うちな~んちゅになりたくて沖縄

沖縄好きが高じて、とうとう沖縄の住人に。「うちな~んちゅ」に憧れる千葉県生まれAYAKOの体当たりな日々、堂々、公開!

ビバ! 沖縄夏野菜!!

2008-06-27 11:00:00 | Weblog


 遅く始まった梅雨があっという間に明けて、沖縄では本格的な夏の始まり!夏野菜や南国果物がおいしい季節がやってきた。ゴーヤー、ナーベラー(ヘチマ)、ナス、・・・夏野菜も果物も、わたしの好きなものばかり。特にゴーヤー。ゴーヤーちゃんぷるーをほぼ毎日のお弁当のおかずとして大活用している。ゴーヤーの苦みとシャキっとした食感に食欲をそそられて、モリモリ食べられるから夏バテ知らず。

 先日、久しぶりに本部の友人ご夫妻のお家へ遊びに行ったら、3月に100歳になったおじいちゃんが丹誠込めて育てたゴーヤーが、見事な大きさに成長して、早く採ってくれと言わんばかりにぶら下がっていた。そして、自生したという青パパイヤもちょっとしたボールくらいの大きさに。マンゴーが、ほんのり赤く色づき始めているし、家のすぐそばに植えられたミニトマトなんて、まさに鈴生り。ここは豊かだなぁと、しみじみ思う。

 その日、夕飯にいただいたのは、採れたてのゴーヤーフライやら、自家製ミニトマト入りサラダ、奥さんの妹さんが海でしとめたタコ・・・などなど、地場のものがほとんど。新鮮な食材だからこそ、心も体も喜んでいるのが分かる。

 本部のお家にお泊まりした翌日、ご主人が面白いものを畑から取ってきて見せてくれた。バナナの花の部分だ。実が成長を始めたところ以外の花は、栄養を取られないように取り除いてしまうそうなのだ。持つと手からはみ出るくらいの大きさの赤いつぼみみたいになっている。後日調べてみると、苞(ほう)らしい。ご主人がそれを丁寧にはがす。すると、一枚の苞の根本の部分に透き通った黄色い小さな花が連なっていた。これがバナナの花だよ、とご主人。この苞が次々とめくれていって、一本の枝にいくつものバナナの房ができるとさらに説明してくれた。



 初めてみたバナナの花は、あの大きな葉っぱからは想像できないくらい華奢で繊細だ。南国というと、ハイビスカスやデイゴなどの鮮やかで強烈な色が思い浮かぶのに、バナナの花は大きさも色も控えめ。もっとも、苞は赤っぽくて大きくて厚みがあって丈夫そうだけれど。なるほど、内側の花や実を守るのにぴったりだね。

 本部からの帰り際、おじいちゃんのおっきなゴーヤーと山に自生した青パパイヤをお土産にいただいた。生でもちゃんぷるーでも美味しい。沖縄の夏野菜をおいしく育ててくれる気候・風土、そしておじいちゃんと友人ご夫妻に感謝。

 オクラ一本の収穫に泣いた昨年。リベンジすべく、今年はどん欲にピーマン、ナス、青ジソ、オクラをプランターに植えた。今のところ、経過は順調。自分が食するものを自分で作れる贅沢な喜びを味わうべく、頑張ろうっと。(続く)


本当の意味での慰霊の日

2008-06-23 11:00:00 | Weblog


 今年もまた慰霊の日がやってくる。県内の新聞は、この日に向けてなのかどうか、特集を組んでいる。普段から、基地問題は必ずといっていいほど新聞に取りざたされていて、「米軍再編」「基地移転」がニュースの矛先となっているが、今、私が購読している新聞では『住民虐殺―〝銃〟を向けた日本兵』というタイトルで連載が掲載されている。

 昨年、本島中部の広場で開かれた教科書問題に対する決起集会。その後、全国放送や全国紙では影が薄くなってしまったけれど、沖縄では続いている。今回の連載も、この流れを受けてなのだろうか。

 わたしは、戦後30年余り経ってから生まれたのだけれど、戦争に関する映画やドキュメンタリーは興味深く見てきた。わたしが学校で学んだ終戦の日というのは昭和20年8月15日。沖縄の人たちは、昭和20年6月23日と学んできた。沖縄の地上戦が終わった日・慰霊の日だ。

