07/11/22発売。PS2。発売元はバンプレスト。シナリオライターは飯島多紀哉。
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今作はSFCで発売され、今もなおカルトな人気を誇るホラーサウンドノベルゲーム『学校であった怖い話』の流れを汲む新しいホラーノベルゲームだ。そのため『学校で~』メンバーが登場したりするなどのファンサービスも多数用意されている。
しかし、今作の舞台、システムは『学校で~』とは大きく異なっている。
ある日、突然の電話により開発中の新作ゲームのテストプレイヤーに選ばれたあなた(プレイヤー)。
その新作ゲームの名前は『四十八(仮)』(開発中なので(仮)とついている。その開発中のゲームをプレイする、というスタイルのゲームのため、今作は(仮)までを含めて正式タイトルなのだ)
ゲーム内容は、各都道府県を選択し、その地に伝わる会談や都市伝説などの怖い話を聞いていくものだ。
このゲーム内ゲームをプレイすると同時に、合間合間にゲーム内ゲームをプレイするプレイヤー自身のエピソードも入り混じって、物語は進んでいくことになる。
ここからちとややこしくなるのだが、各都道府県に隠された怖い話を聞くには『契力』というポイントが要る。契力とは、要するに金のようなものだ。契力を消費して、まず都道府県の封印を解き、さらに県の中にあるいくつかの話のどれを読むかを選んだときにも契力が消費される。はじめ1000ポイントある契力が5以下になってしまったら、ゲームオーバー。よって、プレイヤーは契力に注意しながら話を選んでいかなければならない。
契力は話を読み終えることによって得られ、その数値はだいたい話を読むのに消費したポイントをちょっとだけ上回るようになっている。例えば話を聞くのに40消費したならば、聞き終わって得られるポイントは50か60程度だ。一方で、都道府県を解放するには60~200ポイントの契力が消費される。よって、普通に話し聞いていくだけでは、ポイントはじり貧になり、やがてゲームオーバーにいたってしまう。
では、どうやってポイントを増やせばよいのか? ミニゲームである。
各都道府県に隠された話の中には、ミニゲームが含まれたものも多数ある。このミニゲームをクリアすると、ほかの話の数倍の契力が得られるのだ。よって、これをうまくこなさなければならない。
ミニゲームがどうしてもうまくいかない、という場合にも、救済措置はある。同じ話を何度も聞けばよいのだ。基本的にはこのゲームは、同じ話を何度でも聞ける。よって、何度も繰り返せば、10~20のささやかな数値ではあるが、確実にポイントを稼ぐことが出来る。
しかし、同じ話が繰り返し読めなくなる場合もある。話の中の選択肢によって、語り手が死んでしまった場合だ。こうなると、その話は選べなくなる。しかし、あわててはいけない。二度と聞けなくなるわけではない。語り手を蘇らせればまた聞けるようになる。
ただし、蘇らせるのには契力が必要となる。ドラゴンクエストで、仲間を教会で蘇らせるときに金を取られるのと同じ理屈だ。あまりに語り手を殺してしまっては、契力がいくらあっても足りない。よって、選択肢は無難なものを選ぶべきではあるのだが、それでは話にふくらみがないし、隠れたシナリオが発見できない。
このゲームでははじめからどんなシナリオも読めるわけではない。一定の条件を満たすことによって、はじめて出現する話も多々ある。そして、条件を満たすために必要になるのも、やはり契力なのだ。
この通貨にしてHPでもある契力のやりくりが、このゲームと普通のノベルゲーとの大きな違いとなるわけだ。
さて、システムをある程度理解したところで、ゲームを開始してみたわけだが。
ここで率直な第一印象を告げよう。
「うわ、なんだこのひどいゲーム……」
なにがひどいか?
