誠意ある謝罪と適切な補償。これがアジアにおいて諸国民と共存するための基礎的条件なのである。この上で日本という国、国民が世界の人々から信頼される一歩なのである。
 この本は、戦争責任の問題と科学者・医学者の倫理を再認識させる本で、ぜひ一読を勧めたいと思う。
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