観音堂はありました。
壁板と土台と石垣周りが新しくなっていました。
地震で傷んだので修理したのでしょう。
前の道路は崩れていました。
集落の人達は一番に観音堂を修理したのですね。
あの頃、私が子供だった頃、お堂の観音様もお供えものも仏具もみんな子供たちのおもちゃでした。
罰当たりの子らが、今観音堂の修理をしているのです。
盗まれた観音様が返ってこないかなあとつぶやいている私。
母が本家の本家と言った家の土蔵と納屋がなくなり、新しくなっていました。
でも、多々良のお堂も小道も流れる水も昔々の物語を私に語ってくれるからここに来るのです。