typeKIDS Report

活字書体を使う人のための勉強会

白澤書体:地道にコツコツ、から始めよう

2015年04月14日 | typeKIDS_Workshop
typeKIDSは7年目を迎えました。来るものは拒まず去る者は追わずということで、多少の入れ替わりはありますが現在は十数名で、ゆるやかに、じっくりと、活動を継続しています。
講座でもなければ塾でもないので、先生でも生徒でもありませんし、課題を提出して終わりということでもありません。それでも目標がないと張り合いがないので、冊子(PDF)をつくったり、展覧会などのイベントの企画に参加したりしています。
書体制作をしていますが、いきなり「創作」などということはしません。何ごともまずは基本から。共同制作で、コツコツと積み上げていくことから始めています。
白澤中明朝体、白澤太ゴシック体、白澤太アンチック体は、築地活版五号活字と石井書体を参考にして制作をすすめています。金属活字、写植文字盤から、デジタルタイプに継承する可能性のある書体です。

白澤中明朝体

『活字と機械』(野村宗十郎編輯、東京築地活版製造所、1914年)所収の五号明朝活字見本を結法の参考にすることにしました。この見本を48mmボディ・サイズに拡大し、これを見ながら下書きしています。筆法は、書体見本12字の下書き(原字はまだ制作していないので)を参考にしています。



※練習用として制作している字種は、五号明朝活字見本の冒頭12文字「天地玄黄宇宙洪荒日月盈昃」です。

●築地活版五号明朝活字見本
『活字と機械』(野村宗十郎編輯、東京築地活版製造所、1914年)より


●石井中明朝体見本
『文字をつくる』(中村征宏著、美術出版社、1977年)より



白澤太ゴシック体

白澤中明朝体と同じく『活字と機械』所収の五号ゴチック活字見本を結法の参考にすることにしました。この見本を48mmボディ・サイズに拡大し、下書きしています。筆法は、書体見本12字の下書き(原字はまだ制作していないので)を参考にしています。



※練習用として制作している字種は、五号ゴチック活字見本の冒頭12文字「檜芳遊企輪飽鞄鹸何儀哲脊」です。

●築地活版五号ゴチック活字見本
『活字と機械』(野村宗十郎編輯、東京築地活版製造所、1914年)より


●石井太ゴシック体見本
『文字をつくる』(中村征宏著、美術出版社、1977年)より



白澤太アンチック体

『座右之友』(東京築地活版製造所、1895年)所収のアンチック形活字があるのですが、これには依らず、欧字書体のスラブ・セリフ体にあわせて、より現代的に解釈することにしました。結法の参考にしたのは『活字と機械』所収の五号明朝活字見本および五号ゴチック活字見本、筆法の参考にしたのは書体見本12字(下書き)です。



 写植文字盤のアンチック体(中見出し用)との和漢混植を前提として、日本語の文章が組めるようにしたいと考えました。メンバーごとに任意の文章を選び、漢字60字(簡易文字盤「四葉」に入る字数)以内の範囲で制作することにしています。
 このメンバーが選んだのは、島崎藤村『夜明け前』の冒頭の文章です。

 木曾路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。


この文章が組めるようにするには、「木曾路山中岨行崖道数十間深臨川岸尾谷入口一筋街森林地帯貫」という28字を制作する必要があります。これから試作してみることにしたようです。

(白澤書体はtypeKIDS の学習用としてテスト的に制作しているものです。商品化することは考えておりません)


【参考】
築地活版五号明朝・五号ゴチック形・五号アンチック形活字見本
『座右之友』(東京築地活版製造所、1895年)より


欣喜堂の復刻書体(試作)





第3回  活字へ —— 過渡期明朝体(武英殿銅活字・武英殿聚珍版・萃文書屋木活字)

2015年04月13日 | typeKIDS_Seminar
第3回  活字へ —— 過渡期明朝体(武英殿銅活字・武英殿聚珍版・萃文書屋木活字)
話者:今田欣一
日時:2015年4月12日(日)15:15−17:15
場所:新宿区・榎町地域センター 大会議室B

3月の「typeKIDS Exhibition内覧会」で話した「漢字書体二十四史」のうち、きょうは「過渡期明朝体」のおさらい。


「typeKIDS Exhibition内覧会」にて

欣喜堂で制作している過渡期明朝体、「武英」(写真では人影で見えない)、「聚珍」(写真中)と「宝玉」(写真左)についてお話しすることにしました。

説明しながら、原資料のファイル資料、影印本を手に取って見てもらいました。
「武英」の原資料『古今図書集成』はプリンター出力ですが、「聚珍」の原資料『武英殿聚珍版程式』と「宝玉」の原資料『紅楼夢』は影印本です。いずれもある程度のページ数があるので、全体的な雰囲気がわかりやすいのではないかと思います。





清の康煕帝・雍正帝・乾隆帝の時代に、武英殿および民間出版社によって銅活字や木活字で刊行された書物にあらわれている書体は、明代の刊本字様である「明朝体」と、清代後期の「近代明朝体」との過渡期にあたるので、これらを「過渡期明朝体」ということにします。

「武英」の資料:ファイル『古今図書集成』(京都大学附属図書館ウェブサイトからのプリンター出力物)



『古今図書集成』は、中国・清朝の康熙帝(在位:1662−1722)が、陳夢雷(1651−1741)等に命じて編纂を開始したものです。古今の図書から抜き出した事項を、類別して配列しています。康煕帝の時代の1719年(康煕58年)には完成していたそうですが、皇位継承の紛争もあって刊行が遅れたようです。清朝の雍正帝(在位:1722−1735)の時代の1726年(雍正4年)になって、銅活字で刊行されました。

「聚珍」の資料:『中国活字版印刷法——武英殿聚珍版程式』(金子和正編著、汲古書院、1981年)



乾隆帝(在位:1735−1795)の時代に完成した写本の『四庫全書』のなかから重要な書物を選んで、『武英殿聚珍版双書』として木活字で印刷させました。金簡(?−1794)が提案したもので、宮廷用の5部と一般販売用の300部が刊行されたそうです。金簡は、この木活字の製作と印刷作業の過程と経験をまとめて、詳細な文章と明瞭な挿し絵で『武英殿聚珍版程式』(1776年)という印刷専門書を著しています。この『武英殿聚珍版程式』は出版事業報告書だったとともに、活字版印刷の技術書でもありました。

「宝玉」の資料:『程甲本紅楼夢』(書目文献出版社、1992年)



清代において一般庶民に向けた実用書、読み物などは、営利を目的とした書坊が担っていました。活字版印刷が各地で盛行したのは、冊数が多いものであっても印刷部数は百部未満のごく少数だったことがあげられます。その中心地は杭州・南京などの江南地方と首都の北京に集中していました。北京では全般的な品質はそれほど高くはありませんでしたが、萃文書屋の『紅楼夢』(1791年)は、坊刻本のなかの佳作といわれています。