うちな~んちゅになりたくて沖縄

沖縄好きが高じて、とうとう沖縄の住人に。「うちな~んちゅ」に憧れる千葉県生まれAYAKOの体当たりな日々、堂々、公開!

エコサイクルの農業

2009-02-20 12:30:00 | Weblog


 わたしが親しくさせてもらっている本部のお父さんの同級生に、アグーを育てて循環型農業というのに取り組んでいる方がいる。その農業をアピールすべく、今年の一月中旬、アグーのしゃぶしゃぶ&炭火焼を提供するお店をオープンさせたとかで、友人を誘って早速出かけた。

 いただいたのはしゃぶしゃぶ。自前のアグー肉と野菜を出汁でしゃぶしゃぶして、ショウガとポン酢でいただく。薄くスライスされた様々な部位の肉はとてもやわらかく、さっぱりした味で、いくらでも食べられそうだった。シンプルな食べ方だからこそ、肉の旨味をしっかりと感じることができる。一緒に出された野菜もほとんどが自家製で、そのおいしさに感動した友人は、生のままムシャムシャと食べていたっけ。

 おなかいっぱいアグー肉と野菜を食べた後、ご主人も交えての会話がはずむ。その時に、アグー飼育と野菜栽培のしくみについて、とても興味深い話を聞いた。循環型農業について。



 サラリーマン生活の傍ら、長年豚の飼育をしてきたご主人は、15年ほど前に会社を退職して農業と豚の飼育に専念したという。豚の糞尿から発生するメタンガスや液肥に注目して、これを野菜の栽培などに活用する方法を試行錯誤で実践してきたそうだ。

 豚の糞尿やトイレの汚物・残飯などが溜まって発酵すると、メタンガスが発生し、上澄みは液肥、残った個体は汚泥になる。ゴミ処理施設などではこのメタンガスを発電に使っていたりする。

 ご主人は、自らメタン発酵浄化槽を作り、発生したメタンガスを利用して畑で育てた月桃(沖縄ではサンニンという)の葉を炊き、その蒸留水を野菜畑で害虫の忌避剤に使う。月桃のこうした利用方法は、沖縄県内で注目されて様々な研究がなされている。一方液肥は、パイプを伝ってホースから出せるようにして、野菜畑の肥料として直接まく。汚泥も液体と撹拌して、肥料として利用。

 つまり、「豚の糞尿・食堂の残飯→メタンガスと液肥・汚泥→月桃を炊いて畑の害虫忌避剤、野菜畑への肥料→野菜・豚を食堂で利用→豚の糞尿・食堂の残飯」という見事なサイクルができあがっているのだ。さらに、太陽光発電システムを利用して、食堂の光熱もまかなえているというから驚いた。

 長きにわたってご主人が循環型農業に取り組んできたのには理由がある。一つ目にメタンガスが発生するための温度条件に沖縄がとても適していること、二つ目に、通常メタンガスの発生時、分解されずに溜まるカスの撹拌を、浄化槽の作りを工夫して自動で行えるようにしたことだ。




 そのシステムを目で見て確かめたくて、後日、改めてお店にお邪魔した。同じ敷地内に40頭余りのアグー豚、大きく育った葉野菜の畑、月桃畑。豚舎には産まれて3ヵ月ほどの子豚ちゃんもいた。自然の恵みが生き生きとそこにある。浄化槽は3段階を経たのち、メタンガスは月桃蒸留装置へ、液肥・汚泥は畑のあちらこちらに巡らされたホースから調整しながら出せるようになっていた。

 豚舎に近づいても家畜独特の臭いがしないので、不思議に思って尋ねると、完全に発酵した液肥を混ぜた水で豚舎の洗浄をしているからだという。液肥や汚泥を直接畑にまくことができると、肥料を作ったり買ったりするよりコストも省けるそうだ。

 沖縄の農業がもっと元気になるように、こうしたシステムをもっと多くの農業従事者に知ってもらいたいというのが、ご主人の一番の願い。おいしいアグーと野菜を通して、この思いが島中に広がるといいな。(続く)

沖縄の名勝

2009-02-09 11:30:00 | Weblog


 わたしが沖縄に移り住んだ2005年春以来、約4年ぶりに母が沖縄にやってきた。千葉で咲くのとは違う、鮮やかな沖縄の桜を見にきたら?というわたしの誘いに応じてのことだ。

 母の滞在中の天気は、予報では前半が雨で後半がくもりのち晴れということだったので、わたしのテンションは少々下がり気味。けれど嬉しい裏切りで、予報に反してずっとお天気続きだった。また、今年は例年よりも早く桜が咲いてしまったので、散るのも早いだろうと予想されていたけれど、わたしたちが桜の咲く八重岳に行った日、桜はまだ見事に咲いていた。

 鮮やかなピンク、淡いピンク、グラデーションのピンク、と目にまぶしい沖縄の桜の色に圧倒されながら、夢中で携帯電話付属のカメラで写真を撮る母。わたしもまた、何度も見ているのに、サンサンと降り注ぐ太陽の光に照らし出された桜のピンクとバックの空の青、そしてちらほらと新芽を出している葉の緑のコントラストに心を奪われた。



 翌日は、近くにありながらまだ行ったことのなかった「識名園」へ。ここは世界遺産に登録され、国指定特別名勝にもなっている。琉球王朝時代の国王一家の保養や外国使臣の接待に利用されたそうだ。第二次世界大戦の沖縄戦にて破壊されたのち整備されているので、建物は真新しくきれいだった。

 その日はたまたま、午後から結婚式があるとかで、屋敷の中では結婚式の準備をしている。識名園を訪れる一般の人も見物することができるらしいので、ぜひとも見てみたかったけれど、式が始まる時間まではいられなかったので断念。

 池のまわりを歩くと景色の移り変わりを楽しめるという「回遊式庭園」は、とても手入れが行き届いている。ここにも、草木の緑に混じってちらほらと桜の木が植えられて彩りを添えていた。千葉では見られない珍しい植物や実の成っているバナナの木などに、母は興味津々。

 二人で時間をかけてゆっくりと園内を散歩した。本島南部が一望できる一角に立ち、当時の王朝の生活などに思いを巡らせてみたりも。首里城よりも見ごたえがある、というのが母と私の感想だ。また、季節が変わったときに、一人でブラブラと散歩してみたくなる、そんな場所だった。(続く)