うちな~んちゅになりたくて沖縄

沖縄好きが高じて、とうとう沖縄の住人に。「うちな~んちゅ」に憧れる千葉県生まれAYAKOの体当たりな日々、堂々、公開!

沖縄だけ?のファーストフード店

2008-11-25 14:30:00 | Weblog


 沖縄には「A&W」(通称:エンダー)と「Jef(ジェフ)」という2種類のご当地ファーストフード店がある。エンダーはアメリカから入ってきたそうだけれど、Jefの由来は不明。気にはなっていたものの、ついついメジャーどころのエンダーやその他全国展開しているファーストフード店ばかりを利用していたわたし。しかもJefは、どちらかというと南部で展開されていて、沖縄県内においてもちょっとマニアックな存在だった。

 そんなこんなで気になっていたJefに初めて足を踏み入れたのは今年の夏。内地から観光で訪れた友人に「沖縄にしかなくて、行ってみたいファーストフード店があるんだけど・・・。」と持ちかけてみると、ぜひ行こうと二つ返事でOKとなり、ちょっと遅めの朝食代わりに行ったというわけ。

 めったに流れないが、テレビCMではしきりに「ゴーヤーバーガー」と「ぬーやるバーガー」の二つを宣伝している。が、決して2種類しかないわけではない。普通に、チキンサンドとかもある。ゴーヤーバーガーは想像できるけれど、“ぬーやる”って何だ?! 地元沖縄の人に聞くとゴーヤーバーガーにポークが入ったのがぬーやるバーガーだという。

 とにかく百聞は一見にしかず。そして食してみなけりゃね。わたしはゴーヤーバーガーを、友人はぬーやるバーガーを注文した。ゴーヤーバーガーはシャキシャキ感の残るゴーヤー入りのオムレツ、チーズ、なんだかおいしいソース(マヨネーズ?)が、これまたおいしいフワッフワで熱々のパンに挟まれている。友人が頼んだぬーやるバーガーは、まさにゴーヤーバーガーにポークランチョンミート(と、ひとくちに言っても数社の銘柄が沖縄には存在し、そのどれかは判別つかない・・・)が挟まれたバーガーだった。

 パンはフワフワ熱々、ゴーヤーはシャキシャキ、オムレツはやわらかくソースとの相性抜群!で、とてもおいしくいただいた。こんなに美味なのに、わたしのまわりの地元の人はあまり食べていない(と思われる)のが不思議だ。

 その後、2回連続ゴーヤーバーガーを食したものの、たまには違うのにも挑戦してみようと、最近遊びに来ていた内地の友だちを、またもやJefへと連れて行った。どこにでもありそうなチキンバーガーを頼んでみたけれど、ゴーヤーバーガーの美味しさにはぜんぜん及ばないというのが正直な感想。CMでイチ押しするだけのことはある。

 そしてこのとき、もう一つ面白い発見があった。Jefには、ご飯・目玉焼き(または卵焼き)・ポーク・サラダ、がワンプレートでセットになったモーニングメニューがあったのだ。たまたま行ったそのときに、後ろの席のおばちゃん2人がおいしそうに食していた。まるでホテルやファミレスの朝食ではないか。ファーストフードの領域を超えたJefのメニュー恐るべし。うーん、あっぱれ。

 それにしてもJefは、なぜあまりメジャーでなく、北部進出もしていないのだろう。ゴーヤーバーガーの虜になったわたしとしては、県をあげて、エンダーと同じくらいJefをメジャーにしたいところだ。

 後日談であるが、いつもお世話になっている本部のお父さんに聞いたところ、“ぬーやる”とは、沖縄方言で「何だこりゃ?!」という意味を表していることが判明。たしかに、ゴーヤー、卵、ポークという組み合わせがパンに挟まっていたら、「何だこりゃ?!」だよね。ナイスネーミング!(続く)


県産にこだわったアイデア弁当

2008-11-10 17:00:00 | Weblog


 県内のあるコンビニエンスストアで、興味深い企画のもと、新しいお弁当やデザートが期間限定で並んだ。一人暮らしをしているわたしは、部屋でひとり食べることがなんとなく虚しく感じてしまうので、コンビニ弁当をめったに買わないのだけれど、企画の趣旨に賛同してコンビニへ足を運んでみた。