ユーザーインターフェイス面だ。
まず、会話のスキップが遅い。R1ボタンを押すことにより、スキップができることはできるんだが、あまりにも遅い。加えて、R1を押しっぱなしにしないとスキップができないのだ。
さらに、既読未読の判別機能がついていない。つまり、R1を押すと読んだことのある文章もない文章も一緒くたにすっ飛ばされてしまうのだ。
また、キャラ同士の会話のときに、話しているキャラのバストアップ写真が映るのだが、この切り替えがいちいち遅い。遅いといっても一秒程度だから、一回一回で考えればたいした時間ではないのだが、ちょっと話して一秒、またちょっと話して一秒、の繰り返しは、こつこつとストレスを溜め込んでいく。
極めつけは、バックログ、読み戻し機能がないことだ。うっかり読み飛ばした文章が読み返せないのは、実にストレスがたまる。ぽんぽんとボタンを押しまくる性格の自分にとってはかなり致命的なポイントだ。
さらに話の内容。
今作では百を越えるシナリオ数が目玉の一つになっている。
しかし、実際にプレイしてみると、一分二分程度で終わってしまう内容の薄いものが多いのだ。話と言えるレベルではなく、その地に伝わる伝承とか、その地の名所とかをかるく説明しただけで終わるものも少なくない。ぶんぶく茶釜のあらすじや、平家蟹の名前の由来を教えるだけのシナリオまで一話に数えられているのだ。いくらなんでも度が過ぎるというものではないか?
ほかの話も、分岐前提でつくってあるのか、オチることもなく唐突に終わることが少なくない。これでは恐怖も感動も笑いもあったものではない。
思えば、飯島作品のADVには、インターフェイスに劣っているものが多かった。パンドラMAXシリーズしかり『学校で~』しかり、DSで出た新作『アパシー 鳴神学園探偵局』しかり。唯一、同人ゲームの『学校であった怖い話 ビジュアルノベルバージョン』にはまともな既読スキップやバックログ機能が搭載されていたが、あのゲームは吉里吉里という、優れたフリーのエディタで作られたものなのだから、できて当然なのだ。
SFCの『学校で~』の頃は、ノベルゲームの黎明期であり、現在のような洗練されたシステムを搭載したゲームなど存在しなかったのだから仕方がないが、あれから十年余の月日が流れて、一切進歩していないというのは情けないを通してあきれ果てる。
日進月歩のコンピューター業界で、一体、なにをどうすればこんなことになるというのか。
ただでさえ煩雑なシステムが搭載されているというのに、これではつまらぬストレスが重なるせいでストーリーを万全に楽しむことができぬばかりではないか。
本当に、飯島は何年もかけてなにを作っているんだ?
これが、率直な第一印象である。
だが、このインターフェイスの不備は、素人目に見てもあまりにもおかしい。なにせこのゲームは数年かけてじっくりと作られているのだ。いくら金がかかっていないとはいえ、スキップやバックログがまともに機能しないなど、そんな仕様を作り手が看過するものか? すでに一度同人で吉里吉里でつくっているというのに? そんなバカな。
では、なぜこんな仕様にする必要があったのだ?
この疑問を心の片隅に止めながら、プレイ時間が三時間を越える。その頃に、ようやくなんとなく理解できた。
なぜやたら短いシナリオが存在するのか?