 新聞の連載は、日本兵に命を奪われた人の家族、友人、知人の証言で当時の様子がつづられている。降伏をした沖縄県民に米軍は親切だったけれど、日本軍は違ったのだ。親族や近所の人に降伏をしようと促しに来た人を一方的に米軍のスパイと決めつけ、命を奪う。自分たちが壕を占領したいから、女性や子供も関係なく、そこにいる住民を邪魔者扱いして刀を向けて命を絶つ。目の前で見た人の紛れもない証言がそこにあった。教科書問題となった、集団自決へと追いやったのもまたしかり。

 なぜ、こういう事実を隠す必要があるのか。証言した人は、そしてそれを読む人々は、そのときの日本兵を探し出して罰せよと望んでいるのではないと思う。もちろん全ての日本兵がひどかったわけでもないだろう。ただ、事実を歪めて伝えてはいけない。戦争がいかに人の心をすさませ、人を人でなくするのか、その事実をきちんと伝えない限り、戦争や紛争を起こしてはいけないということが伝わらないではないか。

 わたしは戦争を体験していないし、沖縄で生まれ育ったわけでもない。よって、新聞で読んだ内容はわたしが目の前で見たことではない。でも、自分が見ていないからって、戦争の時代を生き抜いてきた方が、顔を出してまで語ってくれることを否定しようとは思わない。家族や知人の命を、味方であるはずの日本兵に奪われた人たちの気持ちを慮ることをしなかったら、人の痛みが分からなかったら、すべてにおいて同じように非人道的なことがまかり通ってしまう。

 戦争中だったから仕方がないでは済まされない。真実から目をそむけずに向き合うこと、それを今後の日本のあり方や歴史教育や人間教育に活かすこと、そして何より、理不尽に命を落とさなければならなかった人たちの霊を慰めること。それでなければ、いつまでたっても沖縄の人にとって、6月23日は“慰霊”の日とはならないではないか。

 わたしが沖縄にいる限り、せめて語り継いでくれる人の声には耳をかたむけていきたいと思う。沖縄県以外でも、広島や長崎の原爆のように日本中の人が関心を持ち、真実を知ろう、語り継いでいこうという動きにつながってほしい。(続く)


暑い夜はオリオンビール!

2008-06-16 18:00:00 | Weblog


 久しぶりに居酒屋へ行った。東京に転勤している友だちから、私用で沖縄に戻ってきているから飲もうと誘われたのだ。那覇の新都心にある、何度か訪れたことのあるお店で待ち合わせ。梅雨真っ只中の土曜日、朝からムンッと暑くて、外に出ると途端にネットリした空気がまとわりつく。

 週末ということもあって、お店は地元の人や観光客で賑わっていた。予約なしで大丈夫かな?と心配したけれど、畳敷きの個室に案内してもらえてひと安心。夕食を済ませた後でお腹は満たされていたから、3人で瓶ビールを頼んで、グラスでちょっとずつ喉へ流し込んでいく。隣の部屋には、三線の演奏者がまわってきているようだった。三線演奏は、ここのお店のウリでもある。演奏しているのは明らかに内地の人なので、なんとなく興ざめしてしまい、わたしはこのパフォーマンスがあまり好きではない。ってわたしも内地の人間ですがね。

 ちびちびと瓶から注いでビールを飲みながら、沖縄の人の独特なテンポの話を聞いてほろ酔い気分になるのは心地いいものだった。居酒屋に行ったものの強烈に冷房がきいていて寒くなり、お酒を飲みたいような気分でなくなってしまうことがあるけれど、この日通された個室はほどよい冷房で、お酒を美味しく飲ませてくれた。時間がゆ~っくり流れていく感覚に身を任せる。

 たいした量は飲んでいなかったけれど、おしゃべりに花が咲き、気がつくと閉店時間になっていたので、しぶしぶ解散してそれぞれ家路へ。外は涼しい風が強く吹いていて、明日は雨降りかなーと予想したのだけれど、全く外れ、翌日は寝不足のまま、朝から強烈な日差しに起こされた。せっかくのお天気、友だちを誘ってお昼ごはんを食べがてら外出。