 きっかけはローカルのテレビで見たニュース。県内6つの大学の学生が、大手コンビニエンスストアでのインターンシップを兼ねて、お弁当やデザートをプロデュースするというものだった。その名も「学P」(学生プロジェクト)。最終的に各大学が決定したメニューをコンビニで期間限定販売するという。県内で採れる食材を駆使してアイデアを練る学生の姿に、自然と完成するお弁当に興味をそそられた。

 全6品のうち、実際に食したのは、北部の鶏肉をメインにゴーヤーチャンプルーやニンジンシリシリーをご飯にのせた「やんばる若鶏重」、沖縄特産のたんかん果汁入りムースと沖縄の伝統的な菓子・ちんるうこう(どうやら‘ちんすこう’の元になったものらしい)を組み合わせた「シュリーツ」、沖縄そばをタコライスの具と混ぜる「タコランツァ」、紅芋をふんだんに使った「ベニーブラン」。



 どのメニューも、それぞれに沖縄ならではの食材に対する愛着が感じられるものだった。そして学生がコンビニエンスストアの社員の助けを借りて、一生懸命に考えただろうと思いながらいただくと、おいしさもひとしお。お弁当はバランスが良く、デザートは女性心を引きつける仕上がりだと感心した。

 最近は内地でも、地元の食材を使って作ったお弁当をコンビニエンスストアに並べているというのを聞いたことがある。カロリーが高すぎるとか、お決まりの食材ばかりが使われていて飽きてしまうとかいう、コンビニエンスストアのお弁当のイメージを一新する、画期的な試みだと思う。

 食べるものに対する不安が増加したり、経済的な問題で食材そのものの値段が上昇したりするなかで、地元のものを地元で消費するという動きにわたしは賛成だ。(続く)


美しい海岸のそばに

2008-10-30 11:00:00 | Weblog


10月半ばに、内地から訪ねてきた高校時代の同級生と、本島北部から橋を渡って行く離島にシュノーケルをしに行った。シュノーケルなんて、沖縄に初めて遊びに来たときに慶良間諸島で体験して以来だから、7,8年ぶりじゃないかな。深い深い海の底を初めて覗いたときの感動を今でもはっきり覚えている。慶良間諸島のように、海底にびっしりサンゴがあって・・・というわけにはいかないけれど、岸からわりと近い深場で、ところどころ元気に生きているサンゴとそこに戯れる魚たちを見ることができたのは、ちょっとした感動だった。

ここの島には有名な美しいビーチがあるとのこと。橋でつながった本島とはちょうど逆側へ車を走らせてみる。と、この海岸を臨むようにして、かなり広い範囲でホテルが建設中。そのために、訪れた人たちはビーチへ続く道路の両脇に車を路上駐車するしかないという状態。そういえば、前に新聞で読んだっけ。アメリカのサブプライムローン問題や大手証券会社破綻の影響により、この島でリゾートホテル建設を進めていた会社が経営破綻して、工事途中のまま別の引取先を探しているとか。

別の日の新聞では、本島に建設中のコンドミニアム型とホテル型のリゾート施設の建設を進める会社が建設途中で経営破綻し、ほとんど完成した建物がそのままになっているという記事を読んだ。本島を南北に走る58号線を北上していると、目の前にドーンと飛び込んでくるほどの大きな建物がそれだ。

北部の離島の場合は、ビーチを訪れる人の駐車スペースが奪われ、のーんびりと碧い海を眺められる砂浜の後ろに建つホテルによって、美しい景観を圧迫されているように感じてしまう。58号線の施設の場合も、海に面してはいないけれど、やはり圧迫感がある。このリゾート施設を建設した会社は、本島南部や石垣島や宮古島も含め、沖縄全域で建設プロジェクトを進めているようだ。ついこないだ訪れた石垣島の友人夫妻から話を聞いた、反対していたという計画のプロジェクトもこの会社だ。

沖縄ブームにのって開発をしまくってきた結果、工事途中で経営破綻。一概にはいえないけれど、こうした建設によって周辺の環境は少なからずバランスを失っているはずだ。建設自体が必ずしも賛成できることではないのに、途中で放置されてしまったら、やるせない気持ちになる。かつて訪れた西表島でも、波の静かな浜辺にホテルが建ってしまった。地元の人の反対があったにも関わらず、だ。

沖縄の海や自然環境がすばらしいと感じ、ここに人が集まるだろうから開発をしていきたいと思うなら、もう少し地元と自然にやさしい開発はできないのだろうか。建設行為自体が、環境や景観を壊すこと、悪化させることにつながるなら本末転倒だ。

