パン・ド・カンパーニュの部屋

自分で作ったおいしいものを中心においしい話を!

誕生日!

2006-02-26 16:12:01 | おいしいもの
今日は、・ん・回目の誕生日。この歳になると誕生日を迎えるたびに悲観的になりますが、
1年間無事に過ごすことができたということで、まあおめでたいとしましょう。
で、おフランス料理です。

東京は某有名ホテルのフランス料理。

前菜は「アヴォカドと海の幸のサラダ オーロラソース」。



魚料理は「真鯛のポワレ トマトのロースト オリーブオイルとバルサミコの香味ソース」。



肉料理は「鶏モモ肉のローズマリー風味焼きとグリル野菜 タプナードソース」。



デザートは特別製お誕生日ケーキ。







じゃーん、じつはこれ、地域の仕事関係の団体のお料理教室での作品です。
ケーキは買ってきたものですけど。よく見ると、ロウソクの数が1本多いのですが、四捨五入すればそうかなと思うので、しかたがないかな。

東京は某有名ホテルのシェフに来てもらい、フランス料理を教えてもらいました。
市内の小学校の家庭科室をお借りしました。公民館にも、もっと立派な調理室があるのですが、抽選制でこの日に借りられる保証がなかったので、少し不便性はあるものの、学校の家庭科室を借りたのです。
料理は思っていたより、おいしく仕上がりました。これも、教え方がうまいのでしょう。

食材関係は私が全部手配して集めてきました。みんな私が食べることが好きなのはすべてお見通しなので、私に白羽の矢が当たり、こういう運びと相成りました。

この1週間というもの、このお料理教室の準備に忙殺され、精神的にも余裕がなかったので、木曜日のブログの更新はできませんで、失礼しました。
(来週は地域の子どもたちを対象に、餃子と肉まん作りのお料理教室を主催します、ああ、忙しい)

この中で一番コストが高いのが、前菜のサラダです。野菜も果物もこの辺では売っていないようなものもあるので、案外高くつきました。

ケーキはわざわざ私のグループにはデコレーションケーキを用意してくれたのです。この心遣いに感謝。こんなにたくさんの人たちに誕生日を祝福されたのは、幼稚園以来のことかも。

昨日は、前祝いではないですが、お赤飯を蒸してみました。



先日、かねてより欲しかった蒸篭(せいろ)を買ったので、使い初めです。
さすが、専門店で売っているような本格的なお赤飯に仕上がりました。満足、満足。

さらに、今日はうれしいことがもう一つ。
上の大学2年生の娘が、語学の短期講習でドイツはミュンヘンに今日、旅立ちました。今まで子どもだったと思っていたのに、一人で決めて、一人で旅立ったのです。ウイーンで乗り換え、ミュンヘンに向かうということ。乗り換え大丈夫かな、なんて心配ですが、たいしたものだと思います。親はまだ一人で海外に行ったことないので、親を超えました。まあ、この点では褒めてやりたいと思います。
短い間ですが、いろいろな経験を積んできてもらいたいものです。

今年の誕生日は、今までになく思い出深いものになりました。
娘よ、また皆さん、ありがとう。

冬の丹沢・檜洞丸山行(前編)

2006-02-19 13:04:18 | 山登り
いよいよこの日が来た。朝5:00起床。本当は目覚まし時計を5:30にセットしたのだが、自然に早く目が覚める。
チャッピーの散歩を済ませ、朝食を摂り、時間があったのでど○ろ○作りの記事をブログにアップする。とか何とかやっていたら、あっという間に出発時間が迫ってくる。
7:05 家を出発。
一緒に行くT夫妻の家に立ち寄る。Tさんの車に同乗させてもらい西丹沢まで行くことになっている。T夫妻はおととしの5月の連休に、今日行く檜洞丸青ヶ岳山荘で知り合った仲だ。今日会うので、まだ2回目だが、もう10年来の知り合いのような雰囲気。山の仲間はすぐに心が通じ合う。
7:30 Tさんの家を出発、東名高速にのり山北で降りる。山北の道沿いのサンクスでよねやん組と合流、昨年槍ヶ岳のヒュッテ大槍で知り合った大阪のFさんと一緒だ。よねやんが夜行バスの停留所の厚木まで迎えに行ったのだ。
さあ、これでみんな揃った。全部で5人のパーティー、にぎやかだ。サンクスで昼食のおにぎりや行動食のどら焼き、バームクーヘンなどなどを買い込む。
9:00 西丹沢自然教室着。