 飲んだ翌日は“そば”に限る。最近見つけた、わりと新しい沖縄そば屋さんで昼食をとった。座敷に設置されたカウンター席の壁際に、沖縄らしいものがディスプレイしてあって、こぎれいなお店だ。メニューはシンプルで沖縄そば1種類とじゅーしーといなりずしのみ。めずらしくツルツルして、ちょっとちぢれた麺に、スープは透き通ったあっさり味。2日酔いってほど前日は飲んでいなかったけれど、スープまで残さず飲み干すと、体中にやさしい味がしみわたり、体の中が浄化されたような気持ちになる。
 お店を出ようとしたら出入り口近くにコーヒーが飲めるコーナーがあった。一緒に置いてある手作り風のまんまるな「ちんすこう」を一つつまんでパクッ。さっくりとした歯ごたえのあと、甘さがふわーっと口に広がる。嬉しい心遣いにお腹も心も満たされた。暑さをまぎらすビールの味、翌日の沖縄そば、やっぱりいいね。(続く)


沖縄市でジャズナイト

2008-06-06 11:00:00 | Weblog


 サルサのサークルで仲良くなった友人が住んでいる沖縄市へ遊びに行った。沖縄本島中部、うちからは車で30分強も走ればたどり着ける。

 初めて訪れる友人宅は、沖縄市の中心部からほど近くにある住宅街の中。スーパーも近くて、遊ぶにも日常生活にも便利そうな場所だ。沖縄に来てスグの頃、同じ会社の人に「せっかく沖縄に移住してきたなら、沖縄市に住むといいよ、とっても面白い街だから」と言われたことがあったっけ。前にも書いたかもしれない。沖縄とアメリカが融合しているような街なんだよね。外人さんも多く見かけるし。

 けれど、働かなければならないわたしは、企業が多く集まっている那覇市を住む場所として選んだ。だから、今回の沖縄市訪問は普段生活している所とはひと味違う世界へ行くワクワク感でいっぱい。女の子同士のお泊まり会でもあったから余計にね。

 友人宅で簡単に夕ご飯を済ませると、タクシーで5分ほどのところにあるバーへ。この日はジャズライブが開催される日だったのだ。向かった先は、同じサルサ仲間のイラストレーターの女の子が、以前個展を開いた場所だ。そのときは、こわごわ入ったのだけれど、人当たりのいいマスターとうち解けて、楽しくおしゃべりして帰ったことを思い出す。

 久しぶりに見るジャズの生演奏。ベース、ドラム、サックスの3人編成で、オリジナル曲やオリジナルアレンジ曲が次々と奏でられる。かつてバンドでドラムを担当していたわたしは、やっぱりドラムに釘付け。ロックやポップスをバンドで演奏しながら、いつかはジャズドラムを演奏できるようになりたいと思いながらも、夢を果たせずにドラムに触れることもなくなってしまった。楽器の心地よい音色とお酒でゆったりした気分に浸りながら、学生時代、がむしゃらにバンドサークル活動ばかりしていた自分を思い出していた。

 欲を言えば、ピアノの音もあるともっと良かったかな。バンドを始める前までは、ピアノを習っていたわたし。その頃は、クラシック音楽ばかりの練習がつまらなくて、エレクトーンで最新のポップス音楽を演奏する友だちのことが、羨ましくてたまらなかった。けれど今になってみて、クラシック音楽やピアノの生音の素晴らしさを感じるようになり、恋しくて聴きたくなってしまう。

 ライブが終わってお店を出たあと、パークアベニューと呼ばれる場所へ行った。昔は沖縄の原宿といった感じで賑わっていたのだけれど、今はシャッターの降りた店が多い場所。遅い時間に開いているバーで、たわいもないおしゃべりを楽しむ。4人中3人が移住組。沖縄で育った一人も、高校を卒業してから内地で生活し、つい2年前に戻ってきたばかり。沖縄に移り住んだきっかけや、今後のこと、悩みごとなど話題は尽きない。

 こうやって、同年代の移住してきた人や内地で生活していた人と腹を割った感じで話をするのはめったにないことだから、純粋に嬉しかった。みんなそれぞれなんだなぁって思う。そして、力強く、たくましく生きているなって。沖縄生活丸3年を超えて、いろいろ思うこともある最近。 ジャズに浸り、おしゃべりに花を咲かせ、エネルギーを充電できた沖縄市での夜だった。(続く)