沖縄にきて3年半経った今でも、わたしは少なからず沖縄に「住まわせてもらっている」という感覚でいる。それは、わたしの個人的な感覚かもしれないけれど、やっぱり沖縄は他の県とは違うと感じるから。そして、わたしのような移住者が、ほんとうにたくさん沖縄にはいるから。ひとりよがりな考えで、沖縄に土足で踏み込むような暮らし方はしたくない。それは、沖縄で事業を興したり開発を進めたりする会社も同じであってほしいと、個人的な願いだけれどそう思う。

今度また、シュノーケルをする機会があったとき、せめて今と同じくらいのサンゴや魚たちの状態が見られるようであってほしいな。(続く)


2年半ぶりの石垣島

2008-10-24 16:00:00 | Weblog


 少し前に、連休を利用して石垣島へ渡った。夏に宮古島に行ったことに触発されて、また離島へ行きたくなったのと、5年ほど前に石垣島に移住している千葉時代からのともだち夫婦が、暇ができたら遊びにおいでと言ってくれていたのと、ちょうどいいタイミングだったからね。

 誰が出てきてもすぐに分かるほど小さな石垣空港の到着口を出ると、懐かしさのこもった笑顔で夫妻が迎えてくれた。前に石垣を訪ねたのは2年半前だから、2年半ぶりの再会と言いたいところだけれど、2人は交代でしばしば沖縄本島に遊びに来ているのだ。直近では今年の1月~2月の北部での桜まつりのとき、奥さんには会ったことになる。

 飛行機は夜の到着だったので、街中で簡単にご飯を済ませ、迎えに来てくれた夫妻の車で家路についた。少し前に雨が降ったらしく、車の窓から顔を出して感じる空気は少ししめっている。しかし、街中を離れ、車で20分ほどのともだち夫妻の家へ向かうにつれ、気持ちのよい涼しい風がほおをなでるようになる。沖縄本島よりも南に位置するのに、こんなに涼しいとは驚きだった。

 奥さんが「蛍が見られるかも!」と言うので、街灯もない暗い海沿いの道路を車から降りて歩いてみる。海とは反対側の、草木がうっそうと生えている方向に目を凝らすと、確かに光る点が見えた! あ、いた。1匹見つけると、そこここに光る蛍が目に入ってくる。こんな時期に見られるなんて・・・と感動。なんでも石垣では、12月くらいまで蛍を見ることができるらしい。

 蛍の余韻にひたりながら、その夜はビールや泡盛を飲みつつ、久々の再会でお喋りに花が咲く。2泊目、3泊目も、夜はまるで自分の家にいるようなくつろいだ気分で過ごし、朝は湾の見えるウッドデッキで爽やかな風を感じた。飛行機で1時間ほどの近い距離とはいっても、本島から離れると、やっぱり気分が変わるものだ。

 昼間の観光は、夫妻とドライブをしたり、川でカヌーをしたり、眺めのいいレストランで食事をしたり、いつものパン屋さんでお決まりのパンを買ったり、大好きな夫妻の日常がかいま見られるような時間を過ごした。2人が石垣島に移住したのは、当時勤めていた会社の定年まであと数年を残してのときだ。今は夫婦それぞれ地元で仕事を見つけ、そこを発端に地元の人や移住者と馴染み、石垣の生活にとけ込んでいる。同じ内地からの移住者として、とても頼もしくたくましい先輩だなぁと改めて感じた。

 そして2人もまた、石垣の乱開発といえるような内地企業の進出と環境保全を無視した建設ラッシュに憤りを覚えているお人だった。高台に上って石垣港一体を一望すると、以前とは違ってきれいに整備された港が目に入った。老朽化するから新しくするのはいいとして、竹富島でも本島の古宇利島でも見た、同じような造りとデザインの建物や屋根がまえ。これはほんの一部だろう。同じ沖縄県だって、同じ八重山だって、それぞれの島や地域には個性があるのだから、それを画一化するようなことや増え続ける移住者や観光客のためだけに、マンションやホテルを乱立することはしないでほしいと、夫婦と同じ気持ちでわたしも強く願う。

 今回の滞在中だけでも、わたしが知っている以前の石垣島とは違う町の様子や新しいお店の多いことに少しとまどった。次に石垣島を訪れるときは、これ以上の無用な変化がなく、同じ空気、同じ景色を味わえるといいのだけど。(続く)