登山靴に履き換え準備をしていると、青ヶ岳山荘の小屋番のトンボちゃん一行と行き会う。荷物を少し持ってもらい、別々に出発。小屋番さんたちは車で林道の終点まで行き、そこから歩荷する。

登山口 9:50発。登り始めの部分に雪が溶けずに積もっている。慎重に足を運ぶ。



そこを過ぎるとゴーラ沢出合いまでは、南斜面でぽかぽかの暖かい道。気持ちがよい。



ゴーラ沢で一休み。自分のペットボトルに水を汲む。
さて、ここからがいよいよ急登の始まり。北向きの斜面にはところどころ雪が残っている。でも気温も上がり、シャーベット状になっているので靴底のくい込みもあり、心配ない。



1時間で富士山がよく見える展望園地に着く。



ベンチにどこかで見たことのある顔が。あっ、青ヶ岳山荘の常連の一人、銀座の板さんだ。この人が登ってくると、いつも美味しいものが食べられる。今日は何だろう、楽しみだ。前回は鴨なんばん蕎麦。私の連れのチャッピーまでがご相伴にあずかったのだ。
ここで12:00、富士山を見ながら昼食にする。絶好の展望日和。美しい景色を見ながらの食事、なんでもないおにぎりが、なんと美味しいことだろう。
一休みをして、さあ出発。まだまだ長い道のり、これからが急だ。足元の雪もだんだん多くなる。だがアイゼンをつけるほどでもない。これなら安心。



こんなものも、鹿の足跡。偶蹄類ということがよくわかる。



さて、頂上まであと0.8キロの表示があるベンチまで登りきる。目の前には昨年の春、見事な花を見せてくれた「シロヤシオツツジ」の木が乱立している。木の幹がまるで松の木肌のようなのですぐわかる。

遠くには雪をかぶった南アルプスの白峰三山(北岳、間の岳、農鳥岳)も見える。



一休みして目の前の頂上を目指す。
木道まで来たら頂上はもうすぐ。その先に、やっと頂上が見えた。



階段を登り、やっと到着。14:00。 



頂上でみんな写真を撮りあい、また一休み。Tさんのご主人が大阪のFさんを連れて、頂上からの展望を説明している。この時間を利用して、ザックから着替えを出し、汗をかいたシャツを着替える。ああ、さっぱりした。

さて、めざす今夜の宿泊先の青ヶ岳山荘は、頂上から少し下った蛭ヶ岳への縦走路にある。少し下って山小屋へ到着。小屋番のトンボちゃんに挨拶して中に入る。中には知った顔の面々が。懐かしい顔も見受けられる。やあ、久し振り。

ザックからお土産を出す。まずは例の「カルピスソーダ」、白、赤1本ずつの、ワイン、それに私の得意料理の鳥のモツ煮込み。さっそく鳥の煮込みは鍋で温められ、コタツにあたっているお客さんに振舞われる。もちろん、カルピスも一緒に。カルピスにはみんな身を乗り出し、ちょっと味見をと言う。飲兵衛だったら興味があることだろう。でも、みんなおいしいと飲んでくれ、自分も作ってみようかと言う人もいる。鍋も好評。よかった、喜んでくれて。

日没は17時ごろ。それまで小屋の中でうだうだ過ごす。ビールを飲んだり、よねやんがもってきてくれた、山形のひたし豆を食べる。なかなか硬さと塩加減がちょうどよい。さすが、料理上手のよねやん。毎日やっていることだけはある。

さて、いよいよ日没の時間が迫る。カメラを持って頂上に向かう。今日はここからダイヤモンド富士が見られるのだ。一年に二回、12月と2月。前にもこの時期に登ってダイヤモンド富士を見たが、そのときは雲海が広がっていたのだが、肝心の富士山は雲で大部分が隠れてしまい、いい写真が撮れなかった。今日はどうだろう。