これはDQでいうところのスライムにあたる。つまり、契力が足りないときに、何度も繰り返し短い話を読むことによって、こつこつと契力をためられるようになっているのだ。そのために各地に数箇所用意された、いわば稼ぎ場、それが一分シナリオの存在意義だ。
稼ぎ場だと理解すれば、スキップの不便さも理解が出来る。スキップが高速すぎれば、あまりにもたやすく契力が溜まってしまうのだ。
理論上でいえば、DQはスライムを倒し続けるだけでラスボスを倒せる強さになる。しかし、そんな馬鹿なことをするやつはほぼいない。効率が悪いからだ。十分かけて、経験値1の敵を十体倒すより、同じ時間で経験値100の敵を倒したほうが早く強くなれるのはだれだってわかる。だがその分、経験値の高い敵は強く設定されているものだ。だが、ここで十分で百回倒せるほどシステムが快適だったら? 危険を冒して100の敵を倒すより、1の敵を百回倒すほうが楽だろう。同じ時間でできるならだ。
エミュレーターでRPGを遊んだことのある人間なら、わかるだろう。あれの倍速モードは製作者の想定した経験効率を崩してしまい、弱い敵をボタン連打で倒し続けたほうがよっぽど早く楽に強くなれるようになってしまう。
快適さを多少殺し、独自のゆったりとしたリズムを作っているからこそ、DQのバランスは保たれているのだ。同様のことを、今作はしたかったのだろう。つまり、ミニゲームをやるか、同じ話を繰り返し聞くか、そういった取捨選択を常にプレイヤーに迫っているのだ。快適にしすぎて、安易に契力が溜められるようになってしまったら、あとは流れ作業で端から端までシナリオを読むだけになってしまう。
既読識別機能をつけていないのも、そういった機械的な読み方を防ぐものだ。今作のシナリオは、複雑な条件がからまりあい、あるとき突然、読んだことのある話を選んだはずなのに、いつの間にか展開が変わっていたりする。この「気がついたら別の話に」という感覚は、既読識別機能がついていたら台無しだろう。未読の部分で勝手に止まるのだから、すぐにわかってしまう。
バックログ機能がないのは、もっとわかりやすい。いくつかのシナリオの中では、、以前に聞いた話や番号に沿って、選択肢を選んだり、数字を入力する必要がある。
そのときにバックログ機能があれば、その場でカンニングが出来てしまう。あるシナリオ中では、登場人物が語り手に「メモをとってもいい」という会話がある。これはプレイヤー本人にそう云っているのだと思っていいだろう。重要と思った言葉には、自分でメモを取る。そういうテレビゲーム黎明期には当たり前であったことを、再びプレイヤーにやらせようとしているのだ。
『世界樹の迷宮』というダンジョンRPGが、低予算ながら小ヒットをとばしたのは記憶に新しい。あのゲームではセルフマッピング機能を導入し、昔風のゲームの楽しみ方を、タッチスクリーンという現代の技術をもって楽しませるという、まさに温故知新を地で行くやり方を見せてくれた。
今作で飯島多紀哉が目指したのも、要するにはそういうところなのだろう。
そして、物語を読むため、ではなく、能動的に今作を制御したときにはじめて、このゲームに仕組まれたメタフィクションの罠が存在感をもって立ち上がってくるのだ。
ノベルゲームでありながらノベルゲームではない。
飯島の目指したのは、新たなる地平なのだ。しかしながら、残念なのは。
3チーム制が鬱陶しくてならなかった『ラストハルマゲドン』の昔から。
『BURAI』における、キャラ設定優先の狂ったゲームバランスや、斬新なだけでやりづらい成長システム。
『龍騎兵団ダンザルブ』における、ゲームバランスるで無視の強制パーティー編成や、ラストを生かすための、中盤までの死ぬほど退屈な展開。
そもそも無理があった「1980円の超大作」『パンドラMAX』シリーズそのものにいたるまで。
飯島のやろうとしているは、確かに素晴らしい。
だが、その一つの目的のために、ほかの部分を二つも三つも排除してしまったら、結果としては欠点ばかりの目立つ作品に鳴る。
目的地がどれだけ素晴らしかろうとも、そこにたどりつくまでの道のりが険しすぎ、そこにたどりつくまでのストレスは
