つばさ

平和な日々が楽しい

尖閣の世界自然遺産登録を目指す

2013年02月06日 | Weblog
【産経抄】2月6日
 アホウドリは一風変わった鳥である。デービッド・アッテンボロー氏の『鳥たちの私生活』によれば卓越した滑空能力を持ち、一度舞い上がれば1600キロも飛び続ける。体も大きく「空の王者」の風格だ。ところが繁殖のため陸に下りると、とたんに不格好な姿をさらす。
 ▼歩くのはヨチヨチで、かなり助走しないと飛び立てない。だから日本ではこんな不名誉な名前をつけられ、世界的にも羽毛を狙って乱獲されてきた。一時は絶滅説もあったが、伊豆諸島の鳥島や小笠原諸島、沖縄の尖閣諸島などで生息が確認されている。
 ▼その尖閣の世界自然遺産登録を目指すよう、地元の石垣市が政府に働きかけるという。尖閣は豊かな「生物多様性」に恵まれている。だがアホウドリひとつとっても、持ち込まれたヤギが繁殖するなどで生息数が大幅に減っているらしい。早急な保護が必要なのだ。
 ▼しかし上陸が厳しく規制されているため実態調査もままならない。そこで政府が進めている奄美・琉球の世界遺産登録の対象に尖閣も加え、そのための現地調査を行うべきだというのだ。しかも石垣市の中山義隆市長が考えるメリットはそれだけではない。
 ▼「日本政府が尖閣を含めた形で登録を申請し、ユネスコが認めれば、日本領であることが国際的により明確になる」というのだ。世界中の目をこの海域に向けさせる。地元で尖閣を守るために、日々腐心している中山市長らしい発想である。
 ▼中国は自衛艦にレーダー照射するなど、尖閣での横暴をエスカレートさせている。政府もアホウドリのようにモタモタしていては、中国の思う壺(つぼ)となってしまう。先手を打っていくためにも石垣市の提案に耳を傾けてみていい。

短時間でやっつける試験に向くかどうかの問題だろう

2013年02月06日 | Weblog
春秋
2013/2/6
 小林秀雄は入試に出すな。丸谷才一さんが、かつて国語論「桜もさよならも日本語」のなかで訴えていた。いわく「彼の文章は飛躍が多く、語の指し示す概念は曖昧で、論理の進行はしばしば乱れがちである。それは入試問題の出典となるには最も不適当なものだらう」。
▼文芸批評の神様も形無しだが、丸谷さんはその仕事自体を否定したわけではない。偉大さは認めるけれど、難解なこういう型の文章の出題者は責められなければならない、これで苦しんだ若者は「文学」への悪意をいだく――と非難したのだ。たしかに受験生のころ、この人の独特の調子に悩まされた人は少なくあるまい。
▼最近はどこの大学でもあまり登場しなくなっていたその難物が、今年は初めて、大学入試センター試験で出た。丸谷さんが昨年亡くなったから解禁したわけでもないだろうが、受験生は大いに戸惑ったようだ。しかも出題文は刀剣の鐔(つば)をめぐる随想とあって、国語の平均点を例年よりだいぶ押し下げる要因になったらしい。
▼読んでみると、これはやっぱり難しい。とはいえ、かみしめればよい味もするのが小林秀雄である。結局は、短時間でやっつける試験に向くかどうかの問題だろう。安直な5択方式でなく、たとえば「無常という事」についてじっくり語り合う。そこまで手間ひまかけた選抜ならば、神様も出てきがいがあるかもしれない。

