たわ言

思いつくまま

松茸の頃となった。

2015-09-14 19:19:28 | 日記

  朝から病院へ、定期診断。 その昔、昭和35年ころまでは場所によって足の踏み場もないほど松茸の生えたところだ。今は市街地となって、そのことは想像できなくなってしまった。

 松茸はすき焼きが主だ。この地ではかしわでする。主に大阪の客だ。この時期庭の鶏にとっては受難の時期だった。 私の育った伊賀では牛肉だ。土瓶蒸しとか焼き松茸は邪道だ。 すき焼きの周りでそれをする。 そのものずばり松茸ばかり、いろんなものが入る今どきの土瓶蒸しとは異なる。 ああー松茸が食いたい。  外国の松茸は香りが違う。 時折、期待してスーパーで買ってくるが、食べるまでのこと。 実際食べたら、こんな味や香りでなかったと悔やむことしきり。 なぜ、それを繰り返すのか。先日カナダ産に手を出すところだった。

 息子は3・4の時には、まだ松茸はあった。来る日まで持つものは父は松葉や木の葉でかくしておいてくれた。3年後に生まれた娘には、そんな記憶すらないだろう。

 彼岸花が例年より早く咲きだしたと書いたが、私にとってヒガンバナ→〔一週間〕木犀の花→〔一週間〕松茸の出始めの図式、ところが庭の木犀は未だ蕾らしき目があるか、ないか。 彼岸花は先行しすぎるのか。 その辺の機序はわからない。しかし、松茸までいかないことは確か。       まいる

コメント
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