佳子さまが旧御仮寓所にそのまま残られていることについては、ご一家が秋篠宮邸にお引越しされた直後から、マスコミ、ネットが悪意に満ちた取り沙汰をしてきた。
宮内庁の今回の説明は、ネット、マスコミが主導する秋篠宮ご一家に対する悪意への対応とも見えるのですが、果たしてこれで対応になっているのでしょうか。
ネット、マスコミの悪意に材料を投下したようにも見えるのですが…。
どんなに粉飾しても、今上と雅子さまのインドネシア訪問は国賓のそれとはいえるものでは無かった。
八幡和郎氏が最近の論説中、別件で「外向きには言えない」と明かしているように、今回のインドネシア訪問に関しても関係各位「外向きに言えない」ことは多々あるだろうと想像はつく。
映えないインドネシア旅行、愛子さまの見送り出迎えが無いという不可思議さを国民に取り沙汰されては困る。国民の目をそらすには、秋篠宮を叩かせて置けばよいという困った時の秋篠宮頼み?
旧御仮寓所
佳子さま、分室に一人で居住 秋篠宮邸改修、経費節減で 宮内庁
6/30(金) 19:29配信 時事通信
宮内庁は30日、昨年改修を終えた赤坂御用地(東京都港区)内の秋篠宮邸を巡り、秋篠宮家の次女佳子さまは宮邸には転居せず、仮住まいしていた分室に一人で住まれていると明らかにした。
加地隆治皇嗣職大夫が同日の定例記者会見で公表した。宮邸の改修は、秋篠宮さまが天皇の代替わりで皇嗣となることに伴い、2020年3月~22年9月に実施。所要経費は建物の工事費約26億円を含め計約30億2000万円で、改修に伴い、ご一家は宮邸から旧御仮寓所(ごかぐうしょ)に移っていた。
旧御仮寓所は現在、宮邸の分室として、増員となった職員の一部が事務室としても使っている。
加地大夫によると、秋篠宮ご夫妻と長女小室眞子さん、佳子さまで相談した結果、経費節減のため、改修後の宮邸に眞子さんと佳子さまの部屋は設けないことになった。眞子さんが結婚したため、佳子さまは今も分室の私室部分に一人で暮らしているという。
宮内庁は「節減された工事費をお示しすることは困難」としている。
また、宮邸に隣接する赤坂東邸についても、皇室全体での利用を続けるため、宮邸との一体化が見直された。
ネット、マスコミが佳子さまの一人住まいを非難しているのは、おおよそ次の2点。
😱 約30億円かけて改修した秋篠宮邸があるのに旧御仮寓所に一人住まいされているのは贅沢だ。
😱 ご両親と不仲である。
今回の宮内庁の説明は、この2点に何の釈明もしていません。
改修費金額を再度発表した上で、秋篠宮邸に眞子さま佳子さまの私室を造らなかったのは眞子さまと佳子さまの御意志だと説明している。
眞子さまと佳子さまの御意思、すなわち我が儘、すなわち娘たちの我が儘を秋篠宮殿下が認めているのだから仕方ないのだと言っているように見える。
私にそう見えるのだから「愛子天皇」派には尚更でしょう。
おまけに「節減された工事費をお示しすることは困難」て、天皇ご一家擁護派「愛子天皇」派に「さあ、秋篠宮を叩いて呉れ」と言っているのと同じですね。
😐 ところで、以下は5月代替わりを控えた2019年2月、御仮寓所が公開された当時の記事です。
天皇御一家提灯派や「愛子天皇」派が口を拭って無視しても私は忘れない。
この御仮寓所そのものが上皇上皇后の「退位後は新婚時代を過ごした東宮御所で過ごしたい。」という我がままが生み出した建物だということを。
😐 2006年と2011年、宮内庁は改修を検討したが、秋篠宮殿下はそれぞれ「より古い宮邸の改修を先に」「社会情勢に鑑みて控えて」と辞退されていたのですね。
秋篠宮邸を皇嗣に相応しい格を持たせるための改修なのだということを宮内庁はもっと強調すべきと思うが、それも「外向きに言えない」ことの一つなのでしょうか。
😐 30近い子供が両親と離れて一人暮らししてみたい、と願うことは自立心の現れで自然なことだと思うのですが。
親としては寂しくもあり頼もしくもありでしょう。
離れに住んでいても、秋篠宮邸を使用する公務に真面目に取り組んでいらっしゃる佳子さまです。
😇 それが贅沢というのなら、、
😇 部屋数はいくつあるのか、、この立派な三笠宮東(寛仁)邸にいらっしゃるのはほぼ瑤子さまおひとり。です。
彬子さまはご活動の関係で京都に購入した家にいらっしゃることも多く、
信子さまは、宮内庁分庁舎にお住まい。
😁 私は、佳子さまは離れにいらっしゃるほうが良いと思います。
眞子さんと小室は佳子さまとテレビ電話で頻繁に連絡を取り合っている、という週刊誌報道もありました。
そこに悠仁殿下が加わることもあるとも。
ご結婚前の様子から見て事実でしょう。
悠仁殿下と小室夫妻は遠ざけておいたほうが良い。棟が別なら佳子さまと小室夫婦のテレビ電話に参加されることも少なくなる、あるいは全く無くなるのではないでしょうか。
悠仁殿下を小室に近づけるなど決してあってはならぬことです。