つばさ

平和な日々が楽しい

目の前に現れる困難や壁を常に自分の力に変えてきた

2013年01月20日 | Weblog
春秋
2013/1/20
 「大鵬さんは、最初から大きくて強かったのでしょう」「天才ですね」。そう持ち上げられるたびに、とんでもないと思ったそうだ。32回の最多優勝記録を持ち、柏戸とともに相撲の黄金期を築いて「柏鵬時代」と呼ばれた。その元横綱・大鵬が、72歳で亡くなった。
▼自分は天才ではなく努力の人間だと本紙連載「私の履歴書」で語っている。戦前の樺太(現サハリン)で生まれた直後は体の弱い子供だった。貧しさの中、小中学生のころから水くみ、まき割り、もっこ担ぎ、道路工事、さらに営林署に就職後は山中での雑草刈りと、生活のために働く中で体がだんだん鍛えられていく。
▼16歳で角界に転身したころは183センチ、70キロ弱の体で電信柱と呼ばれた。大学卒の力士に負けたくない一心で稽古(けいこ)に打ち込む。出稽古で初めて戦った柏戸に全く歯が立たず、以後の目標とした。横綱になってからもケガや病気に悩まされるが、再起不能説を何度も跳ね返す。入院中も病室を抜け出し、夜の公園を走った。
▼むしろ大ケガの後、以前より「淡々とした相撲」を取れるようになったと喜んだ。目の前に現れる困難や壁を常に自分の力に変えてきた。「勝つために稽古し、努力の過程で精神面も鍛えられる。最初から精神ができているわけではない」。なにくそっという根性を最近の力士に感じない。晩年の取材にそう嘆いている。