キュルキュルっと巻き戻して、すぐ聞き直すあの感覚は捨てがたい

2013年02月03日 | Weblog
春秋
2013/2/3
 大きな電器店に行けば、カセットテープレコーダーの売り場が見つかる。柱の陰など目立たない場所に、有名メーカーの製品がいくつか並んでいる。説明パネルに「お稽古に」と書いてある。落語や謡など声を使う習い事や楽器の練習用に、探し求める人がいるそうだ。
▼キュルキュルっと巻き戻して、すぐ聞き直すあの感覚は捨てがたい。小型で高性能のデジタル製品は山ほどあるけれど、手のひらに余るカセットレコーダーの大きさは、武骨だが頼もしい感じがする。その規格をオランダのフィリップスが開発したのが1962年。年齢は50歳を超えた。全盛期を過ぎた熟年の味だろうか。
▼日本のソニーが生んだMD(ミニディスク)は、20歳で寿命が尽きた。同社は最後の機種の出荷を3月で終了する。その小さな記事に、好きな曲を夜中に録音しまくった青春時代の記憶がよみがえった方は多いのではないか。発売当時の92年の新聞記事には、「音質抜群」「カセットを駆逐」と、元気な言葉が躍っている。
▼捨てられないカセットが、本棚の隅でほこりをかぶっている。聴かないMDが、引き出しの奥で眠っている。手間さえかければ、中身を新しい記録媒体に移すことはできるけれど、そうすると何か大事なものが失われる気がする。迷ううちに時は流れて、再生する機器が店頭から消えていく。技術進歩の寂しい一面である。

油断するとそんなまっとうな感覚がふっとまひする。この道具にひそむ魔力である。

2013年02月02日 | Weblog
春秋
2013/2/2
 北風もあれば太陽もある、ということだ。囲碁の日本棋院が最近、対局中の棋士の携帯電話が2度鳴ったら即負けにする規則を取り入れた。マナーモードの振動音もダメ、という徹底ぶりで、まわりの棋士の迷惑を考えて携帯を厳しく取り締まる、いわば北風流だろう。
▼一方、米ロサンゼルスのレストランは入り口で携帯を預けると勘定を5%割り引くサービスを始めた。お客さんの4割が携帯抜きで食事しているそうだ。「気を散らすものを持たず、目の前の料理と対話を楽しんでほしい」とオーナーシェフは話しているという。こちらは、ご褒美つきでやんわり携帯に遠慮願う太陽流か。
▼世界に開かれた窓のごとくポケットやバッグで幅を利かせ、ナイフ、フォークや食器の同類のように我がもの顔でテーブルに並ぶ。大切このうえない携帯も、碁盤を挟んだ相手や食事をともにする家族、友人、恋人の前では出番などない。油断するとそんなまっとうな感覚がふっとまひする。この道具にひそむ魔力である。
▼「どのくらい時間が要りますか」「1時間ほど」「了解。さあ始めましょう」。まだ携帯のない時代にある政治学者を取材したとき、挨拶を交わすと彼はわきにあった電話の受話器をさっと外し、横に置いた。あなただけに時間を差し上げる、という意思表示だ。心地よさと緊張と。しびれて汗ばむような高揚が今も残る。

「霧の都」といえばロンドンの代名詞だった。

2013年02月01日 | Weblog
春秋
2013/2/1
 「水が汚染されればボトルの水を飲み、粉ミルクが汚染されれば輸入品を使えばいいが、空気が汚染されればどう呼吸すればいいのか」。中国のネット上にこんな書き込みが登場したという。いうまでもなく、北京など北部を中心に深刻な大気汚染に対する怒りの声だ。
▼天安門広場が濃いスモッグに覆われたテレビ映像などを目にすると、もっともだと思う。中国の人たちが自衛措置をとらなくてはならない問題の多いことよ、といった感慨も覚える。ただ、中国にはたくましい人が多い。怒りをぶちまけた書き込みとは裏腹に、北京市民の多くは大気汚染に対しても自衛措置をとっている。
▼たとえば空気清浄機が売れに売れているらしい。英紙フィナンシャル・タイムズによれば、中国の有力メーカーの1月の販売台数は350万台。昨年10月の3.5倍に膨れあがった。マスクの利用も急増した。とりわけ健康への悪影響が心配される小さな粒子を通さない高級マスクは、引っ張りだこ。品不足に陥っている。
▼かつて「霧の都」といえばロンドンの代名詞だった。このままでは北京の代名詞になりかねない。そんな声が中国では上がっている。結構近くの建物さえかすむ日もあるというから、杞憂(きゆう)と笑えない。そういえば東京の空気も1960年代はひどかったと聞く。その東京ではこのところ、毎日のように富士山がよく見える。