旅の窓

平凡ながら列車の旅が好きで、その様子を紹介しています。
『閑雲野鶴日記』は日々の自由気ままな生活の記録。

晴耕雨読日記 2020年(令和2年)6月2日 火曜日 朝の散歩『名所・旧跡10kmコース』 『野辺地八幡宮』③

2020-06-02 09:42:33 | 晴耕雨読日記
 今日は晴れて青空が広がるという予想を信じて出発します。


①このまま雲が流れ去ってくれれば良いのですが。


②今日の「名所・旧跡案内」は、『野辺地八幡宮』その3
 野辺地八幡宮の境内にある『末社 天満宮』。
 元は、野辺地城内にあった1855年(安政2年)勧請の天満宮と野辺地八幡宮境内にあった1857年(安政4年)勧請の北野神社が、1863年(文久3年)に合併したもので、御祭神は菅原道真公他。御神徳は、知能・学問・技芸・防火・虫封の神だそうです。
 ここには1986年(明治元年)の野辺地戦争で亡くなった津軽藩士で小隊長の小島貞知(左近、貞邦とも呼ばれている)の兜が奉納されて、『小島左近の兜』の言い伝えがあります。
 野辺地戦争で津軽藩士小島左近貞邦と南部藩士小原未造が一騎打ちとなりました。
 すると、南部藩の兵士がその勝負に割って入り、後ろから左近の足を丸太棒で払い、倒れた左近はその隙をつかれて小原に斬りつけられました。左近は助太刀した兵士を睨みながら「卑怯者、汝を7代にわたり、呪ってやる」と言い残して息を引き取ります。
 小原末造は助太刀した兵士に左近の兜を褒美にと与え、兵士もまたその手柄を喜んで、家に持ち帰り床の間に飾りました。
 しかし、その後兵士は突然病気で亡くなり、家族にも不幸が続き、家業もうまくいかなくなったそうです。それを見かねた問屋の旦那様がお金を貸し、その代わりにと兜を差し出すと、今度は旦那様が急病になります。
 不幸が続くので祈祷師にお祓いしてもらうと、祈祷師は「恨みの兜、兜を返せ」と告げたそうです。そこで兜を兵士の未亡人に返し、未亡人は野辺地八幡宮に兜を納めて拝んでもらったという言い伝えです。


③山が見えてきているのでお天気は回復しそうです。


④あと15分?降ってきました。


 たいして濡れることもなく到着。


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