第6回 本居宣長の著書からドーンスタイルを考える
話者:今田欣一
日時:2015年11月8日(日)15:15-17:15
場所:新宿区・榎町地域センター 工芸美術室
和字書体の歴史とは、おもに文芸書をしるした「和様漢字+ひらがな」の系統と、おもに学術書をしるした「楷書漢字+カタカナ」の系統があります。前者は欧字書体のイタリック体もしくはスクリプト体に相当し、後者はローマン体に相当するものと考えています。この「楷書漢字+カタカナ」の系統において、カタカナとならぶ「ひらがな」が登場したとき、和字のローマン体が誕生したといえるでしょう。
鎌倉時代には、漢字カタカナ交じり文とともに、すでに漢字ひらがな交じり文もあらわれているのだそうですが、印刷物における漢文体系統のカタカナが、ひらがなにかわるのは、江戸中期の国学者、本居宣長(1730—1801)らの国学者によるものと言われています。
『玉あられ』(本居宣長著、柏屋兵助ほか、1792年)は本居宣長の著書で、版木彫刻によるものです。近世の歌文に著しい誤用があるのを正そうと思い、古文の用法を思いつくままに説明したものだそうです。「和様漢字+ひらがな」で描かれており、私は欧字書体のイタリック体(スクリプト体)に相当する書体だと思っています。
『字音假字用格』(本居宣長、錢屋利兵衞ほか、1776年)は日本に伝来した漢字の字音に、どの和字をあてるのが正しいのかを古文献の用例にもとづいて決定したものです。この『字音假字用格』は「楷書漢字+カタカナ」で書かれていますが、表記に関する説明には、ひらがなが交じっています。すなわちカタカナとひらがなとが同じ文字列で、ひとつの字様としてそろっています。
この二冊は、勉誠社から影印本として勉誠社文庫10『玉あられ・字音假字用格』が刊行されています。この本を参考にして、『玉あられ』から和字書体「すずり」を、『字音假字用格』から「もとい」を制作しました。
のちに『玉あられ』『字音假字用格』ともに江戸時代に印刷された版本を入手することができました。和字書体としても、それぞれ「すずのや」「もとおり」として発展させています。
漢字ひらがな交じり文は、本居宣長の『古事記伝』はもちろん、平田篤胤の『神字日文伝』や伴信友の『仮字本末』ら、本居宣長以降の国学における出版物に引き継がれていきました。
『古事記伝』全四四巻(本居宣長著、1790—1822)は、植松有信(1758—1813)の版木彫刻によるものです。このうち二十二之巻(1803年)などの一部の巻は植松有信の筆耕(板下書)によるものである。植松有信は名古屋で板木師をしていて『古事記伝』の刊行に関わる。宣長に入門して板木師として宣長著作の多くに携わっている。
『神字日文伝』(平田篤胤著、1824年)は、上巻、下巻、付録で構成されます。漢字伝来以前に日本に文字が存在したと主張しています。もともとの版下は書写されたものと思われるが、硬筆書写のような印象を受けます。
『仮字本末』(伴信友著、三書堂、1850年)は、伴信友(1773—1846)の遺稿を、長沢伴雄(1806—1859)の序を添えて刊行されました。刊本は上巻之上、上巻之下、下巻、付録の合計四冊からなっています。
この三冊のうち『仮字本末』は、勉誠社から影印本として勉誠社文庫62『仮字本末 上巻之上、上巻之下』および勉誠社文庫63『仮字本末 下巻、付録』が刊行されています。この本を参考にして、和字書体「さきがけ」を制作しました。
『古事記伝 二十二之巻』『神字日文伝』の影印本は見つからなかったので、国文学研究資料館で電子複写してもらったものをクリアファイルに入れてあります。『古事記伝 二十二之巻』を参考にして「うえまつ」を、『神字日文伝』を参考にして「ひふみ」を制作しました。
国学だけではなく、大鳥圭介独自の活字をもちいて出版した『歩兵制律』のように、洋学の書物などにも、漢字ひらがな交じり表記を採用している書物があります。
『歩兵制律』(川本清一訳、1865、陸軍所)は、オランダの書物を開成所の教員であった川本清一が翻訳し、大鳥圭介(1833—1911)の独自の活字をもちいて印刷したものです。縄武館および陸軍所の活字版書物のうちで、『歩兵制律』だけが本文に「漢字ひらがな交じり」表記を採用しています。