が、たどり着いた先の快楽をはるかに凌駕してしまっていたら、だけも目指すまい。飯島の作るゲームは基本的にそうなってしまっている。
飯島は、ユーザーの気持ちがまるでわかっていない。耐えられないんだよ。途中のつまらなさに。たかがゲームだもの。もっと楽しませてくれなければ、やり遂げる気にはならないよ。
耐えて耐えて溜めに溜めた方が、のちの楽しみは大きい。そんなことはわかっている。わかっていても耐え難いものは耐え難いのだ。
それをいかにごまかし、アメと鞭をいかに使い分けるか、ゲームのディレクションに問われるのはそこだ。今作において、彼がどの程度ディレクションしているのかはわからないが、彼のゲームデザインには常に、飽きっぽく身勝手であって当然なユーザー視点での楽しみ方が抜け落ちている。
結果として、彼のゲームが大衆に受け入れられる可能性は、限りなく低い。
はなしがずいぶんそれたが、ともあれ、四十八(仮)。
怖い話をいろいろ読むのがメインのゲームだと思っているなら、まず手を出してはいけない。極端な話、お話自体はシステムのおまけのようなものだ。
単調作業をしながら、終わりの見えないパズルを組み立て続ける。それがこのゲームの本質だ。
このゲームの目指すところがなんであるのか、まだはじめたばかりの自分には見当もつかないが、ジグソーパズルで絵柄がわかるのは半分がた組み終わってからだ。それまで耐える自身のない人間は、手を出さないほうが無難であろう。
だが、一つのピースをもって出来を判断するような、そういうゲームでもないことは、断言してなくてはならない。
要するに、現段階でいえることは「くだらない話が煩雑に詰まった、システム・ユーザーインターフェイス最悪の、しかしそのくだらなさゆえの独特の魅力をもったゲーム」だということだけだ。
常識的に考えたら、避けたほうが無難だろう
その後のレビューはこちら
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今作はSFCで発売され、今もなおカルトな人気を誇るホラーサウンドノベルゲーム『学校であった怖い話』の流れを汲む新しいホラーノベルゲームだ。そのため『学校で~』メンバーが登場したりするなどのファンサービスも多数用意されている。
しかし、今作の舞台、システムは『学校で~』とは大きく異なっている。
ある日、突然の電話により開発中の新作ゲームのテストプレイヤーに選ばれたあなた(プレイヤー)。
その新作ゲームの名前は『四十八(仮)』(開発中なので(仮)とついている。その開発中のゲームをプレイする、というスタイルのゲームのため、今作は(仮)までを含めて正式タイトルなのだ)
ゲーム内容は、各都道府県を選択し、その地に伝わる会談や都市伝説などの怖い話を聞いていくものだ。
このゲーム内ゲームをプレイすると同時に、合間合間にゲーム内ゲームをプレイするプレイヤー自身のエピソードも入り混じって、物語は進んでいくことになる。
ここからちとややこしくなるのだが、各都道府県に隠された怖い話を聞くには『契力』というポイントが要る。契力とは、要するに金のようなものだ。契力を消費して、まず都道府県の封印を解き、さらに県の中にあるいくつかの話のどれを読むかを選んだときにも契力が消費される。はじめ1000ポイントある契力が5以下になってしまったら、ゲームオーバー。よって、プレイヤーは契力に注意しながら話を選んでいかなければならない。
契力は話を読み終えることによって得られ、その数値はだいたい話を読むのに消費したポイントをちょっとだけ上回るようになっている。例えば話を聞くのに40消費したならば、聞き終わって得られるポイントは50か60程度だ。一方で、都道府県を解放するには60~200ポイントの契力が消費される。よって、普通に話し聞いていくだけでは、ポイントはじり貧になり、やがてゲームオーバーにいたってしまう。
では、どうやってポイントを増やせばよいのか? ミニゲームである。
各都道府県に隠された話の中には、ミニゲームが含まれたものも多数ある。このミニゲームをクリアすると、ほかの話の数倍の契力が得られるのだ。よって、これをうまくこなさなければならない。
