社台・サンデーTCでの2頭目の出資は2002年「フルオブファイト」だった。
この年、実は出資する気がなく、1次も2次も申し込みをしていない。
たしか、冬頃、馴致も順調だったし、ティンバーカントリー産駒のダートでの安定感に魅力を感じ、また、何よりも安かった(牡馬最低価格)ということで、売れ残っていた本馬に電話で出資することにした。
この出資が、「うまてい」出資馬の最強馬となるのだった。
詳しいフルオブファイトの競走成績はリンク先を参照してもらおう。
戦績を当時のそれぞれ思い出と振り返ってみる。
《新馬戦 2着》 けっこう印がついていて、前の日はほとんど寝れなかった。
《未勝利戦 1着》 東京で前泊して、口取りのため府中競馬場へ。緊張のため朝からなにも食べられない。期待通り圧勝する。大興奮し、集合場所へ遅れ、口取り参加できず。 何しに行ったんだ・・・・_| ̄|○
《500万下 1着》 後の皐月賞馬ダイワメジャー以下を完封し2勝目。オープン入り。
《スプリングS 14着》 さすがに相手強い。クラシック路線へは進まず。
《伏流S 2着》 中山へ応援へ。この日も緊張のため、朝からほとんど食べられなかった。 俺が緊張してどうすんだ・・・・ _| ̄|○
《端午S 5着》 京都へ応援。レース後-右前脚第三手根骨骨折-判明。
結局その後、故障箇所が悪化し引退へ。
一緒に戦ってきた相手のその後の成績を見ると、この馬も順調なら大いに活躍できただろう、と想像してしまい非常に悔しい。常に故障と隣り合わせのサラブレッドの世界とはいえ、わずか6戦のキャリアで、その実力をフルに発揮できぬまま競走生活を終えるのは残念で仕方がなかった。
しかし、フルオブファイトは予想以上に大きな夢を、たくさん見せてくれた。わくわくドキドキしながら公式レポートを見たり、新聞を開いたり、競馬場に行ったり、と多くの刺激と感動を平凡な生活に与えてくれた。飛行機が新千歳空港を飛び立つときの気持ちの高ぶりは今でも鮮明に覚えている。1頭の馬のことを、あんなに毎日考えてた日々を今でも大切に思う。
・・・ありがとう、フルオブファイト