しまくとぅば

2008-10-09 17:00:00 | Weblog


 県立博物館・美術館で「しまくとぅば 未来へつなぐアート展」という企画展が催された。内地の人間であるわたしは、沖縄の方言の“いろは”が分かるかしら?と思って足を運んでみた。しまくとぅば=島言葉、だ。

 展示室は広々とした天井の高い部屋がいくつかある。「しまくとぅば」のアート展というから、文字だらけの展示と解説(対訳)みたいなものを想像していたのだけれど、入ってびっくり。壁には戦争体験を語るおじい、おばあの顔のアップの白黒写真がぎっしりと並べられていた。ところどころに、しまくとぅばの語りを一部抜粋して紙に記したものも展示されているが、対訳などはない。

 写真だけでなく映像も流されていた。こちらは字幕があるけれど、語った言葉をそのまま表しているだけ。戦争で体験したことを話しているのは理解できるけれど、一つ一つの語り口の意味はほとんど分からなかった。しかし、じっと耳を傾け、おじい、おばあの表情を眺めていると、不謹慎かもしれないけれど、語る言葉がリズミカルに響いてきて、なんだか心地いい。

 ぎっしりと並べられた顔写真は、わたしに糸満市の「ひめゆり平和祈念資料館」を思い出させる。沖縄の地上戦で命を落とした数多くの女学生や先生の写真。おそらく集合写真からピックアップされたのだろう、個人個人の写真として並んでいる彼女たちの表情からは、語りは聞こえてこない。奇しくも今回の企画展で並べられていた顔写真は、戦争で犠牲になった彼女たちと同じ時代を生き、幸いに命を落とさずに生き延びた人たち。ひめゆりの無言の彼女たちとは違って、今にも声が聞こえてきそうなほど生き生きとした表情の今を生きるおじい、おばあたちの写真だ。

 作者にそうした意図はなかっただろうけれど、わたしは頭の中で確かに対比させて、そして繋げてもいた。若くして命を落とした、無言の彼女たちの遺志を受けて戦争体験を語るのが、まさに目の前の写真の彼らだ、と。

 国語、言語というとらえ方で「しまくとぅば アート展」を見に行ったわたしにとって、その空間は衝撃的だった。その他にもいくつか展示があったけれど、結局、美術館を出る段階でも「しまくとぅば」が何であるか、明確な答えは得なかった。でも、感覚として、戦争体験を標準語ではなく自分たちのネイティブともいえる言葉で話すこと、それをあえて現代の言葉に訳さずに、そのままの形で語り継いでいくことに、意味はあると思う。(続く)


4年目に咲いたニラの花

2008-10-03 12:00:00 | Weblog


 春先にベランダのプランターに苗を植えた、ピーマン、オクラ、ナス、青ジソ。現在まで、ピーマン:小3個、オクラ:大5本、ナス:0個、青ジソ:初期はいっぱい・今はゼロ、という収穫結果。実ものには、昨年の反省をふまえて肥料をやった。途中までは大きな葉っぱが元気よく広がって、ぐんぐん成長しているように見えたのだけれど、そのあとが続かなかった。青ジソは増えるにまかせていたら、いつの間にか葉っぱが固く、小さくなって食べられない状態になる始末。

 そんな中、変わらない豊富な収穫を誇っているのが、ニラちゃん。このニラは、お世話になっている本部のお母さんから、沖縄移住当初にいただいたのだ。肥料の入っていたビニール袋に土を入れて植えてあるので、プランターと違って適度に水が土の中にとどまってくれる。冬場は少し細くなるけれど、春にはまた太く長く成長して、野菜炒めや味噌汁、卵焼きの彩りに大活躍。かれこれ4年目に入っても現役バリバリのニラが、今年初めて花を咲かせた。

 まっすぐに伸びた茎の先っぽに、白くて小さい花が複数、まとまって咲いている。どん欲に、ほとんど食べられるものばかりをプランターに植えているから、ひかえめで、かわいらしい花の姿に心が和んだ。ニラって花が咲くんだぁーと初めて知ることになったしね。

 しかし、本部のお父さんとお母さんに聞いてみると、花は切ってしまったほうがいいらしいので、泣く泣くハサミを入れることにした。その前に記念にパチリ。また来年咲くときまで、しばしのお別れだね。本来食べるべきニラを成長させるためとはいえ、ごめんなさい。その分、ちゃんと食材として活用するからね。

