労働組合 社会運動ってなんだろう?

労働組合のこと、社会運動を考える
「万国の労働者団結せよ!」というコトバが好きです(笑)

現代と平和

2005-01-04 16:41:59 | むかしに書いたもの
現在では少し認識が変わったところがあるかもしれないが、一つの思いでとして掲載する。
(1996.8.15)
(8.19一部改定)
(1999.6一部改定)

Ⅰ 序
 この現代と平和という問題を考えるに当たって15年にもわたるアジア太平洋戦争をどう理解するかが非常に大切な点である。戦争の本質をどう見極めるかによって現代の平和論の主張が違うのである。つまり侵略を解放だと解釈する者が主流である自民党や新進党と、あくまでも真実を追求し批判する共産党とではその平和とはという問題、現代と平和という問題の論理が違うからである。
 またこの問題は全世界的な問題である。どこかの国だけの問題ではないのである。今のところ先進国においては直接戦火の中にはいないが間接的にかかわり、また未だに戦火を繰り返している国もある状態下この問題の重要性は未だ消え去ってはいないのである。これは同時に日本の問題でもあるのである。世界に類を見ない平和憲法をどう生かすかを考えるにおいて欠かすことのできない問題である。つまり憲法を生かす道か殺す道かの分岐点でもあり試金石でもある。この問題を科学的に研究し実践化することによって憲法は生き続け、かつ世界平和へ本当の意味での貢献ができるかにかかわってくるのである。この問題は古典的問題でもあるが同時に現代的問題でもあるのである。

Ⅱ アジア太平洋戦争の本質
 いわゆる満州事変に始まる15年にわたるアジア太平洋戦争の本質はまぎれもない侵略戦争である。それは絶対的天皇制を中心とする軍国主義政策の行きつく先で外には侵略、内には人民抑圧の反平和的・反民主的政策の行きつく先であった。しかし歴史の偽造者達と私が呼ぶ自民党の政治家や右翼思想の持ち主達はその侵略という事実を否定しアジア・太平洋地域を欧米の支配から解放したと日本が犯した過ちを公然と肯定するのである。反対に共産党などの民主陣営は侵略戦争であったことを認めその過ちを繰り返さないために謝罪や補償をおこなうこと、学校教育等で本当のことを教えることを主張している。この自民党的考え方と共産党的考え方は対極にありそれが現代における平和の考え方と憲法にたいする考え方に出てくるのである。

Ⅲ 平和と憲法
 憲法においては世界平和を求める立場から常備軍の禁止、交戦権否定つまり戦争の禁止を明言している。これは世界に類を見ない平和憲法である。憲法には天皇制など今となっては問題のあるところもあるが平和的・民主的条項など先駆的な部分も含まれている。日本における平和の考えは二つある。ひとつは、憲法を無視してアメリカ追随の日米安保中心の考えであり、保守党・右派勢力と同伴者の論理である。二つ目は、憲法を基本にして生活に憲法を生かしアメリカ追随ではなく自主独立で安保廃棄の中立・平和・民主日本を目指すというものであり、革新・民主の立場に立つ勢力の主張である。アメリカ追随派にとっては憲法は目の敵でありできることなら変えてしまいたいのである。彼らは平和を主張する。しかし彼らの平和は、革新・民主勢力の求める平和とは別の平和である。たとえ話をしよう革新・民主勢力の求める平和は強盗のいない平和である。しかしアメリカ追随派の求める平和は強盗がいてそれに対してだれも抵抗しない平和である。強盗のための平和か人民のための平和かそれは同じ平和の状態においてまったく正反対の状態を生む者である。強盗の平和は武力によってその均衡が保たれている。しかし敵が強くなると自分も強化するそれを繰り返している内に1が2に2が4に4が8にとどんどん増えていき恐怖下における平和で一発即発の状態なのである。こうならないためには軍事力の廃止というのが大切であり憲法の平和主義を普及しそれをより正しい方向へ発展させることが大切なのである。

Ⅳ 軍事的平和維持活動と非軍事的平和維持活動
 国連の平和維持活動PKOに自衛隊をだすかが問題になり結局数に押し切られ違憲の自衛隊が海外へ乗り出した。
 このような軍事力を使った平和維持活動というのが世界中でおこなわれているがその実効性は極めて疑わしいものである。軍事力とは実に強力なもので排他的力をもたらし押さえつける。しかし真の平和をお互いが相互理解、協力する精神、平和への要求が揃って実現するのである。そのために必要なのは何か。それは決して軍事力ではない。軍事力は無理矢理両者の争いを一時的には終わらすことはできるが、しかし両者の溝はまったく埋まっておらず逆に恨みを持ち再び戦火になることさえ十分にあり得るのである。ここにおいて実に大切なのは文化や教育の力である。これによって平和を迎える可能性が非常に高まるのである。戦争の教育から平和の教育へ次世代の若者を平和と民主主義に目覚めさせることで戦争を実際におこなうものの基盤を奪うことで、戦争愛好者達が戦争を望もうとも、その戦争をおこなわせるはずの若者が拒否することで戦争を阻止するのである。日本がなすべき平和維持のための国際貢献とは自衛隊をだす軍事的なものではなく文化・教育的側面の非軍事的貢献なのである。この非軍事的貢献はその実現まで時間はかかるかもしれない。しかし本当の平和を迎えるに当たっては非常に大切で将来の紛争をかなりの確立で防ぐことができるのである。50年前日本は天皇制政府のもと軍国主義教育で戦争賛美、お国のため死ぬことは良いことだと教えられ多くの若者が特攻隊に志願したり、志願を強いるような状況であった。しかし戦後民主教育においてはこれらのことはナンセンスなことになっている。大部分の若者にとっては戦争は遠くなり戦争を起こすことなど考えにもないのである。それ故に日本は今日まで戦争に巻き込まれることはなかったのである。それだけ教育は重要なキーポイントであり平和的・民主主義教育が必要なのである。それは過去の歴史の正しい認識およびその出来事の後世へ引き継ぐことによって過去に犯した過ちを二度と繰り返さないことである。

