昭和27年テネシーワルツのヒット...
これは日本のレコード界に衝撃を与えました。
英語とニッポン語のチャンポンを14歳(発売時は15歳)の少女が歌ったという衝撃と、
ワルツが日本で大ヒットをした...ということで。
確かにそれまで「ワルツは日本ではレコードセールスに繋がらない」というジンクスがあったからです。
勿論、高木東六先生の作曲、二葉あき子さんの名唱「水色のワルツ」などもありましたが... . . . 本文を読む
昭和42年7月のリリース...この後チエミさんは咽を壊してしまいます。
すでにこの時「低音に異変」が起っており、それまでの録音より「咽の荒れ」は確かに見られますが、この曲が「ポリープ手術前」の、結果として最後の録音となりました。
手術後、いくぶん細く、また低音が出にくくなった分キィをあげファルセットも屈指した歌唱でコンサートや実演、テレビ、そしてレコード録音に臨みます。
「ご存知!チエミ節2枚 . . . 本文を読む