今日は大学院の集中講義で、朝から夕方までみっちり教室で授業を
受けていました。
東京は久々にとってもいいお天気こんな日に授業なんてー。
だけど、夕方は天気予報どおり、雨が降りましたね
その雨すらやむまで、ずっと授業でしたが…。
この蒸し暑さと、雨上がりのじめっとした感じに、夏の匂いを感じました☆
さて、今日の授業は3日間あるうちの1日目。
午前中は受講者15人くらい&先生の自己紹介、昼休み30分(短!)を挟んで、
午後は「大学のミッション」の大切さについて学ぶところの多い講義でした。
日本の大学にミッションはあるのでしょうか?
よく、建学の理念や、建学の精神と言ったものと同様に捉えられたりも
するのですが、先生の話ではそうではないとのこと。
建学の理念・精神は、あまりに崇高すぎて、そのままでは使いづらい。
具体的なアクションを実行するために、より現実に即したカタチで
落とし込んだのがミッションだ、ということです。
うまく説明できているか分かりませんが、つまり、
「うちの大学はコレをやるぜぃ!」という分かりやすい目標ですね。
このミッションに沿ってカリキュラムが組まれているか。
ここをチェックするのが「評価」である、という話の流れでした。
「評価」というと、1つのスケールを持ってきて、そのスケールに当てはめて、
この大学はいい/悪いとか、A大学よりB大学の方が上だ、下だ、とかいうのが、
日本ではありがちだけれども、本当はその大学が、自大学で定めたミッションに
基づいて、教育を遂行しているかどうかで評価されるべきだ、という話です。
先日、宿題で「大学のミッションは教育、研究、社会貢献であり…」
というのが出た、と書きました。
そこでいう『大学のミッション』は、『大学という教育機関全体が持つ使命』という
意味です。
今日書いているのは、『各大学(A大学、B大学)がそれぞれに持つ使命』
という意味です。
どの大学も、広義の大学のミッションとして、教育、研究、社会貢献を
持っています。
では、自大学は、どこに重点を置いて、教育機関として存在しようと
しているのでしょうか?
例えば、研究だとします。
A大学は「世界に通用する(世界レベルの)研究を行う」というミッションを掲げ、
B大学は「地域の産業の発展に貢献する研究を行う」というミッションを
掲げているとしましょう。
この両大学のカリキュラムを考えてみてください…異なりますよね?
A大学は4年間(ないしは修士2年、博士3年を含めた期間)で、
世界に通用する研究を行う人材を育成するカリキュラムを構築するんです。
B大学は同期間で、いかに地域の産業の変化を捉えるか、地域の産業が
発展していくかを考られる人材を育成するカリキュラムを構築するんです。
両大学間に、良い・悪い、レベルが高い・低いなんていう格差はありません。
自大学が本来掲げているミッションに基づいて、粛々と教育・研究を進めて
いるだけです。
本来、評価も、ここをきちんと評価するべきだと先生は言っていました。
(もちろん、そこで過ごした学生が、そのような人材になっているか、
つまり、学生をそのように育てることが出来ているかどうかも。)
し・か・し。
やっと話が戻りますが、このようにミッションに基づいたカリキュラムを
作っている大学が日本にあるのだろうか?
というより、そもそもミッション自体、明確に存在しているのだろうか?
ということを先生は話しました。
例えば、(大学バレるかもしれませんが)私の大学では、
『キリスト教主義に基づく国際人の養成』というようなことをミッションと
して掲げています(ちょっと濁しています)。
が、少なくとも私が2年少し前に卒業した学部に4年間所属していて、
「キリスト教主義に基づく国際人」として養成された気はしません(笑)
いや、笑い事じゃないんですけどね怜
振り返ってみましょうか。
「キリスト教主義に基づく…」
キリスト教学という授業はありましたが、キリスト教に対する理解がある、と
他者にいえるほど、キリスト教についての知識が身についたわけではありませんでした。
「国際人」
国際人とはなんぞや、ということは、大学が決めればいいことなので、
ミッションに入っている言葉として悪いとは思いませんが、
例えば国際人と言われて思いつく下記のようなこと、全く当てはまりません。
●母国語以外にマスターした言語がある…×
●外国の文化、政治等に詳しい…×
●日本の文化を、外国の人に説明できる…×
…私は卒業して良かったのでしょうか嶺
授業名に「日米比較研究」とあるので、話の展開として、
アメリカとの比較が主軸にあるのですが、アメリカの大学では、
ミッションをHPに分かりやすく掲げています。
例えば授業で出てきたところ。
Minnesota State University Moorhead
http://www.mnstate.edu/home/
トップページの右下に載っています。
MSUM Mission
"We develop knowledge, talent, and skills for a lifetime of learning, service, and citizenship."
私でもわかる英語です。
この他、http://www.yahoo.com/ で university mission と
検索するだけでもわんさか出てきます。
(私も見てみなさいと先生に言われてまだやってないので、各自どうぞ)
では日本の大学はどうでしょう?
このようにミッションとしていろいろ書いてある大学はあるかもしれませんが、
それを実現するカリキュラムを作っているでしょうか?
学生はその通り、最低限の素地をもって卒業しているでしょうか?
