つばさ

平和な日々が楽しい

全国の0番線に息づく地元への温かいまなざしを忘れてはなるまい

2013年01月16日 | Weblog
春秋
2013/1/16
 日本各地に0番線のホームがある鉄道駅がいくつもある。その多くは後から敷いたローカル線のために付け足した乗り場だ。地域が発展して乗客が増えるにつれて、駅は1番線、2番線と順に大きくなる。何かの都合で1番線の手前に線路が増えると0番線が生まれる。
▼豪雪地帯にあるJR東日本の越後湯沢駅も、その一つ。0番線には、北陸の町を結ぶ「ほくほく線」の普通列車が乗り入れる。新幹線や在来線の長くて立派な列車が目立つ中で、2両編成のワンマンカーが、おとなしくたたずんでいる。必ず新幹線の到着を待って発車するから、連休中の大雪では最大13分だけ遅れが出た。
▼たとえ遅れても、ほくほく線は決して止まらない。開業から15年たつが、全面運休は一度もないという。雪が多い日は、深夜0時から明け方まで運転士以外の社員が全員で、除雪作業にあたる。地域の暮らしを知り尽くしている鉄道に、沿線の住民は絶大な信頼を寄せる。そんなローカル線が、日本各地にあるに違いない。
▼安倍政権がデフレ脱却の大号令を下した。日本列島のあちこちで公共事業が膨らみそうだ。地方の経済はどれほど元気になるだろう。巨額のお金を使うのならば、全国の0番線に息づく地元への温かいまなざしを忘れてはなるまい。紙と鉛筆で積み上げる数字ではなく、末永く成長に役立つ本物のインフラを築いてほしい。

アラブの春と呼ばれる民主化のうねりは、なお現在進行形だ。

2013年01月14日 | Weblog
春秋
2013/1/14
 時の流れの速いことよ。そんな感慨が浮かぶ。2年前のきょう。23年もの長期政権を続けていたチュニジアのベンアリ大統領が、反政府運動のために国外への逃亡を余儀なくされた。同国の代表的な花にちなんで名づけられた「ジャスミン革命」の響きは、今も新鮮だ。
▼チュニジアの例外。女性の地位向上を目指す人々の間にはこんな言葉があるそうだ。イスラムの国としてもアラブの国としても、例外的といえるほど女性の地位が高いとされる。フランスから独立して間もなく制定した家族法は一夫多妻制を禁止し、男性からの一方的な離婚の廃止や女性の結婚の強制の禁止も定めている。
▼ジャスミン革命の皮肉の一つは、民主化にともなって女性に対する圧力が高まる懸念が出てきたことだろう。ロンドン五輪で同国初の女性メダリストとなったハビバ・グリビ選手。陸上の選手としてはごく普通のウエアでの快挙だったのに、革命で台頭した保守的なイスラム勢力からは肌を露出しすぎだとの声が上がった。
▼制定作業が続いている新憲法をめぐっても、女性の地位が争点の一つになった。当初の草案では「女性は男性の補完的な存在だ」といった表現があった。幸い、国内の女性団体や世界の人権団体が強く反発したこともあり、時代に逆行する条文は消えたという。アラブの春と呼ばれる民主化のうねりは、なお現在進行形だ。

いまの就活の姿が健全で理想的だと言い切る企業人は、まずいまい

2013年01月13日 | Weblog
春秋
2013/1/13
 付属高校からエスカレーター式に大学に入った学生は、就職活動で不利になる。そういううわさがあるそうだ。本紙電子版の連載企画「就活探偵団」で記者が採用担当者などを取材した。結論をばらすと、表向きは否定。しかし企業によっては本当の話なのだという。
▼例えばある食品会社は「付属校上がりはお断り」。理由は、大学受験をくぐり抜けておらず学力や精神力が鍛えられていないから。わが子に苦労をさせたくないと願う親心が裏目に出た格好だ。大勢の入社希望者を限られた期間内でさばくためもあり、本人のあずかり知らぬうちに熱意はひっそり門前払いされてしまう。
▼学生もすれていく。朝井リョウ氏の小説「何者」で、主人公の就活生は語る。「就活はトランプでいうダウト。一を百だって言う分には、バレなきゃオッケー」。生涯で一人数億円の投資となる企業は裏技を磨く。ある電機メーカーは面接時、素顔を知るため控室の態度もこっそり観察。こうして化かし合いが加速する。
▼いまの就活の姿が健全で理想的だと言い切る企業人は、まずいまい。まじめだが不器用な若者などは網からこぼれがちだ。学歴と印象に頼らず、時間と場を共にするお試し期間を経て、互いの素顔をじっくり理解し、長期契約に印鑑を押す。男女の結婚ならこれが普通になった。就活も、うまく変わっていけないものか。

