庭と花の物語*西原村

小さな村の小さな庭やそこで育った花々を紹介します。季節の移り変わりとともに。

鉄砲を持った百姓   南郷往還(古道)をまもる

2017年06月11日 | 西原村の昔

 上の写真は真ん中のやや低くなったあたりが布田川上流。地震で崩れている。

 

 中ほどの長い稜線は断層が作った地形である。

布田川はこの断層に沿って流れ益城を抜け緑川に合流し、有明海に注いでいる。

布田川断層と呼ばれるのはそのためでしょう。

今度の地震もこの活断層が動いた。

断層に沿って西原村の集落があるので甚大な被害を受けたのである。

昔から火山灰の大地は干ばつが起きやすい地域だった。当然川沿いの場所に田畑を開いて生活していた。

江戸時代の記録によると、西原村に合併する前の旧山西村、および旧河原村の経済的な格付けは下の下である。

下の中にも上中下の区別はあったから、下の下という格付けは当時の村を推して知るべしである。。

 

下の写真は新所集落の村中の道。

集落は一列に並んでいる。だから道も直線となる。

 

 左右どちらも直線の道。

これには理由が。

新所は熊本から阿蘇に抜ける 俵山超えの道の途中にある。

新所から万徳の辻を通り山越えするのである。

ここ新所からは高遊原台地の隅々まで広く見渡せるため、見張りのために作られた集落なのである。

百姓は鉄砲を所持していた。

殿様上京の折に護衛として参加したこともあるそうだ。

 

 

 ガソリンスタンドの細道は南郷往還と呼ばれた古道である。

昔は掘り下げられた道であった。

兵が動くのを隠すためである。

 

 昔の面影を残す深い溝。ここも道だった

広い道になってしまっている。

今も昔も阿蘇と熊本を繋ぐ重要な道路であるのは変わりない。

南郷往還の思い出もあるが、又いつか。



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