西向きのバルコニーから

私立カームラ博物館付属芸能芸術家研究所の日誌

BW(ブルーウェーブ)5

2005年12月11日 00時01分56秒 | 小説
 公園のある希望ヶ丘町の真ん中の道を、スニーカーの踵を踏んづけたまま、マモルは歩いた。道の両側に建ち並ぶ同じような形をした家家の前には、白や紺といった、比較的地味な色をしたクルマばかりが、キチンと列を成すように路上駐車されている。ある家では鳥籠のブンチョウが囀(さえず)り、またある家の門柱には、銀色のふさふさの毛をしたペルシャ猫が、狛犬のように、気取った顔で座っている。誠に絵に描いたような、閑静な住宅街である。マモルは希望ヶ丘町を南の端まで歩いて、手すりのある緩やかなスロープを登った。このスロープの上に、マモルの住む石ノ川町(いしのがわちょう)がある。
 石ノ川の西の岸辺を底辺に、三角形に伸びる石ノ川町は、約六十世帯。<太閤園ネオポリス>の中では、希望ヶ丘町に次ぐ大きな町である。
 左手に石ノ川町、そして右手に希望ヶ丘町を見ながら、マモルはその町と町を隔てる、幅の広い道を歩いていた。すると、道のずっと先の、左側の石ノ川町の、二筋目の通りの角辺りから、一人の老人が姿を見せた。老人は角を曲がって、マモルの方に向かってゆっくりゆっくりと歩いて来る。遠視のマモルには、その老人が自分と同じ石ノ川町内に住む、草谷(くさたに)さんのお爺さんであるということが、すぐに判った。マモルは、以前にも何度か、このお爺さんを見掛けたことがあった。最初に見たのは、もう一年ほど前になる。やはりその日と同じく、移動図書館に母の借りた本を返しに行った帰りだった。お爺さんは、荷物運びにでも使うような台車を押していて、その上には十冊ほどの本が、高く積み上げられて乗っかっていた。よちよち歩きの赤ちゃんみたいな、おぼつかない足取りで台車を押すお爺さんの頭には、青空よりも鮮やかな、青い青い野球帽があって、そしてその帽子の中央には、黄色いBとWの大きな文字が並んでいた。あのプロ野球界のスーパースター、イチロー選手と同じ帽子であった。お爺さんとイチロー選手、その違和感がもっとも強烈な印象となって、マモルの記憶に残っていた。それからも何度か、マモルはこのお爺さんを見掛けた。移動図書館の来ないある日には、杖に頼って歩いていたこともあった。だがいつもいつも、やはりあの青い野球帽を被っていた。そしてまた今日も、である。
 マモルが、同じ老人会に所属する母に訊(き)いたところによると、草谷さんのお爺さんは、もう九十歳を過ぎているのだそうだ。九十歳代にしてあの読書意欲は何だろう? 歩くこともままならない老人の、どこにあれだけ多くの本を読む、読書力が隠されているのだろうか? 本などはほとんど読んだことのないマモルには、到底想像も着くはずはない。きっと歳をとると、そんなことぐらいしか楽しみがなくなってしまうのだろうと、マモルはただ思うのだった。

(続く)


BW(ブルーウェーブ)は、次回第6話、完結拡大版でお届けします!ご期待ください!