2007年5月12日、松山ゴルフ旅の帰り、しまなみ海道を路線バスで渡り尾道に寄った。尾道ではレトロバスとロープウェイを乗り継いで千光寺山頂上へ、山上では尾道水道の絶景を眺めながらレストランでの昼食後、千光寺に詣でた。
2007年5月9日、宝厳寺からタクシーで四国八十八ヵ所の51番札所・石手寺へ行った。境内ほとんどの堂塔が国宝、国の重要文化財に指定されている壮観さで、四国霊場では随一ともいえる文化財の寺院と言う。四国八十八ヵ所は廻る予定は無く、旅の途次に数ヶ寺に寄っただけ。石手寺からは道後温泉まで歩いて、ゆっくりお湯に浸かった。
2007年5月9日、ネットで知り合った仲間と一緒に松山までゴルフをしに行った時、地元の仲間に案内して貰って市内を歩いた。道後温泉の坊ちゃん時計を見てから、裏のネオン街を通り過ぎ、高い石段を登ると伊佐爾波神社があり、隣りに一遍上人の生誕地・宝厳寺があった。
2011年10月17日、山陰山陽の一宮を巡る旅の途中で寄った。三徳山三仏寺は国宝・投入堂で知られている、しかし役の行者が法力で投げ込んだと伝えられるほどの難所に建てられている。登るのは無理なので、先ず遥拝所へ、投入堂は遥か山の上に小さく見えた。
それから三仏寺に参拝すべく、長い石段を登り切って境内に出ると正面に本堂、周囲は山深く、山岳仏教の聖地らしい雰囲気。本堂は江戸後期の建立、仁王様が堂内に入っているのは珍しい。本堂の後に登山参拝受付所があった、ここから先は入峰修行となるので届け出なければならない。登山道には岩場も鎖場もあり我々にはとても無理。
それから三仏寺に参拝すべく、長い石段を登り切って境内に出ると正面に本堂、周囲は山深く、山岳仏教の聖地らしい雰囲気。本堂は江戸後期の建立、仁王様が堂内に入っているのは珍しい。本堂の後に登山参拝受付所があった、ここから先は入峰修行となるので届け出なければならない。登山道には岩場も鎖場もあり我々にはとても無理。
2011年5月31日、隠岐国一宮に詣でるため、境港から高速船で隠岐島の島後に渡った時に寄った。隠岐は明治の廃仏毀釈が激しく、石仏群まで破壊されたと言う。ここは島流しにされた後醍醐天皇が行在所としたところで、後醍醐天皇はほぼ1年をここで過ごされ、後、戻られて建武の中興を成し遂げられた。