ミニゲームがどうしてもうまくいかない、という場合にも、救済措置はある。同じ話を何度も聞けばよいのだ。基本的にはこのゲームは、同じ話を何度でも聞ける。よって、何度も繰り返せば、10~20のささやかな数値ではあるが、確実にポイントを稼ぐことが出来る。
しかし、同じ話が繰り返し読めなくなる場合もある。話の中の選択肢によって、語り手が死んでしまった場合だ。こうなると、その話は選べなくなる。しかし、あわててはいけない。二度と聞けなくなるわけではない。語り手を蘇らせればまた聞けるようになる。
ただし、蘇らせるのには契力が必要となる。ドラゴンクエストで、仲間を教会で蘇らせるときに金を取られるのと同じ理屈だ。あまりに語り手を殺してしまっては、契力がいくらあっても足りない。よって、選択肢は無難なものを選ぶべきではあるのだが、それでは話にふくらみがないし、隠れたシナリオが発見できない。
このゲームでははじめからどんなシナリオも読めるわけではない。一定の条件を満たすことによって、はじめて出現する話も多々ある。そして、条件を満たすために必要になるのも、やはり契力なのだ。
この通貨にしてHPでもある契力のやりくりが、このゲームと普通のノベルゲーとの大きな違いとなるわけだ。
さて、システムをある程度理解したところで、ゲームを開始してみたわけだが。
ここで率直な第一印象を告げよう。
「うわ、なんだこのひどいゲーム……」
なにがひどいか?
ユーザーインターフェイス面だ。
まず、会話のスキップが遅い。R1ボタンを押すことにより、スキップができることはできるんだが、あまりにも遅い。加えて、R1を押しっぱなしにしないとスキップができないのだ。
さらに、既読未読の判別機能がついていない。つまり、R1を押すと読んだことのある文章もない文章も一緒くたにすっ飛ばされてしまうのだ。
また、キャラ同士の会話のときに、話しているキャラのバストアップ写真が映るのだが、この切り替えがいちいち遅い。遅いといっても一秒程度だから、一回一回で考えればたいした時間ではないのだが、ちょっと話して一秒、またちょっと話して一秒、の繰り返しは、こつこつとストレスを溜め込んでいく。
極めつけは、バックログ、読み戻し機能がないことだ。うっかり読み飛ばした文章が読み返せないのは、実にストレスがたまる。ぽんぽんとボタンを押しまくる性格の自分にとってはかなり致命的なポイントだ。
さらに話の内容。
今作では百を越えるシナリオ数が目玉の一つになっている。
しかし、実際にプレイしてみると、一分二分程度で終わってしまう内容の薄いものが多いのだ。話と言えるレベルではなく、その地に伝わる伝承とか、その地の名所とかをかるく説明しただけで終わるものも少なくない。ぶんぶく茶釜のあらすじや、平家蟹の名前の由来を教えるだけのシナリオまで一話に数えられているのだ。いくらなんでも度が過ぎるというものではないか?
ほかの話も、分岐前提でつくってあるのか、オチることもなく唐突に終わることが少なくない。これでは恐怖も感動も笑いもあったものではない。
思えば、飯島作品のADVには、インターフェイスに劣っているものが多かった。パンドラMAXシリーズしかり『学校で~』しかり、DSで出た新作『アパシー 鳴神学園探偵局』しかり。唯一、同人ゲームの『学校であった怖い話 ビジュアルノベルバージョン』にはまともな既読スキップやバックログ機能が搭載されていたが、あのゲームは吉里吉里という、優れたフリーのエディタで作られたものなのだから、できて当然なのだ。
SFCの『学校で~』の頃は、ノベルゲームの黎明期であり、現在のような洗練されたシステムを搭載したゲームなど存在しなかったのだから仕方がないが、あれから十年余の月日が流れて、一切進歩していないというのは情けないを通してあきれ果てる。
日進月歩のコンピューター業界で、一体、なにをどうすればこんなことになるというのか。
ただでさえ煩雑なシステムが搭載されているというのに、これではつまらぬストレスが重なるせいでストーリーを万全に楽しむことができぬばかりではないか。
本当に、飯島は何年もかけてなにを作っているんだ?