 そういえば、ひょんなつながりから、7月に遊びに来たベルギーの子も、「今日はわたしたちがベルギーの料理を作るよ」と言った日の夕食にニラを使っていた。正式なベルギー料理かどうかはともかく、ごま油、細かく刻んだトマト(くりぬいた内側の部分)、これまた細かく刻んだニラでソースをこしらえて、それをよく焼いた食パンにつけて食べるのだ。

 ニラとごま油なんて、ちょっと中華みたいだけれど、本当においしいソースだった。あんまりパンが得意ではないわたしでも、そのソースをつけたらたくさん食べられたのだから。あとは定番中の定番、ジャガイモをスライスして油でよく炒めたものと、前述のソースを作る際に中身をくり抜いたトマトを器にして、タマゴサラダやエビのサラダを詰めたもの。素朴な味ながらどれも美味しかったなあ。

 思わぬところでニラの活用法を知って、また一つ、ニラのレパートリーが増えたのは嬉しい。主役にはならなくとも名脇役のニラ。ゴーヤやパパイヤなど、沖縄の夏を彩る野菜が姿を消す秋になっても、わたしの食を支えてね。(続く)


残暑、台風の季節に思うこと

2008-09-24 17:30:00 | Weblog


 台風13号は、沖縄本島に上陸することなくかすめ通っていった。まともに通過した石垣島では、物流に大きな影響が出てしまい、スーパーやホームセンターに物がない状態が続いたと、石垣在住の知人からの電話で聞いた。与那国島の農作物の被害もひどいらしく、同じ県民として心が痛む。

 一方で、台風の影響で降り続いた雨は本島のダム貯水率の危機を少し改善し、恵みの雨となったようだ。自然の脅威の前に為すすべなく、また一方で自然の恩恵を受けなければ生きていけない。この世に生きる動植物はすべてそうなのだ。人間の技術革新がいかに進もうとも、宇宙に行くことができようとも、自然を操ることはできない。その紛れもない事実は、人間の行為にも限界があることを示していて、わたしを少し安心させてくれる。

 台風が過ぎてしまうと、ジメジメした暑さが戻ってきた。昼間は真夏のようなまとわりつく暑さだ。涼しさが恋しくて、8月に遊びにきていた友人と行った、滝のある川を思い出していた。

 那覇から58号線をひたすら北上し、大宜味村に入る。目指す川までは、「本当にここで間違いないよね?」と確かめたくなるような車通りの少ない細い道をずっと通っていき、ようやく人も車もいっぱいいる場所に出て、目的の場所にたどりつけたことが分かるくらいのところ。

 8月の暑い盛り。川の流れる音が気持ちよく耳に響いた。早速、車を停めて川に降りていく。駐車場を管理している人が、ビーチサンダルでは危ないからスニーカーがいいよ、とアドバイスをくれたので、濡れるのもかまわず浅い川の中をスニーカー履きのまま進んでいった。

 久しぶりに入った川。水はやさしい冷たさで、足の先から体内へ涼しさが送り込まれてくるようだった。一歩一歩、前に進むたびにジャブッ、ジャブッと跳ねる水音もまた、涼しさをいっそう感じさせてくれる。ところどころ深いところもあるので注意深く歩きながら、ふと立ち止まってあたりを見回す。川の周りは木々で囲まれて直射日光は当たらない。ここが沖縄であることを一瞬忘れるくらい、澄んで気持ちのよい空気がそこにあった。

 小さな滝が見えてきたが、そこから先は深くなっていて、濡れても大丈夫な服装でないと進めなそうだった。川を出て、上から進んで行くルートもあるようだったけれど、次々と人が反対からやってきたので、友人とわたしはそこから引き返して車へ戻った。

 沖縄というと第一に海を思い浮かべるし、そのきれいさは格別。けれど沖縄にも川があって、滝があって、いろんな人がそこへ涼を求めてやってきていたのがわたしにとっては新鮮だった。家のクーラーでは決して味わうことのできない自然の涼しさが、開放的な海とは違う空間を体験させてくれた時間。

 心地よい環境を与えてくれるのも自然、甚大な被害をもたらすのも自然。だからこそ、人間は自然とうまく付き合っていかなくちゃいけない。あちらこちらで海岸沿いの土地をつぶして、大型のホテルやリゾートマンションが建設される沖縄県のリゾート開発は、果たして自然とうまく付き合っていくことに即しているのだろうか。穏やかな川のある風景や青い海、そして台風の猛威を思い出しながら、これからの沖縄の環境整備が人間のエゴのみにならないで欲しいと思うばかりだ。(続く)