頂上の西の肩に陣取る。ここは頂上で一番富士山がよく見える場所だ。
だんだん日が傾き、富士山に向かってぐんぐん高度を下げる。さあ、もうすぐだ。
おお、やった、富士山の肩に日が沈む際の一瞬の輝き。まるでダイヤモンドのようだ。



今日は見事なダイヤモンド富士が見られた。満足だ。
名残惜しいが、日が暮れてあたりが急に寒くなる。小屋まで駆け足で戻る。

さあ、これから終わりのない宴会が始まる。まずは自分で持ってきた白ワインから。囲炉裏に陣取り、シシャモを焼く。



次は背黒イワシ。炭で焼く干物はおいしい。白ワインを飲んでいるとあちこちから、自分にもくれと声が掛かる。さあどうぞと注いであげる。むこうからも一升瓶で、どうぞとくる。この頃、日本酒は苦手なので、少しだけ注いでもらう。

さて、銀座の板さんの本日のお土産第一弾は北海道の本マグロのトロ。有名な大間のマグロが少し先まで遊びに行ったところで捕まえられたとか、なんだあ、大間のマグロだ。今まで口にしたマグロの刺身の中でも一、二を争うほどの美味。これで冷凍物なのだそうな。うま過ぎ。そして第二弾は鴨肉と塩ねぎ。鴨がねぎを背負ってきた。鴨とねぎを囲炉裏の炭で焼いて食べる。これもうまい。どんどんワインがすすむ。



そして、この小屋名物の鍋。以前は甘い豚肉を入れたまたぎ鍋だったが、この頃は海鮮鍋が主流になったようだ。今日はTさんが持ってきた、イワシのすり身を油揚げの中に入れたイワシの巾着鍋にカニが加わった豪華な鍋。これに鳥も少し入っている。いろいろな具から出ただしが複雑な味を呈している。これもうまい。



なんだかんだで赤ワインもあっという間に空いてしまった。そして日本酒、ウイスキーのちゃんぽん。さすがに気分が悪くなるし、眠くなる。朝早かったからなあ。時間は9時。まだまだ宴会は続いているが、我々のグループは早々にお開き、2階の布団に包まり、眠りにつく。おやすみなさい。

ど○ろ○作り

2006-02-11 06:33:05 | おいしいもの
さて、これから丹沢・檜洞丸へ出発です。
今晩は山小屋・青ヶ岳山荘で宴会です。
この日のため4日前からど○ろ○を仕込みました。

お米3合を2合の水でおこわ状態(蒸し米のような)に炊き、水を850cc加え、そこに米麹200gを投入しよく撹拌する。発酵の補助剤としてヨーグルトかイーストを小さじ1杯を加えて仕込みは完了。あとは1日1回よくかき混ぜる。
これでできてしまいます。

仕込み1日後。水が下に溜まっています。3日後には半分くらいになりました。



仕込み完了。ザルで濾して搾っています。



酒粕と完成品。容器はカルピスソーダのもの。遊び心で、「これっ」って差し出して、山小屋でみんなに飲ませちゃいます。容器は炭酸系の強いものでないとだめです。けっこう炭酸が溶けているので、強圧になります。



さて、今夜は楽しみです。
行ってきます。

ねずみ騒動!

2006-02-09 17:56:19 | Weblog
聞いてください、みなさん。
うちの家に、ねずみが居ついてしまったのです。
先週末の夜のこと、妻がキッチンで片づけをしていると、足元を黒い影がさささーっと動いたとか。目で追ってみると物影に入ってしまい、妻はいつものゴキブリかと思い、殺虫剤を一吹き(あとで娘の証言によると、一吹きどころではなく、何秒もかけていたとか)。これで安心と思っていたら、またもや動くものを発見、よく見たら黒っぽい小さなねずみだったとか。このときは娘も確認、つぶらな瞳の目と自分の目があったと喜んでおりました。かわいいねずみが来たと喜んでいたのもつかの間のこと。このあとはしばらくなりを潜めておりました。いなくなったのかと思いきや、あるときキッチンで妻の布を引き裂くような悲鳴が。。。なんと、食品庫の扉を開けたら、木のチップ(燻製用です)が散乱、それに混じって小さな糞、それにもまして臭いのなんの。
ネットで調べたら、どうもハツカネズミらしい。体長も合っている、そして臭いのが特徴とか。