夏目漱石「幸にして日本人に生れた」

2013年01月09日 | Weblog
【産経抄】
2013.1.9
 明治41(1908)年に書かれた夏目漱石の『三四郎』の小川三四郎は上京する列車で「広田先生」と出会う。駅で西洋人夫婦を見かけた広田は「御互は憐(あわ)れだなあ」と、つぶやく。「こんな顔をして…日露戦争に勝って、一等国になっても駄目ですね」とも言う。
 ▼三四郎は「これからは日本も段々発展するでしょう」と反論するが「亡(ほろ)びるね」と切って捨てる。「漱石は後の大戦の結果を読んでいた」として、自虐的史観の持ち主がしばしば引用する場面だ。「日露戦争に反対した平和主義者」だという「極論」もある。
 ▼しかしその1年後の明治42年に漱石が広田と逆の考えを書いた随筆が見つかった。昨日も少し触れた「満洲日日新聞」に掲載の「韓満所感」である。漱石はこの年の9月から約1カ月半満州や朝鮮を旅行する。その印象を記したものだ。
 ▼それによると、日本の内地で跼蹐(きょくせき)(肩身狭く暮らす)している間は「日本人程憐れな国民は世界中にたんとあるまい」と考えていた。だが満州や朝鮮で「文明事業の各方面に活躍」しているのを見て「日本人も甚(はなは)だ頼母(たのも)しい人種だ」との印象を刻みつけられた。そんなふうに書く。
 ▼日露戦争から4年ほど後のことだ。多くの日本人が新天地で、日本のためだけでなく当地の発展のためにも必死で働いていた。その姿に漱石は素直に自虐的日本人観を捨てたと見ていい。「幸にして日本人に生れたと云う自覚を得た」と胸を張ってもいる。
 ▼そんな在外の日本人たちも戦後「植民地主義の先兵」とされてしまった。いまだにそのフィルターを通してしか歴史を見られない人たちも多い。それに比べ、時代が違うとはいえ文豪の視線は確かなものに思えるのだ。

言論の自由を欠くこの大国のすがたを見せつける出来事

2013年01月09日 | Weblog
春秋
2013/1/9
 換骨奪胎という言葉はよく誤用される。その連なる漢字のイメージのせいだろうか、文書などがズタズタに改竄(かいざん)されたり骨抜きにされたりするときにこの四字熟語が登場するわけだ。法案は換骨奪胎された……などとうっかり使いがちだが、本来の意味はちょっと違う。
▼広辞苑を引いてみると「詩文を作る際に、古人の作品の趣意は変えず語句だけを換え、または古人の作品の趣意に沿いながら新しいものを加えて表現すること」とある。へえーっと思う人も多いだろう。もとの作品の趣旨を損なうことなく新作をつくり出すことなのだ。中国は宋代の書物「冷斎夜話」から出た言葉だという。
▼さて現代の中国では新年早々、週刊紙「南方週末」の記事書き換え問題が騒がしい。「憲政の夢」を唱えた正月特集の紙面が、記者たちの休みの間に共産党の指示で別物に変わったそうだ。なあに、これもいい意味での換骨奪胎さ、と当局がうそぶいたかどうかは知らないが、その改竄ぶりは骨抜きどころではないらしい。
▼記事の書き換え命令など珍しくない国とはいえ、さすがにこんどは人々の怒りが収まらないという。言論の自由を欠くこの大国のすがたを見せつける出来事なのだが、強圧にあらがう動きもはっきり現れているから時代はやはり変わりつつあるのかもしれない。換骨に抗する反骨のジャーナリストの苦闘が目に浮かぶのだ。