うちなーのお月見だんご

2008-09-16 13:00:00 | Weblog


 今年の中秋の名月は9月14日。あいにく台風の影響で、空はずっと雲に覆われたままだったので満月を仰ぐのは難しそう。昼間、花より団子ならず月より団子ってことで、お月様を見る変わりにお腹で十五夜を満喫しようと近くのお菓子屋さんへ足を運んだ。

 あった、あった。沖縄版お月見だんご「ふちゃぎ」。編集の仕事をしていたときに十五夜の特集を企画して、そのときに初めて知ったのだ。やわらかい楕円形の餅に、炊いた小豆がこれでもかってくらいまぶしてある。お月さまに見たててまん丸に作る内地のお団子とは大きく違うので、びっくりしたっけ。仏壇や火の神に供え、来年の豊作を祈るのだそうだ。小豆にはその赤色から魔除けの意味があるとも聞いた。

 お菓子屋さんから帰ると、十五夜企画の際には実際にその味を確かめられなかった「ふちゃぎ」を早速口にした。袋に入っていたせいで小豆がつぶれてしまっていたのがちょっぴり残念。ふちゃぎのお餅には、甘く味付けされているものや、紅芋や黒糖を生地に練り込んだものもあるらしいけれど、わたしが買ったのは白くて甘味のない餅、小豆はほんのり塩けのあるやさしい味だ。お餅はやわらかく、小豆は固めでかみごたえがあっておいしい。

 我が家の月見団子は、上新粉を水で溶き、丸くして茹でたところにきなこをまぶしたものだった。小さい頃は、姉と一緒にまん丸のだんごを作るのが楽しかった。近くの原っぱにススキを採りに行ったりもしたけれど、いつからだろう、団子を作ることも団子と一緒にススキを供えることもしなくなった。お月見だけではない。子どもの頃、こぢんまりながら家族と楽しんでいた季節ごとの行事はいつの間にかほとんどなくなった。特に社会人になってからは、一人暮らしだからなおさら。

 沖縄では、スーパーに行くだけでその時々の年中行事がひと目で分かる。行事に必要なものや行事で食べるものが必ず売られているからだ。千葉にいたときも盆や正月、彼岸などはスーパーに行けば意識させられたけれど、沖縄にはそれ以上の行事がある。生活スタイルが変わって、行事の必要性が薄れつつあっても、それを絶やすことなく日常の一部として楽しむゆとりがあるのがいい。(続く)

宮古島初上陸 2日目最終日

2008-09-03 12:00:00 | Weblog


 宮古島初上陸1日目のしめくくり、ホテル近くをブラブラしながら、夕食をとれるお店を探しに出た。昼間は閑散としていた中心街。人も車もほとんど見られなかった通りに居酒屋の看板が明るく光り、どこから集まってきたのか観光客やら地元の人たちらしきグループで、どのお店もあふれかえっている。

 なるほど、ここは夜がにぎわうという意味での中心街だったのかな、と友人とともに納得。居酒屋は数あるのに、満席を理由に2,3軒に断られ、予定外に歩き回る始末。やっと腰を落ち着けられたときには体がじわっと汗ばんでいた。すかさず、キンキンに冷えたビールを注文して、ゴクリ。んー、うまい! 食事のメニューは、本島のそれとあまり変わりはないのだけれど、ひと味違った新鮮な気分で宮古の居酒屋を満喫し、1日目を終えた。



 翌日、朝食をとりながら外に目をやると、またしても雨だ。あーあ、と少しがっかりしながらも、宮古島の北端・池間島を目指して出発。フカフカの白砂のビーチに立ち寄っている間に少し晴れ間が出てきて、池間大橋を渡ったときには、なかなか良いお天気になってきた。本島の古宇利島へ続く橋を連想させるような橋の下は、それはそれは透き通った美しい海が広がっている。橋の途中の休憩所で海面に目を凝らすと、青い魚や細長い魚が流れに身を任せて漂っているのが見えた。



 それから、今度は南下して吉野海岸をめざす。丘を下るような格好で、くねくねした道を降りていくと、一見こぢんまりとしたビーチが姿をあらわした。友人によると、ここはシュノーケルに最適なスポットらしく、また曇ってしまった空の下、たくさんの人が思い思いに波間に漂いながら水中を覗いていた。

