江利チエミファンのひとりごと

江利チエミという素晴らしい歌手がいた...ということ。
ただただそれを伝えたい...という趣旨のページです。

あの歌... ⑪-2 ひとり泣く夜のワルツ

2005年06月27日 | 江利チエミ(初期記事・本編)
昭和27年テネシーワルツのヒット...
これは日本のレコード界に衝撃を与えました。
英語とニッポン語のチャンポンを14歳(発売時は15歳)の少女が歌ったという衝撃と、
ワルツが日本で大ヒットをした...ということで。
確かにそれまで「ワルツは日本ではレコードセールスに繋がらない」というジンクスがあったからです。
勿論、高木東六先生の作曲、二葉あき子さんの名唱「水色のワルツ」などもありましたが...
このテネシーのヒットを受け、様々な「和製ワルツ」が28年初頭にかけて登場したとか...
作詞:西条八十、作曲:古賀政男でコロムビアの文芸部長・伊藤正憲氏の音頭取りで全精力を掛けて作られたのが、神楽坂はん子さんの「芸者ワルツ」です。
当初のクレジット表記は「ゲイシャワルツ」... このカタカナ表記は「テネシーワルツ」に対抗してのものだったそうです。昭和27年の代表曲といえば、りんご追分、テネシーワルツ、あゝモンテンルパの夜は更けて、そしてこの「ゲイシャワルツ」が揚げられるでしょう。
日本の流行歌の3大ワルツは、テネシーワルツ/芸者ワルツ/星影のワルツ...と揚げた人がいました。
私もこの意見に賛成です!

ひとり泣く夜のワルツ は、3テイクの録音が残っていることでも推察できますが、チエミさんにとっても思い入れの大きな楽曲だと思います。
演歌をワルツのリズムに乗せてしみる如くに歌う... テネシーワルツ、サインポスト(心のワルツ)、チェンジングパートナーズ(君慕うワルツ)、ヴァイア・コン・ディオス...このチエミ4大ワルツ(勝手に命名しました)に「ひとり泣く夜のワルツ」を加えたものが、私のチエミ5大ワルツでもあります。
作詞/矢野亮 作曲/吉田矢健司 ...このコンビはキングの春日八郎、三橋美智也、バーブ佐竹といった蒼々たる面々に楽曲を書いたヒット・メーカー。
初レコーディング当時の「なみなみならぬ思い」...ヒット出さなくっちゃ!っていう意気込みも想像できます。しかし、天は彼女にとんでもない試練を...

「酒場にて」のヒットで「チエミ演歌」を本格的に立ち上げた後、「夜のカウンター」で(間にドラマ主題歌「はじめまして」を挟み)その次に再シングル・リリースをしたのが「ひとり泣く夜のワルツ」です。
チエミ演歌の集大成版...それが「ひとり泣く夜のワルツ」と思っています。

※欽ちゃんのドンとやってみよう...土曜19:30~の90分番組がありました。通称「欽ドン」
この中の素人投稿ハガキのコーナー「夫婦の会話」にチエミさんが51年、ゲスト出演をして、萩本欽一さんと「即興のコント」をやったことがありました。
流石は喜劇人でもあるチエミさん...なかなか笑わせてくれました。

オープニングは、♪ねえ アナタ 愛しているワよ! 夫婦の会話です...っていうテーマ曲で始まるコーナーでした。
「せっかくチエミさんが来てくれたんだから踊りを教えて!」という欽ちゃんのリクエストで「ウエストサイド物語」の♪ボホイ ボホイ...っていう「ジェット団のテーマ」のジョージ・チャキリスのステップを伝授...そのテーマにあわせて2人でステップを踏んで「夫婦の会話」のコーナーがスタートしました。
エンディングではここでも欽ちゃんが、優秀な作品に贈る「欽ドン賞」の発表の際、「なんかチエミさんの好きな曲をバックでハミングして欲しい」とリクエストしました。
チエミさんはその時「ムーラン・ルージュの歌」をハミングしたんですよ...
(記憶ゆえ...正しくないかも知れませんが...)
そしてコーナーが終わり、歌へ...ニューブリードの伴奏だたっと思います。このときも「ひとり泣く夜のワルツ」を歌いました。間奏の時、ファンの女性が花束を...チエミさん「どうもアリガト!サンキュ」って応えたと記憶しています。

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