青森県で水揚げされたクロマグロ1匹に、1億5540万円の値段がついた

2013年01月06日 | Weblog
春秋
2013/1/6
 大台に乗るのではないか。そんな予想が昨年末には出ていた。それでも驚いてしまった。昨日、東京の台所・築地市場で開かれた初セリ。青森県で水揚げされたクロマグロ1匹に、1億5540万円の値段がついた。一年前に記録した過去最高値の、2.8倍という。
▼重さは222キロで1キロ当たりだと70万円。こちらは過去最高値のおよそ3.3倍だ。競り落としたのは、すしのチェーン店。決して採算が合う値段ではないらしい。年の初めのご祝儀相場というわけか。あるいはメディアが取り上げることによる宣伝効果を計算したのだろうか。本欄もそれに乗せられた口かもしれない。
▼前日の証券市場の初セリ、いや大発会では、日経平均株価が大きく上昇して、東日本大震災の前の水準を回復した。2013年の日本の景気は幸先のいいスタートダッシュを切った、と言いたくなる。「失われた20年」などと称された長い雌伏の時を、ようやく抜け出せるのではないか。そんな期待も膨らむ。だが――。
▼年の瀬に厚生労働省が発表した毎月勤労統計調査というデータによると、基本給や残業代、特別給与をあわせた日本の現金給与総額は昨年11月まで、3カ月連続で減っている。やっぱり手元の実入りが増えないと、景気が良くなったとの実感はわいてこないのが人情だろう。「めでたさも中くらいなりおらが春」(一茶)

すっかり見立てが狂ったらしい

2013年01月05日 | Weblog
春秋
2013/1/5
 この冬は寒い……とぼやきつつ年末年始を過ごし、これからの厳寒期を案じている人も多いだろう。当初は暖冬という予報もあったけれど、エルニーニョ現象が不発だったり偏西風が大きく蛇行したりで、すっかり見立てが狂ったらしい。占いがたきものは気象である。
▼とはいえ何百年単位の大きな流れもあって、16世紀から19世紀にかけては欧州を中心に世界的な「小氷期」だったという。明治政府が気象観測を始めた翌年の1876年1月13日には、東京で氷点下9.2度を記録している。水たまりに氷が張るのさえ珍しい近年の東京とは別世界、冬とはものみな凍る季節だったようだ。
▼この小氷期のピークにはロンドンのテムズ川が頻繁に結氷し、アルプスの氷河は低地に広がって家々をのみこんだと伝えられている。日本は江戸時代で、淀川が凍りついたこともあるそうだ。歌川広重は東海道といい江戸市中といい大雪に埋もれた景色をいくつも描いている。あれだって誇張ばかりではなかったのだろう。
▼そんな酷寒に比べれば今どきの冷え込みなんぞ、と言いたいところだが、縦じまの天気図を眺めるだけでブルッとくる。それでも正月の列島がまずまず穏やかなのは、景気回復への期待が募っているからかもしれない。株価は大幅高でスタートした。長い氷期の終わりを夢見てみようか。占いがたき未来ではあるにしても。

家族の力を生かす。前向きな発想で生きたい

2013年01月04日 | Weblog
春秋
2013/1/4
 「お母さん」。俳優の高倉健さんが亡き母親に呼びかける。雪山での厳しい撮影があった。気を張る役柄も多かった。それもこれも、すべては「あなたに褒められたくて、ただ、それだけで」頑張ってこられたのだと。かつてエッセー集で、そう真情を吐露していた。
▼年末年始の帰省で、しばらくぶりに老いた親と時間を共にした方も多かろう。ふだんは自身が子を持つ立場で、あるいは管理職や経営者として、弱みを見せず、身過ぎ世過ぎに肩ひじを張る。そんな大人たちも、親の前では「坊」や「××ちゃん」だ。健さんのように、親の目が自分の支えという人もいるかもしれない。
▼日本の「子供」は増えているか、減っているか。小さい子は減少の一途をたどる。しかし親と生きる人、と解釈するなら話は別だ。いま親が存命中の人は、大人から赤ん坊まで約8700万人。総人口の7割だという。試算をまとめた博報堂生活総合研究所は、少子高齢化とは見方を変えれば「総子化」だと位置づける。
▼「子供」の平均年齢は終戦直後こそ10代だったが現在33歳。20年後は40歳近い。存在感を増す大人の親子。一緒に旅を楽しんだり、起業したり。転職、子育てと、力を合わせて何かに挑戦したり、人生の困難を乗り切ったりという例が増えているそうだ。高齢化を嘆くより、家族の力を生かす。前向きな発想で生きたい。