これです。小さな黒い粉のように写っているのがねずみの糞です。



このとき、中でごそごそ物音が。いるなと思い、引き出しをごとごとしたら、茶色い体長5センチくらいの(尻尾の長さ含まず)ねずみが飛び出してきて、私の手にぶつかり、反動でまた戸棚の奥へと隠れてしまいました。見ましたよ、はっきり。確かにねずみです。

ああ、どうしたものか。
このままだとキッチンの戸棚という戸棚が全滅になってしまうかも。
やっぱり捕まえるしかないのでしょうか。

ついでに、ねずみの思い出を一つ。
秩父の実家にも15年程前くらいには、天井裏にねずみが住んでいました。
実家に泊まりにいくと、夜はねずみの運動会が始まります。どどどーっと走り回り、たまに梁から飛び降りるらしく、どかーんというすごい音も。このときのネズミたちは、ただ走り回っているだけで実害はありませんでした。そして、いつのまにかいなくなりました。
さらに、私がご幼少の頃にはテレビの外側をかじり、中にねずみが入っておしっこをして、ショートしてしまいテレビが壊れたことがありました。こんないたずらをされては困りますね。

さてさて、うちのねずみはどうしたものか、悩んでしまいます。

復活!

2006-02-05 21:43:44 | 山登り
復活といっても、私の山歩き再開のことです。
今日は来週の丹沢行の足慣らしのため、高尾山を歩いてきました。
何しろ、昨秋の剣岳で膝を痛め、それから山歩きを控えていたので、3ヶ月ぶりの再開と相成りました。はあはあ、ぜいぜいと思っていたのですが、さにあらず。けっこうなペースで登ることができました。稲荷山コースから登ったのですが、72人抜きを達成しました。といっても、私より年上のおじいさん、おばあさん、女性、子どもでしたので、たいした自慢にはなりませんが。抜かれたのは2人、一人は山岳マラソンの人、もう一人は「おぬし、やるな!」というような男性で、アルプスバリバリというような感じ、これならさもありなん。

9時半に家を出て、最寄の駅で9:54発高尾山口行きの準特急に乗り、高尾山口に10:17着。ケーブルカー駅脇の稲荷山登山口10:25発。

稲荷山コースの名前の由来のお稲荷様。



高尾山に登るにはいろいろなコースがありますが、稲荷山コースはその中で一番南側に位置します。だから、日当たりがよく、気持ちよい山歩きが楽しめます。

こんな感じ。



そして、都心の方向の眺めもよい。空気が澄んでいれば遠くは筑波山も見えます。



このコース最後の急登。もうすぐ頂上。
この階段の下で若い女の子二人を追い抜くも、すぐに後ろにつかれ、パンさん、途中で一休みしたいが、抜かれるのも癪なので、がんばる。なにしろ72人抜きなので、ここで抜かれたら70人に減ってしまう。こういうのを年寄りの冷や水というのでしょうね。ああ、疲れた。頂上11:20着。



高尾山頂上。晴れていて気持ちよいです。



今日は富士山もくっきり。左には丹沢のあの大室山がりりしい姿を見せている。



さて、ここで一休み。途中のコンビニで買ったロールケーキを一口、いや、三個頬張る。水筒には妻が作ってくれた温かい紅茶。冬は温かい飲み物が心地よい。
えっ、今回はビールじゃないのかって。はい、今回は理由があって我慢しているのです。
さて、一休みして薬王院に向かう。今日は、護摩を焚いて貰うのだ。厄年はとうに過ぎたのだが、知り合いのおばちゃんに、私の歳は厄年ではないが不吉な歳なので、拝んでもらったほうがいいといわれた。おばちゃんのご主人は私の歳に病気で亡くなったとか。人の勧めには素直に従うことにする。