そこが重要なんですよ。
ということを学んだ1日でした。
次回は6月24日、25日。それまでに大量の英文を読まねばなりません。
ひゃー嶺
受けていました。
東京は久々にとってもいいお天気こんな日に授業なんてー。
だけど、夕方は天気予報どおり、雨が降りましたね
その雨すらやむまで、ずっと授業でしたが…。
この蒸し暑さと、雨上がりのじめっとした感じに、夏の匂いを感じました☆
さて、今日の授業は3日間あるうちの1日目。
午前中は受講者15人くらい&先生の自己紹介、昼休み30分(短!)を挟んで、
午後は「大学のミッション」の大切さについて学ぶところの多い講義でした。
日本の大学にミッションはあるのでしょうか?
よく、建学の理念や、建学の精神と言ったものと同様に捉えられたりも
するのですが、先生の話ではそうではないとのこと。
建学の理念・精神は、あまりに崇高すぎて、そのままでは使いづらい。
具体的なアクションを実行するために、より現実に即したカタチで
落とし込んだのがミッションだ、ということです。
うまく説明できているか分かりませんが、つまり、
「うちの大学はコレをやるぜぃ!」という分かりやすい目標ですね。
このミッションに沿ってカリキュラムが組まれているか。
ここをチェックするのが「評価」である、という話の流れでした。
「評価」というと、1つのスケールを持ってきて、そのスケールに当てはめて、
この大学はいい/悪いとか、A大学よりB大学の方が上だ、下だ、とかいうのが、
日本ではありがちだけれども、本当はその大学が、自大学で定めたミッションに
基づいて、教育を遂行しているかどうかで評価されるべきだ、という話です。
先日、宿題で「大学のミッションは教育、研究、社会貢献であり…」
というのが出た、と書きました。
そこでいう『大学のミッション』は、『大学という教育機関全体が持つ使命』という
意味です。
今日書いているのは、『各大学(A大学、B大学)がそれぞれに持つ使命』
という意味です。
どの大学も、広義の大学のミッションとして、教育、研究、社会貢献を
持っています。
では、自大学は、どこに重点を置いて、教育機関として存在しようと
しているのでしょうか?
例えば、研究だとします。
A大学は「世界に通用する(世界レベルの)研究を行う」というミッションを掲げ、
B大学は「地域の産業の発展に貢献する研究を行う」というミッションを
掲げているとしましょう。
この両大学のカリキュラムを考えてみてください…異なりますよね?
A大学は4年間(ないしは修士2年、博士3年を含めた期間)で、
世界に通用する研究を行う人材を育成するカリキュラムを構築するんです。
B大学は同期間で、いかに地域の産業の変化を捉えるか、地域の産業が
発展していくかを考られる人材を育成するカリキュラムを構築するんです。
両大学間に、良い・悪い、レベルが高い・低いなんていう格差はありません。
自大学が本来掲げているミッションに基づいて、粛々と教育・研究を進めて
いるだけです。
本来、評価も、ここをきちんと評価するべきだと先生は言っていました。
(もちろん、そこで過ごした学生が、そのような人材になっているか、
つまり、学生をそのように育てることが出来ているかどうかも。)
し・か・し。
やっと話が戻りますが、このようにミッションに基づいたカリキュラムを
作っている大学が日本にあるのだろうか?
というより、そもそもミッション自体、明確に存在しているのだろうか?
ということを先生は話しました。
例えば、(大学バレるかもしれませんが)私の大学では、
『キリスト教主義に基づく国際人の養成』というようなことをミッションと
して掲げています(ちょっと濁しています)。
が、少なくとも私が2年少し前に卒業した学部に4年間所属していて、
「キリスト教主義に基づく国際人」として養成された気はしません(笑)
いや、笑い事じゃないんですけどね怜
振り返ってみましょうか。
「キリスト教主義に基づく…」
キリスト教学という授業はありましたが、キリスト教に対する理解がある、と
他者にいえるほど、キリスト教についての知識が身についたわけではありませんでした。
「国際人」
国際人とはなんぞや、ということは、大学が決めればいいことなので、
ミッションに入っている言葉として悪いとは思いませんが、
例えば国際人と言われて思いつく下記のようなこと、全く当てはまりません。
●母国語以外にマスターした言語がある…×
●外国の文化、政治等に詳しい…×
●日本の文化を、外国の人に説明できる…×
…私は卒業して良かったのでしょうか嶺
授業名に「日米比較研究」とあるので、話の展開として、
アメリカとの比較が主軸にあるのですが、アメリカの大学では、
ミッションをHPに分かりやすく掲げています。
例えば授業で出てきたところ。
Minnesota State University Moorhead
http://www.mnstate.edu/home/
トップページの右下に載っています。
MSUM Mission
"We develop knowledge, talent, and skills for a lifetime of learning, service, and citizenship."
私でもわかる英語です。
この他、http://www.yahoo.com/ で university mission と
検索するだけでもわんさか出てきます。
(私も見てみなさいと先生に言われてまだやってないので、各自どうぞ)
では日本の大学はどうでしょう?
このようにミッションとしていろいろ書いてある大学はあるかもしれませんが、
それを実現するカリキュラムを作っているでしょうか?
学生はその通り、最低限の素地をもって卒業しているでしょうか?
そこが重要なんですよ。
ということを学んだ1日でした。
次回は6月24日、25日。それまでに大量の英文を読まねばなりません。
ひゃー嶺