これが、率直な第一印象である。
だが、このインターフェイスの不備は、素人目に見てもあまりにもおかしい。なにせこのゲームは数年かけてじっくりと作られているのだ。いくら金がかかっていないとはいえ、スキップやバックログがまともに機能しないなど、そんな仕様を作り手が看過するものか? すでに一度同人で吉里吉里でつくっているというのに? そんなバカな。
では、なぜこんな仕様にする必要があったのだ?
この疑問を心の片隅に止めながら、プレイ時間が三時間を越える。その頃に、ようやくなんとなく理解できた。
なぜやたら短いシナリオが存在するのか?
これはDQでいうところのスライムにあたる。つまり、契力が足りないときに、何度も繰り返し短い話を読むことによって、こつこつと契力をためられるようになっているのだ。そのために各地に数箇所用意された、いわば稼ぎ場、それが一分シナリオの存在意義だ。
稼ぎ場だと理解すれば、スキップの不便さも理解が出来る。スキップが高速すぎれば、あまりにもたやすく契力が溜まってしまうのだ。
理論上でいえば、DQはスライムを倒し続けるだけでラスボスを倒せる強さになる。しかし、そんな馬鹿なことをするやつはほぼいない。効率が悪いからだ。十分かけて、経験値1の敵を十体倒すより、同じ時間で経験値100の敵を倒したほうが早く強くなれるのはだれだってわかる。だがその分、経験値の高い敵は強く設定されているものだ。だが、ここで十分で百回倒せるほどシステムが快適だったら? 危険を冒して100の敵を倒すより、1の敵を百回倒すほうが楽だろう。同じ時間でできるならだ。
エミュレーターでRPGを遊んだことのある人間なら、わかるだろう。あれの倍速モードは製作者の想定した経験効率を崩してしまい、弱い敵をボタン連打で倒し続けたほうがよっぽど早く楽に強くなれるようになってしまう。
快適さを多少殺し、独自のゆったりとしたリズムを作っているからこそ、DQのバランスは保たれているのだ。同様のことを、今作はしたかったのだろう。つまり、ミニゲームをやるか、同じ話を繰り返し聞くか、そういった取捨選択を常にプレイヤーに迫っているのだ。快適にしすぎて、安易に契力が溜められるようになってしまったら、あとは流れ作業で端から端までシナリオを読むだけになってしまう。
既読識別機能をつけていないのも、そういった機械的な読み方を防ぐものだ。今作のシナリオは、複雑な条件がからまりあい、あるとき突然、読んだことのある話を選んだはずなのに、いつの間にか展開が変わっていたりする。この「気がついたら別の話に」という感覚は、既読識別機能がついていたら台無しだろう。未読の部分で勝手に止まるのだから、すぐにわかってしまう。
バックログ機能がないのは、もっとわかりやすい。いくつかのシナリオの中では、、以前に聞いた話や番号に沿って、選択肢を選んだり、数字を入力する必要がある。
そのときにバックログ機能があれば、その場でカンニングが出来てしまう。あるシナリオ中では、登場人物が語り手に「メモをとってもいい」という会話がある。これはプレイヤー本人にそう云っているのだと思っていいだろう。重要と思った言葉には、自分でメモを取る。そういうテレビゲーム黎明期には当たり前であったことを、再びプレイヤーにやらせようとしているのだ。
『世界樹の迷宮』というダンジョンRPGが、低予算ながら小ヒットをとばしたのは記憶に新しい。あのゲームではセルフマッピング機能を導入し、昔風のゲームの楽しみ方を、タッチスクリーンという現代の技術をもって楽しませるという、まさに温故知新を地で行くやり方を見せてくれた。
今作で飯島多紀哉が目指したのも、要するにはそういうところなのだろう。