『歩兵制律』の影印本もなかったので、印刷博物館で一部のページを電子複写してもらったものをクリアファイルに入れてあります。『歩兵制律』を参考にして和字書体「あおい」を制作しました。
補足1『玉あられ』(本居宣長著、柏屋兵助ほか、1792年)
『玉あられ』は本居宣長の著書で、版木彫刻によるものです。近世の歌文に著しい誤用があるのを正そうと思い、古文の用法を思いつくままに説明したものだそうです。
内容は「歌の部」と「文の部」にわかれています。本居宣長の、漢文的な表現を排斥して和語を重視するという意識と、中古語を最上とする言語感に基づいて実践されたということです。
「和様漢字+ひらがな」の系統で、私は欧字書体のイタリック体(スクリプト体)に相当する書体だと思っています。
補足2『字音假字用格』(本居宣長、錢屋利兵衞ほか、1776年)
『字音假字用格』は日本に伝来した漢字の字音に、どの和字をあてるのが正しいのかを古文献の用例にもとづいて決定したもので、京都の錢屋利兵衞らによって一七七六年(安永五)に刊行されました。
この『字音假字用格』は漢字カタカナ交じり文で書かれていますが、表記に関する説明には、ひらがなが交じっています。すなわちカタカナとひらがなとが同じ文字列で、ひとつの字様としてそろっているのです。
鎌倉時代には、漢字カタカナ交じり文とともに、すでに漢字ひらがな交じり文もあらわれているのだそうですが、印刷物における漢文体系統のカタカナが、ひらがなにかわるのは、本居宣長らの国学者によるものだとされています。
漢字ひらがな交じり文は、本居宣長の『古事記伝』はもちろん、平田篤胤の『神字日文伝』や伴信友の『仮字本末』など、本居宣長以降の国学における出版物に引き継がれていきました。国学だけではなく、大鳥圭介独自の活字をもちいて出版した『歩兵制律』のように、洋学の書物などにも、漢字ひらがな交じり表記を採用している書物があります。
話者:今田欣一
日時:2015年11月8日(日)15:15-17:15
場所:新宿区・榎町地域センター 工芸美術室
和字書体の歴史とは、おもに文芸書をしるした「和様漢字+ひらがな」の系統と、おもに学術書をしるした「楷書漢字+カタカナ」の系統があります。前者は欧字書体のイタリック体もしくはスクリプト体に相当し、後者はローマン体に相当するものと考えています。この「楷書漢字+カタカナ」の系統において、カタカナとならぶ「ひらがな」が登場したとき、和字のローマン体が誕生したといえるでしょう。
鎌倉時代には、漢字カタカナ交じり文とともに、すでに漢字ひらがな交じり文もあらわれているのだそうですが、印刷物における漢文体系統のカタカナが、ひらがなにかわるのは、江戸中期の国学者、本居宣長(1730—1801)らの国学者によるものと言われています。
『玉あられ』(本居宣長著、柏屋兵助ほか、1792年)は本居宣長の著書で、版木彫刻によるものです。近世の歌文に著しい誤用があるのを正そうと思い、古文の用法を思いつくままに説明したものだそうです。「和様漢字+ひらがな」で描かれており、私は欧字書体のイタリック体(スクリプト体)に相当する書体だと思っています。
『字音假字用格』(本居宣長、錢屋利兵衞ほか、1776年)は日本に伝来した漢字の字音に、どの和字をあてるのが正しいのかを古文献の用例にもとづいて決定したものです。この『字音假字用格』は「楷書漢字+カタカナ」で書かれていますが、表記に関する説明には、ひらがなが交じっています。すなわちカタカナとひらがなとが同じ文字列で、ひとつの字様としてそろっています。
この二冊は、勉誠社から影印本として勉誠社文庫10『玉あられ・字音假字用格』が刊行されています。この本を参考にして、『玉あられ』から和字書体「すずり」を、『字音假字用格』から「もとい」を制作しました。
のちに『玉あられ』『字音假字用格』ともに江戸時代に印刷された版本を入手することができました。和字書体としても、それぞれ「すずのや」「もとおり」として発展させています。