薬王院。



護摩を奉納するには申し込みが必要。申込書に住所、名前、目的を書き込み、お金を払う。3000円からというので、一番安い3000円にする。あとでいただく、お札の大きさに違いがあるらしい。目的はいくつかあるうちから「身の上安全」を選ぶ。
12時半からというので、その前に昼食を摂ることにする。今の季節は、これ。とろろそば。3月いっぱいまで高尾山とろろそばキャンペーンをやっている。駅とかにおいてあるパンフレットに、割引券がついている。100円引き。山門の一番近いお店「もみぢ屋」に入る。ここのは、とろろの上に生卵がのっている月見とろろそば。青海苔がかかっている。定価850円が割引で750円。このあとのためアルコールは我慢する。ああ、残念。



さて、12時15分に本堂に上がり、護摩焚きが始まるのを待つ。定刻になり、お坊さんが法螺貝の音色とともに登場。厚巻は法螺貝、錫状、太鼓の音とともに繰り広げられる経文(呪文)を唱えるところ。まさに密教的なおどろおどろしい雰囲気。これなら、昔、呪いに使われたことがうなずけるというもの。20分くらいで終了、最後にお札をいただき外に出る。

お札です。名前の最後だけサービスしちゃいます。



帰路につく。山門の脇にこの間の節分の招待年男・年女の名札がかかっている。
相撲部屋、貴乃花親方、北島三郎、山本譲二、地井武男などの名前が出ている。



帰りは急いでいるのでリフトを使って降りることにする。

途中の蛸杉。根っこが蛸の足のよう。



リフトから下を望む。ちなみにケーブルカーとリフトは同じ値段。昔から解せない。何で? リフトは二人乗り、相手がいればこちらがいいが。



下に降りてお土産を買う。最近は有喜堂のお菓子と決まっている。ここの大杉饅頭がおいしい。いや、何でもおいしい。じょうよ饅頭、栗蒸しようかん、高尾饅頭などなど。今日は栗蒸しようかんを買った。

京王線に乗り帰路につく。
また来年もこの時期に来よう。満足の一日。

牡丹鍋

2006-02-02 22:27:26 | おいしいもの
先日の日曜日、1月29日は私の両親の金婚式で秩父に行ってきました(ちなみに私たち夫婦の銀婚式はあと2年と少し。あっ、私は♂としては少し早めに結婚しましたのであしからず・・・そんな歳ではないことをアピールしとかなくちゃ)。

お祝いをどこでしようかと迷ったあげく、猪鍋のお店ででやることにしました。
ここは、私が学生時代からのなじみのお店。学生時代、大学の友人たちを招いて宴会をやったり、結婚前、妻と付き合っていた頃、ここで私の両親と引き合わせたり、子どもが小さいときも連れて行ったりと、懐かしい思い出がいっぱいのお店です。

私たち一家と弟夫婦と姪を加え総勢8名の席。

旧荒川村(秩父市と合併して秩父市荒川となった)にある「いのしし亭」、猪鍋といっても正確には「いのぶた鍋」。食べておいしいのは、猪肉より猪豚とか言われています。昔はお店の近くに、猪豚牧場があったのですが、今はなし。

これが牡丹鍋のいわれ。



肉は豚肉より赤く、牡丹の色のよう。 で、牡丹をもじって牡丹鍋。 飾りつけも牡丹の花をイメージ。
これを八丁味噌をベースにしただしで煮て食べる。



豚肉に文字通りちょっと野性味を加えた味、決して臭くはありません。臭いというのは、血抜きがうまくできなかった証拠とか。硬さは豚肉より少し固め、中途半端に煮すぎると硬くなってしまうので、煮えたら早く食べたほうがいいとのこと。
女性が多い席だったので、けっこう食べきれずに残ってしまいました。私ががんばったのですが、それでもだめでした。もったいないけど、残りはチャッピーのお土産にしました。捨てられてしまうよりは役に立つでしょ。

両親はおかげさまで病気知らず、元気に過ごしています。二人ともこんな歳でも現役で、社交ダンスをやっているおかげかも。あっ、私たち夫婦も学生時代はお互いダンスやっていたんですよ。いまでも、「Shall we dance?」なんか見ると、ダンスまたやろうかなんて、そのときだけは思ってしまうんです。私たちのことはともかく、両親がこれからも元気でいてくれることを願うばかりです。
せいぜい親孝行しなくては。