そして、物語を読むため、ではなく、能動的に今作を制御したときにはじめて、このゲームに仕組まれたメタフィクションの罠が存在感をもって立ち上がってくるのだ。
ノベルゲームでありながらノベルゲームではない。
飯島の目指したのは、新たなる地平なのだ。しかしながら、残念なのは。
3チーム制が鬱陶しくてならなかった『ラストハルマゲドン』の昔から。
『BURAI』における、キャラ設定優先の狂ったゲームバランスや、斬新なだけでやりづらい成長システム。
『龍騎兵団ダンザルブ』における、ゲームバランスるで無視の強制パーティー編成や、ラストを生かすための、中盤までの死ぬほど退屈な展開。
そもそも無理があった「1980円の超大作」『パンドラMAX』シリーズそのものにいたるまで。
飯島のやろうとしているは、確かに素晴らしい。
だが、その一つの目的のために、ほかの部分を二つも三つも排除してしまったら、結果としては欠点ばかりの目立つ作品に鳴る。
目的地がどれだけ素晴らしかろうとも、そこにたどりつくまでの道のりが険しすぎ、そこにたどりつくまでのストレスは
が、たどり着いた先の快楽をはるかに凌駕してしまっていたら、だけも目指すまい。飯島の作るゲームは基本的にそうなってしまっている。
飯島は、ユーザーの気持ちがまるでわかっていない。耐えられないんだよ。途中のつまらなさに。たかがゲームだもの。もっと楽しませてくれなければ、やり遂げる気にはならないよ。
耐えて耐えて溜めに溜めた方が、のちの楽しみは大きい。そんなことはわかっている。わかっていても耐え難いものは耐え難いのだ。
それをいかにごまかし、アメと鞭をいかに使い分けるか、ゲームのディレクションに問われるのはそこだ。今作において、彼がどの程度ディレクションしているのかはわからないが、彼のゲームデザインには常に、飽きっぽく身勝手であって当然なユーザー視点での楽しみ方が抜け落ちている。
結果として、彼のゲームが大衆に受け入れられる可能性は、限りなく低い。
はなしがずいぶんそれたが、ともあれ、四十八(仮)。
怖い話をいろいろ読むのがメインのゲームだと思っているなら、まず手を出してはいけない。極端な話、お話自体はシステムのおまけのようなものだ。
単調作業をしながら、終わりの見えないパズルを組み立て続ける。それがこのゲームの本質だ。
このゲームの目指すところがなんであるのか、まだはじめたばかりの自分には見当もつかないが、ジグソーパズルで絵柄がわかるのは半分がた組み終わってからだ。それまで耐える自身のない人間は、手を出さないほうが無難であろう。
だが、一つのピースをもって出来を判断するような、そういうゲームでもないことは、断言してなくてはならない。
要するに、現段階でいえることは「くだらない話が煩雑に詰まった、システム・ユーザーインターフェイス最悪の、しかしそのくだらなさゆえの独特の魅力をもったゲーム」だということだけだ。
常識的に考えたら、避けたほうが無難だろう
その後のレビューはこちら
まったく
その通りです。
学校であった怖い話がスゴい好きで買ったんですけど…
このゲームは
ただ単に『新しいジャンル』ってだけで、全然面白くないですね。
一通りプレイした後の感想もあるので、そちらも参考にしてもらえりゃわかると思いますが。
これ、数年に一本ってレベルのクソゲーだからね。
半端なゲームよりもある意味では断然お勧めですが。
ネットの各所でもクソゲーの王としての風格を固めつつある本作を手に取ったというその男気に乾杯!
学怖好きなら、製作者本人による同人ゲームの二本
『アパシー 学校であった怖い話ビジュアルノベルバージョン』
『アパシー ミッドナイトコレクション vol1』
はファンには納得の出来なので
PCを持っているならそれを買うとよいよ