漢字ひらがな交じり文は、本居宣長の『古事記伝』はもちろん、平田篤胤の『神字日文伝』や伴信友の『仮字本末』ら、本居宣長以降の国学における出版物に引き継がれていきました。
『古事記伝』全四四巻(本居宣長著、1790—1822)は、植松有信(1758—1813)の版木彫刻によるものです。このうち二十二之巻(1803年)などの一部の巻は植松有信の筆耕(板下書)によるものである。植松有信は名古屋で板木師をしていて『古事記伝』の刊行に関わる。宣長に入門して板木師として宣長著作の多くに携わっている。
『神字日文伝』(平田篤胤著、1824年)は、上巻、下巻、付録で構成されます。漢字伝来以前に日本に文字が存在したと主張しています。もともとの版下は書写されたものと思われるが、硬筆書写のような印象を受けます。
『仮字本末』(伴信友著、三書堂、1850年)は、伴信友(1773—1846)の遺稿を、長沢伴雄(1806—1859)の序を添えて刊行されました。刊本は上巻之上、上巻之下、下巻、付録の合計四冊からなっています。
この三冊のうち『仮字本末』は、勉誠社から影印本として勉誠社文庫62『仮字本末 上巻之上、上巻之下』および勉誠社文庫63『仮字本末 下巻、付録』が刊行されています。この本を参考にして、和字書体「さきがけ」を制作しました。
『古事記伝 二十二之巻』『神字日文伝』の影印本は見つからなかったので、国文学研究資料館で電子複写してもらったものをクリアファイルに入れてあります。『古事記伝 二十二之巻』を参考にして「うえまつ」を、『神字日文伝』を参考にして「ひふみ」を制作しました。
国学だけではなく、大鳥圭介独自の活字をもちいて出版した『歩兵制律』のように、洋学の書物などにも、漢字ひらがな交じり表記を採用している書物があります。
『歩兵制律』(川本清一訳、1865、陸軍所)は、オランダの書物を開成所の教員であった川本清一が翻訳し、大鳥圭介(1833—1911)の独自の活字をもちいて印刷したものです。縄武館および陸軍所の活字版書物のうちで、『歩兵制律』だけが本文に「漢字ひらがな交じり」表記を採用しています。
『歩兵制律』の影印本もなかったので、印刷博物館で一部のページを電子複写してもらったものをクリアファイルに入れてあります。『歩兵制律』を参考にして和字書体「あおい」を制作しました。
補足1『玉あられ』(本居宣長著、柏屋兵助ほか、1792年)
『玉あられ』は本居宣長の著書で、版木彫刻によるものです。近世の歌文に著しい誤用があるのを正そうと思い、古文の用法を思いつくままに説明したものだそうです。
内容は「歌の部」と「文の部」にわかれています。本居宣長の、漢文的な表現を排斥して和語を重視するという意識と、中古語を最上とする言語感に基づいて実践されたということです。
「和様漢字+ひらがな」の系統で、私は欧字書体のイタリック体(スクリプト体)に相当する書体だと思っています。
補足2『字音假字用格』(本居宣長、錢屋利兵衞ほか、1776年)
『字音假字用格』は日本に伝来した漢字の字音に、どの和字をあてるのが正しいのかを古文献の用例にもとづいて決定したもので、京都の錢屋利兵衞らによって一七七六年(安永五)に刊行されました。
この『字音假字用格』は漢字カタカナ交じり文で書かれていますが、表記に関する説明には、ひらがなが交じっています。すなわちカタカナとひらがなとが同じ文字列で、ひとつの字様としてそろっているのです。
鎌倉時代には、漢字カタカナ交じり文とともに、すでに漢字ひらがな交じり文もあらわれているのだそうですが、印刷物における漢文体系統のカタカナが、ひらがなにかわるのは、本居宣長らの国学者によるものだとされています。
漢字ひらがな交じり文は、本居宣長の『古事記伝』はもちろん、平田篤胤の『神字日文伝』や伴信友の『仮字本末』など、本居宣長以降の国学における出版物に引き継がれていきました。国学だけではなく、大鳥圭介独自の活字をもちいて出版した『歩兵制律』のように、洋学の書物などにも、漢字ひらがな交じり表記を採用している書物があります。
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