 早速わたしたちも水中メガネを付けて海の中を覗いてみると、わりと浅いところに珊瑚の生息する岩場があって、色とりどり、大小さまざまな魚たちが泳いでいるのが見えた。手を伸ばせば魚たちに触れることもできそうだ。初めての沖縄旅行のとき、海の深いところでシュノーケルをして海底にいる魚たちを眺めたことはあるけれど、こんな近くで魚を見られるなんて! 目の前からやってくる魚と向き合ったり、目線より上を魚が泳いでいったりするので、まるでダイビングをしているような気分。久しぶりに童心にかえったようなワクワクした気持ちが体中を満たす。



 宮古旅行の最後は、友人の親戚と束の間のゆんたく。自家栽培のドラゴンフルーツや宮古マンゴーをごちそうになり、地元の人の温かさに触れながら、あっという間の1泊2日をゆっくりと思い返していた。

 あいにく天気に恵まれず、宮古出身の人たちが口々に言っていた一番キレイな海を実感することができず、心残りも多かったけれど、とにかく余計なものが無くていい。二度目の上陸がいつになるか分からないけれど、またきっと必ず来るだろうと思った。そのときは、気に入った海岸で、日がな一日、海と遊び、砂と遊び、魚と遊びながら過ごしたいものだ。(続く)

宮古島初上陸 1日目

2008-08-18 15:00:00 | Weblog


 学生時代からの友人が沖縄に遊びに来たのに便乗して、一緒に宮古島へ行ってきた。わたしにとっては初宮古、宮古にルーツを持つ友人にとっては二度目の上陸。

 久しぶりの那覇空港で宮古に行くために案内されたのは、39人乗りのプロペラ機。あれれ?宮古島ってけっこう大きいし、観光客もいっぱい行くところだよね。なぜ39人の乗りのプロペラ機なんだ?と思ったものの、1時間弱というあっという間の飛行で宮古に到着した。悩んだり考えたりしている暇なんてない!

 沖縄で知り合った宮古島出身の人が口をそろえて言っていた「宮古の海が一番キレイ」をいよいよ生で確かめられるとワクワクしていたのに、プロペラ機を降りると雨。むむっ。そんなに日頃の行いは悪くないはずだけどなぁ。

 なんとなく、道路の標識を頼りに平良港へ向かうも、殺風景だし雨は降ってるしで、次なる場所を目指した。友人のリクエスト、宮古島で窯を持って焼きものをやっている方の工房へ。もちろん沖縄ならではの壺屋焼きなのだけど、一風変わった模様もあって新鮮だった。



 そしてやっぱりこれが一番の楽しみ?かな。お食事の時間。ここはベタに宮古そば屋をチョイス。宮古そばは具がそばに隠れているというのが有名だけど、その理由は、年貢の取り立てをごまかすためとか、具を中に入れることで麺が盛り上がって量が多く見えるとか、さまざまな説がある。とにかく、具が麺に隠れた元祖・宮古そばを食することができただけで満足なわたし。

 食事のあと、街中へ行ってみようと車を走らせたものの、いっこうに繁華街のような場所に当たらない。地図ではこの辺りのはずなのに・・・。ん?ってことはこの道が宮古の繁華街なのね。もちろん那覇とは違うけど、こんなにも人気のない中心地とはびっくり。めぼしいものはお塩屋さんと本島でも有名な泡盛の酒造場、そしてコンビニ。車を停めて歩き出したものの、あっという間に散策が終了してしまった。



 夕方まで、それぞれ目的の用事を済ませてから改めて合流。橋を渡って行ける来間島へ日の入りを眺めに行った。その頃には雨は止んでいたけれど、水平線には雲がかかって、太陽が水平線に沈むまでを見届けることができなかったのがちょっぴり残念。

 でも、午前中に空港を降り立ったときは、那覇からと東京からの観光客がいっぱいだったはずなのに、みんなどこへ行ったのかと思うほど人気がないその空間は居心地が良かった。那覇から飛行機で1時間飛んだだけで、こんなに静かな島へやってこられるなんて。沈む夕日をぼんやり眺めながら、想像以上に何もない宮古島に愛着を感じ始めていた。

 そして、夕食を兼ねて飲みに出かけたとき、昼間はあんなに閑散としていた街のメインストリートが活気づいているのを目の当たりにしたのだった。(続く)