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林真須美被告からの手紙

2009年04月23日 07時24分00秒 | 社会・経済
この数日間、林真須美被告に関する数多の報道を見聞した。
その中で一番強く印象に残っているのは、最高裁判決の数日前に夫の健治さんに届いたという被告からの手紙だった。
その手紙の封筒には、全体の半分にも及ぶ程の大きさで「HELP ME!」とビンク色で書かれていた。

「本人も死刑判決を予測して、家族に助けを求めた」というような解釈が語られていた。
しかし……。

もしも自分が被告の立場だったら、果たして「HELP ME!」と書くかなと考えてみる。恐らく書かないのではないかと思う。そんな事は封筒に書かず、手紙の内部に「助けて下さい」と書くように思う。
HELP ME!の文字は非常にパフォーマンス臭さを感じてしまう。
夫がマスコミに手紙を披露して、それが報じられる事を見越したパフォーマンス……そんな思いが離れない。

林被告は逮捕前から、様々なパフォーマンスをマスコミの前で演じている。報道陣に水を掛けたり、かと思えば自宅に招いて延々と無実を語ったり……。まるで自分が物語の主人公を演じているパフォーマーのように映った。

被告は保険金詐欺も行った。こちらは本人も認めている。動機は「金欲しさ」ということになろう。が、これは推測にしか過ぎないが、この中にもパフォーマンスを感じてしまう。
もちろん金が第一の目的だろうが、その一連の行動の中で、「自分が書いた筋書でまんまと大金を手に入れた頭の良い女」そんな主人公を自分が演じる事に酔っていたような印象を受けてしまうのだ。

これはさらに大きな推測になってしまうのだが、毒物カレー事件も、被告にとってはさらに大きなパフォーマンスだったのではないかと考えてしまう。劇場型犯罪の演出家としてのパフォーマンスだ。

人間、誰とて生命は惜しいだろう。林被告(もう死刑囚と呼ぶべきだろうが)にしても同様だろう。しかし一審から現在に至るまでの被告の態度を見ていると、まるで「無実の罪を着せられて冤罪で死刑にされた悲劇の人」を演じ切っているようなパフォーマンスくささすら感じられてしまう。
頑なに黙秘を貫いたかと思うと、一転して雄弁に語り出したり……。

こうした行動は、彼女の計算というより、もはや個人の資質かなとさえ感じられてしまう。
死刑が確定するか否かの瀬戸際に於いてさえも「HELP ME!」と書いてしまう行動にも、その一端が見える気がする。

恐らく彼女は最後まで無実を訴えたまま処刑されるつもりであろう。それが現時点で最高のパフォーマンスになることを計算ではなく本能で悟っているように感じる。

ただし、ひとつだけ気になる事がある。それは彼女が残した子供たちが、ひたすら母親の無実を信じている点だ。このまま彼女が処刑されてしまえば、残された子供達は「無実の罪で母親が殺された」というトラウマを一生背負って生きていかなければならない。それがどれほどの負担になるかは想像すら出来ない。
もしも被告が本当に子供たちの将来を考えるならば、もはや真実を語るべきときだろう。
一時的には大きなショックを受けるかもしれないが、前述のトラウマに比べれば、ずっと増しだと思う。
悲劇のヒロインを演じるパフォーマンスは個人の勝手だが、愛する子供達まで巻き込んで一生を左右してしまうのは母親ではない。

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