うちな~んちゅになりたくて沖縄

沖縄好きが高じて、とうとう沖縄の住人に。「うちな~んちゅ」に憧れる千葉県生まれAYAKOの体当たりな日々、堂々、公開!

宮古島初上陸 1日目

2008-08-18 15:00:00 | Weblog


 学生時代からの友人が沖縄に遊びに来たのに便乗して、一緒に宮古島へ行ってきた。わたしにとっては初宮古、宮古にルーツを持つ友人にとっては二度目の上陸。

 久しぶりの那覇空港で宮古に行くために案内されたのは、39人乗りのプロペラ機。あれれ?宮古島ってけっこう大きいし、観光客もいっぱい行くところだよね。なぜ39人の乗りのプロペラ機なんだ?と思ったものの、1時間弱というあっという間の飛行で宮古に到着した。悩んだり考えたりしている暇なんてない!

 沖縄で知り合った宮古島出身の人が口をそろえて言っていた「宮古の海が一番キレイ」をいよいよ生で確かめられるとワクワクしていたのに、プロペラ機を降りると雨。むむっ。そんなに日頃の行いは悪くないはずだけどなぁ。

 なんとなく、道路の標識を頼りに平良港へ向かうも、殺風景だし雨は降ってるしで、次なる場所を目指した。友人のリクエスト、宮古島で窯を持って焼きものをやっている方の工房へ。もちろん沖縄ならではの壺屋焼きなのだけど、一風変わった模様もあって新鮮だった。



 そしてやっぱりこれが一番の楽しみ?かな。お食事の時間。ここはベタに宮古そば屋をチョイス。宮古そばは具がそばに隠れているというのが有名だけど、その理由は、年貢の取り立てをごまかすためとか、具を中に入れることで麺が盛り上がって量が多く見えるとか、さまざまな説がある。とにかく、具が麺に隠れた元祖・宮古そばを食することができただけで満足なわたし。

 食事のあと、街中へ行ってみようと車を走らせたものの、いっこうに繁華街のような場所に当たらない。地図ではこの辺りのはずなのに・・・。ん?ってことはこの道が宮古の繁華街なのね。もちろん那覇とは違うけど、こんなにも人気のない中心地とはびっくり。めぼしいものはお塩屋さんと本島でも有名な泡盛の酒造場、そしてコンビニ。車を停めて歩き出したものの、あっという間に散策が終了してしまった。



 夕方まで、それぞれ目的の用事を済ませてから改めて合流。橋を渡って行ける来間島へ日の入りを眺めに行った。その頃には雨は止んでいたけれど、水平線には雲がかかって、太陽が水平線に沈むまでを見届けることができなかったのがちょっぴり残念。

 でも、午前中に空港を降り立ったときは、那覇からと東京からの観光客がいっぱいだったはずなのに、みんなどこへ行ったのかと思うほど人気がないその空間は居心地が良かった。那覇から飛行機で1時間飛んだだけで、こんなに静かな島へやってこられるなんて。沈む夕日をぼんやり眺めながら、想像以上に何もない宮古島に愛着を感じ始めていた。

 そして、夕食を兼ねて飲みに出かけたとき、昼間はあんなに閑散としていた街のメインストリートが活気づいているのを目の当たりにしたのだった。(続く)

地元の夏祭り

2008-08-07 11:30:00 | Weblog


 会社の人に、うちの地域の夏祭りに遊びに来ない?と誘われた。その人の住む与那原町では、毎年夏に大綱引きをメインとするお祭りが開催されるという。内地からやってきたわたしに、ぜひその祭りの様子を見せたいと言ってくれたので、元来お祭り好きのわたしは二つ返事でOK。

 那覇より南部へ遊びに行くときに、たびたび通過したことのある与那原町。与那原町を目的に遊びに行くのは今回が初めてだ。2日間にわたって開催されているこのお祭りの、なんといっても目玉は2日目の大綱引きだという。このときばかりは地元の人たちが一致団結して、地区で東と西に分かれたチームそれぞれが、勝利を目指して力を競い合う。あとで調べたら、那覇や糸満と並ぶ三大大綱引きの一つだそうだ。



 会社の人は東チーム、ということで半強制的に東チームに組み込まれたわたし。チームカラーである紫のTシャツとハチマキを身につけて、準備はOK?!

 綱引きの前には、「道ジュネー」というのがある。東西それぞれの旗頭(はたがしら)が、旗を持って道を練り歩く。「金鼓隊(きんこたい)」という地元中学生の男の子たちで構成された集団が太鼓を叩き、老いも若きも女性たちが踊り子となって旗頭が旗を振るのを盛り上げる。旗は、それぞれの地区が菊や桜をモチーフに手作りしたものだ。沿道にはたくさんの人たちが道ジュネーを見物に来ている。



 さあ、いよいよ綱引き。各チームが太くて重い綱をかついで会場まで運ぶのも見もの。わたしは担ぐ側にまわったので客観的に見ることはできなかったけれど、綱の上に、琉球舞踊に出てくる役者に扮装した若者が勇ましく立って乗っているのには驚いた。

 綱引きの会場に入ると、盛り上がりはピークに達し、太鼓の音、お囃子の「ハーイヤ」のかけ声が大きくなり、ガーエーといわれる旗振り合戦が一段と激しくなる。東は雄綱(おづな)、西は雌綱(めづな)で、先端の輪が一回り大きい西の綱に、東の綱の先端の輪が入り、カヌチという支えの棒が入ったら綱引き開始。主となる太い綱に巻き付けられた複数の細い綱をみんなで一斉に引く。

 5分以上の長い引き合いの結果、西に軍配が上がった。2回戦まで行うが、1回戦を制したチームがその年の優勝となるようで、これで西の優勝が決まってしまった。西のチームは旗を振り、太鼓やカチャーシーで喜びを表現している。2回戦も1回戦と同じように双方の綱つなげるところから始まり、今度は東が勝利。最後は両チームの旗をすり合わせてのガーエー、太鼓、カチャーシーで盛り上がった。

 こんなふうに地域が一体となる行事が、沖縄にはあるんだなぁと、その熱気に圧倒されながら感心していた。普段は地域に根付く意識がそれほどなくとも、この大綱引きの時の太鼓や笛の音を聞くと“ちむわさわさー”(ドキドキワクワク)して、綱を引きに行かずにいられないのだと会社の人は言っていた。これぞ、うちなーんちゅ気質なのかしら。

 綱の切れ端を魔除けになるからと持たせてもらい、地元の人たちの止まぬ熱気に包まれつつ、家路に着くと腕には無数の細かい傷がついていた。大綱引きに参加した勲章だね。(続く)