つばさ

平和な日々が楽しい

人々と時代の元気を分かち合った翼は今、池のほとりで静かにはばたきを終えた。

2013年01月21日 | Weblog
余録:2013年01月21日 
 はるか北方の暗い海に鯤(こん)という巨魚がいる。それがいったん変身すれば、翼長何千里とも知れぬ鵬(ほう)という鳥となる。海の荒れる季節、鵬は風に乗って南の海に向かって飛び立つ。9万里の高さに上り、6カ月の間休むことなく飛び続ける▲「荘子(そうし)」が記す巨鳥にちなむ「大鵬」は、漢籍好きの先々代二所ノ関親方秘蔵の四股名であった。先に使われるのではと気が気でなかったが、期待の愛弟子が十両に昇進して、満を持して言い渡す。だが当の納谷幸喜さんは戸惑った。「ズドーンというあれですか?」▲その3年前、北海道の営林署の力仕事をしていた納谷少年がある日、上司に「きょうはいい」と言われた。するとおじに相撲の巡業を見に行こうと連れて行かれ、あげくに「ここに残れ」と言われて着のみ着のまま巡業の一行に加わった。始まりはそんな時代だった▲その名の通り大鵬はたちまち昇進をとげ、第48代横綱の天空に達する。柏戸という好敵手を得て飛び続けた12年間はほかでもない日本が高度成長の坂道をかけのぼり、目もくらむような社会の変貌(へんぼう)を経験した時代である。その坂道で人々が仰ぐ空に大鵬は舞い続けた▲「巨人・大鵬・卵焼き」は当時の熱気を後世に伝える“不滅の流行語”だろう。ただし当人は天性を評価されるのを嫌った。「僕は天才ではなく、苦労してはい上がる努力型です」。優勝賜杯を受ける時いつも考えていたのは「これで来場所はまた大変だな」だった▲鵬は南方の天の池を目指すという。貧苦や傷病の重力に抗して飛び続け、人々と時代の元気を分かち合った翼は今、池のほとりで静かにはばたきを終えた。

世界とは、なんと非情なのか。日本人が巻き込まれる事件だけでなく、無慈悲な物語が絶えない地球なのだ。

2013年01月21日 | Weblog
春秋
2013/1/21
 1972年2月、長野県軽井沢町で起きた「あさま山荘事件」は解決までに219時間を要した。管理人の妻を人質に取り、銃を手に立てこもった連合赤軍メンバーの5人は警察官ら3人の命を奪う。それでも警察は耐えに耐えて、突入するタイミングを探りつづけた。
▼犯人の母親による説得、送電停止、放水と手を尽くした末に、あの有名な鉄球作戦がとどめを刺す。そのかいあって人質は無事救出、グループ全員の逮捕となるのだが、さすがに当時でもあまりの慎重ぶりにいらだつ声はあった。ましてや現下のアルジェリア当局からみれば、これなどは理解を超える日本式にちがいない。
▼天然ガス関連施設がイスラム武装勢力に襲撃された人質事件で、軍がみせた行動は容赦なき掃討だった。テロリストとの交渉などは論外、手をこまぬいていれば敵を人質とともに広大な砂漠に散らばらせることになる――。そういう認識ゆえのアルジェリア式決着なのだろう。代償の大きさの前に、わたしたちは声もない。
▼世界とは、なんと非情なのか。日本人が巻き込まれる事件だけでなく、無慈悲な物語が絶えない地球なのだ。「あさま山荘」の2年前に、瀬戸内海での旅客船乗っ取り犯を警察は射殺した。これが批判を呼び、その後は慎重手法が主流になったという。そうでありつづけられた日本を揺さぶる、アルジェリアの現実である。