Ⅴ 民主主義と平和
 真の平和は真の民主主義社会において完全な形として姿を現す。真の平和なくして真の民主主義社会は成立しないのである。民主主義と戦争は決して両立しないのである。民主主義の定義はいろいろあるが、その中で貫かれることは個人を最大限尊重することである。しかし戦争は個人の命を虫けらのごとく扱い一部のものの利益のために大多数を犠牲にするのである。民主主義と平和これは切り離せないものである。民主主義社会を目指すものは平和をも目指さなくてはならない、また平和を目指すのなら民主主義社会をも目指さなくてはいけないのである。それは少数者の利益ではなく大多数者の利益なのである。戦争で反民主政策で苦しむのは誰かそれは労働者を初めとする勤労人民である。戦争でもうけるのは誰かそれはほんの一握りの死の商人達である。勤労人民はその利益および社会全体の利益のために平和的民主主義闘争をおこなわなくてはいけないのである。一貫して平和と民主主義の闘いを通じて自己の地位の確立、平和の維持をはからなくてはいけないのである。それは勤労人民の世界史的任務のひとつである。ただ黙っているだけで平和も民主主義もこない。自分の手でつかみ取らなくてはいけないのである。この民主主義および平和の闘争はセクト的闘争ではない。共通の関係を持つものと統一戦線を構築し闘わなくてはいけないのである。

Ⅵ 原水爆禁止運動と平和運動
 日本は唯一の原爆被爆国である。現代の反核闘争の原産国である。原水爆禁止運動は本質的に平和運動と共通の基盤に立っている。どちらも緊急性が高い。しかし特に原水爆は特に非人道的で危険性が高いため一番を持って廃止を実現しなくてはいけない。原水爆は非人道的であるしかしいわゆる通常兵器も当然のことながら人道的ではない。しかし比較の問題でより重要であり原水爆以外に科学・生物兵器も即時禁止・即時全廃を実現することが求められているのである。原水爆禁止は平和のための闘争の一局面である。しかし原水爆禁止だけが平和のための闘争ではないのである。原水爆禁止闘争は平和闘争全体の一局面である。平和を求めるものを阻む組織ではなく統一要求に対して共闘する組織でなくてはいけないのである。それは世界観・社会観の相違を超え平和を望むものの統一的闘争の必要から生まれるものである。平和を求める人民の闘争が権力者の横暴にブレーキをかけ人民の要求を実現させる道である。人民の陣営の乱れはすなわち権力者に力をかすことになるのである。ひとりひとりが弱き人民は団結した闘争こそが最大の武器である。

Ⅶ 過去・現在・未来
 日本は過去にアジア太平洋地域を侵略しアジア人民と日本人民が多大なる苦しみを被った。これは反民主・反平和的、軍国主義的・絶対天皇制の行きつく先であった。そのため戦後民主化がなされたが米ソの冷戦下でそれがうやむやにされ逆コースを歩み民主化・平和化に一定のブレーキがかかった。しかし憲法を学び取った多くの人民は60年安保闘争など英雄的闘争を幾多もくぐり抜けた。そしてまた今日沖縄の米兵による少女暴行に始まる反基地闘争も全国化全人民かが進んでいる。この反基地闘争が全国的な憲法擁護・民主主義的平和的闘争に発展することが非常に大切なのである。憲法を勝手に解釈したり改悪するのではなく、正しい意味での創造的発展、旧社会党的な創憲ではなく憲法の完全実施とともにより高い位置の社会の進歩を目指すことである。20世紀は戦争の世紀だった。それとともにロシア革命に代表される革命の世紀だった。人民の偉大なる闘争によりより高度な平和と民主主義の実現が今人類にあたえられている課題である。

Ⅷ まとめ、後記
現実の日本社会は憲法を完全に生かしきれている状態ではない。右翼的な歴史の偽造者がねじ曲げた言動がちらほら聞こえる。しかし真理は少数であろうと弱かろうと最終的には多数になり強固になるのである。それは真理を愛す人民の闘争によってそれが実現されるのである。憲法の平和主義の理念それは軍事力による均衡の結果もたらせる恐怖の平和ではないのである。軍隊の廃止、戦争放棄を基礎に真の国際的有効・連帯によって軍事力ではなく話し合いで物事を合理的に解決しようという考えである。日本がとるべき平和活動は軍事的協力(介入)ではなく文化・教育面の支援、経済的支援なのである。
 日本が過去に犯した過ちたとえばアジア太平洋地域を侵略したことや南京大虐殺等々に対して真摯な立場に立ち自己批判を常に突き付けなけらばならないのである。過去にたいする理解それが将来への出発点である。過去を理解せず独りよがりの道を歩むのならそれ以上の悲劇を持って歴史は人類に知らしめるであろう。
 平和と民主主義のための統一的闘争が人類史において画期的役割を果たすであろう。真の平和と民主主義の実現が真の人間的成長を実現し社会の進歩にいたるであろう。常に平和と民主主義の問題に取り組み、現実社会の矛盾を直視しその克服によって新社会を建設しなければならず権力の対して最大限の注意と人民階級の統一的組織で強力に闘争を展開しなければいけないのである。
 平和と民主主義のためになにができるか。ひとりで主張してもなにも変わらないではないかという意見もある。しかしその答えは団結によってのみ問題が解決するのである。統一的闘争こそわれわれの最大の武器なのである。陣営を乱すな!
平和と民主主義のために!

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