つばさ

平和な日々が楽しい

ほんとうに良い仕事をする人間はいるんだ、いつの世にもどこかに

2013年01月03日 | Weblog
【産経抄】1月3日
 今年の干支(えと)の巳(み)=ヘビは、刺青(いれずみ)の図柄として人気がある。体全体に大蛇の刺青がある「大蛇の辰」と呼ばれた博打(ばくち)打ちは、山本周五郎の「下町もの」の佳作『枡落(ますおと)し』で、重要な役割を演じていた。昭和42(1967)年2月に63歳で亡くなった周五郎の最後の作品でもある。
 ▼亭主が人殺しで入牢(じゅろう)し、主人公の母と娘は、心中寸前まで追い詰められる。暗い過去と戦いながら娘に恋心を抱く若い職人、亭主の無実を証明したいとやってくるやくざ者をはじめ、2人を取り巻くのは、善悪入り交じる人間模様だ。
 ▼貧困と自殺、児童虐待、差別と偏見…。江戸時代の庶民の姿を描きながら、平成の日本人の苦しみや悩みにつながっている。「まさしく現代小説であり、背景になっている時代の新旧は問うところではない」。「時代小説作家」のレッテルについて、周五郎はこう語っていた。
 ▼そんな周五郎の新しい全集が、新潮社から刊行される。元日付の小紙に掲載された、広告で知った。最初は首をひねった。今も根強い人気を誇る周五郎作品の多くは、新潮文庫で読むことができるはずだ。
 ▼広告をよく見ると、「画期的脚注」が付いているのが売りだという。確かに「枡落し」の意味を知らないと、この作品の味わいも半減してしまう。ネズミ取りの仕掛けのひとつであり、そこから母娘に迫る危機を読者に連想させるわけだ。
 ▼「ほんとうに良い仕事をする人間はいるんだ、いつの世にもどこかにそういう人間がいて、見えないところで、世の中の楔(くさび)になっている」。『柳橋物語』の一節だ。英雄を待望せず、無名の人々の誠実な人生の後押しを続けた周五郎のブームが、もう一度起こってもいいころだ。

やり遂げた手応えは心に刻まれるに違いない

2013年01月03日 | Weblog
春秋
2013/1/3
 夜が明けきらない道場で、海辺で、河原で。年末年始から大寒にかけてのこの時期、各地で寒稽古が催される。神妙な顔、泣き出しそうな顔で子どもたちが剣を振り、拳を繰り出す。その光景は、暖をとるたき火や振る舞われる汁粉などとともに、厳寒の風物詩である。
▼最も寒い時期に、寒い格好をして、わざわざ寒い場所に出かけて運動をする。最近では「非科学的」「体に良くない」といった批判もあるようだ。だが、寒い中でこそ技が磨かれるとの考えは、武道に限らない。三味線や長唄などにも「寒弾き」「寒復習(かんざらい)」の行がある。日本人が求める精神修養のひとつの形なのであろう。
▼「寒さにしっかりあてる」。足や耳を真っ赤にし、精いっぱいの気合を出す子どもたちの姿に、家庭菜園や園芸で大切なこの作業を思い浮かべる。秋植えの球根は寒さにあてて初めて花をつけ、冬の野菜は寒に耐えて味を深める。寒稽古がすぐ効果を生むわけではなかろうが、やり遂げた手応えは心に刻まれるに違いない。
▼昨年は学校でのいじめが、大きな問題になった。ひとり涙を流した子もいるだろう。いくたびかの困難が君たちを襲うかもしれないが、春になればきっと花が開く。稽古を終え、父母らと家路につく子どもたちの顔は上気して、なんだか得意げだ。道着や竹刀を小脇に、「えっへん」とでも言うかのように通り過ぎていく。