ほんとうに良い仕事をする人間はいるんだ、いつの世にもどこかに

2013年01月03日 | Weblog
【産経抄】1月3日
 今年の干支(えと)の巳(み)=ヘビは、刺青(いれずみ)の図柄として人気がある。体全体に大蛇の刺青がある「大蛇の辰」と呼ばれた博打(ばくち)打ちは、山本周五郎の「下町もの」の佳作『枡落(ますおと)し』で、重要な役割を演じていた。昭和42(1967)年2月に63歳で亡くなった周五郎の最後の作品でもある。
 ▼亭主が人殺しで入牢(じゅろう)し、主人公の母と娘は、心中寸前まで追い詰められる。暗い過去と戦いながら娘に恋心を抱く若い職人、亭主の無実を証明したいとやってくるやくざ者をはじめ、2人を取り巻くのは、善悪入り交じる人間模様だ。
 ▼貧困と自殺、児童虐待、差別と偏見…。江戸時代の庶民の姿を描きながら、平成の日本人の苦しみや悩みにつながっている。「まさしく現代小説であり、背景になっている時代の新旧は問うところではない」。「時代小説作家」のレッテルについて、周五郎はこう語っていた。
 ▼そんな周五郎の新しい全集が、新潮社から刊行される。元日付の小紙に掲載された、広告で知った。最初は首をひねった。今も根強い人気を誇る周五郎作品の多くは、新潮文庫で読むことができるはずだ。
 ▼広告をよく見ると、「画期的脚注」が付いているのが売りだという。確かに「枡落し」の意味を知らないと、この作品の味わいも半減してしまう。ネズミ取りの仕掛けのひとつであり、そこから母娘に迫る危機を読者に連想させるわけだ。
 ▼「ほんとうに良い仕事をする人間はいるんだ、いつの世にもどこかにそういう人間がいて、見えないところで、世の中の楔(くさび)になっている」。『柳橋物語』の一節だ。英雄を待望せず、無名の人々の誠実な人生の後押しを続けた周五郎のブームが、もう一度起こってもいいころだ。

やり遂げた手応えは心に刻まれるに違いない

2013年01月03日 | Weblog
春秋
2013/1/3
 夜が明けきらない道場で、海辺で、河原で。年末年始から大寒にかけてのこの時期、各地で寒稽古が催される。神妙な顔、泣き出しそうな顔で子どもたちが剣を振り、拳を繰り出す。その光景は、暖をとるたき火や振る舞われる汁粉などとともに、厳寒の風物詩である。
▼最も寒い時期に、寒い格好をして、わざわざ寒い場所に出かけて運動をする。最近では「非科学的」「体に良くない」といった批判もあるようだ。だが、寒い中でこそ技が磨かれるとの考えは、武道に限らない。三味線や長唄などにも「寒弾き」「寒復習(かんざらい)」の行がある。日本人が求める精神修養のひとつの形なのであろう。
▼「寒さにしっかりあてる」。足や耳を真っ赤にし、精いっぱいの気合を出す子どもたちの姿に、家庭菜園や園芸で大切なこの作業を思い浮かべる。秋植えの球根は寒さにあてて初めて花をつけ、冬の野菜は寒に耐えて味を深める。寒稽古がすぐ効果を生むわけではなかろうが、やり遂げた手応えは心に刻まれるに違いない。
▼昨年は学校でのいじめが、大きな問題になった。ひとり涙を流した子もいるだろう。いくたびかの困難が君たちを襲うかもしれないが、春になればきっと花が開く。稽古を終え、父母らと家路につく子どもたちの顔は上気して、なんだか得意げだ。道着や竹刀を小脇に、「えっへん」とでも言うかのように通り過ぎていく。